僕が高校1年の時の10月4日に文芸評論家の保田與重郎先生がお亡くなりになった。
亡くなって初めてそのような方が居ると知った。
数日後の古文の授業で、保田與重郎先生が書かれた「松尾芭蕉論」が配られた。
僕は優等生では全く無かった。
それどころか今も昔も松尾芭蕉を読んで感銘を受けたことなど正直一度も無い。
でもその保田與重郎先生が書かれた「松尾芭蕉論」の文章に僕は感動した。
高校ではラグビーを好きになり、その後大学の4年間を過ごして、働き始めた。
20代の前半はアメリカで働いていたが、車社会に馴染めずに何のアウトプットも残せずに91年4月に帰国する事にした。
リトルトーキョーで今は休刊になった文芸評論誌の「新潮45」を初めてしかも異国で購入して機内で読んだ。
そこには、その時以来僕の人生を知的好奇心という光でずっと照らし続けてくれている文芸評論家の福田和也先生の「マルセル・プルースト論」があった。僕が全く「失われた時を求めて」を理解できていない事を思い知らされた。
機内で何度も何度も福田和也先生の文書をなぞった。
行間は自分の教養で埋めなければならないんだと感じた。圧倒的な福田和也先生の「言葉の力」を感じた。
単純な僕は、帰国後に文芸評論家か音楽評論家になりたいと思い、自分で書いた評論を出版社に送ってみたり、まだ国内版がでていないレコードを聴いてその感想をレコード会社に送ったりしてみた。1回だけ僕の音楽評論が英国の新人ロックバンドのライナーノーツに採用された事もあったけど、それでは食べていけないので普通に転職活動を始めた。
ナショナルクライアントやIT企業などの内定もいただいたが、今も勤めている会社を選んだのは「言葉の力を数値化する会社ではないのか」と感じたからだ。それは僕の誤解であったが30年以上勤務しているので、僕には合っていたんだと思う。
なので今の会社に勤めているのも、遡っていくと高校1年の時の古文の授業だ。
でもそんな事よりもその古文の授業のおかげで、一生つきあえる学問と出会えたことが一番大きい。
福田和也先生は100冊以上上梓されていると思うが、デビュー作品の「奇妙な廃墟」を除いて全作品諳んじられるくらい読み返している。「奇妙な廃墟」を読んだら、目標を失う気がして人生の最晩年に取っている。そして古文の授業で読んだ保田與重郎先生、江藤淳先生、福田恒存先生と読み、91年4月以来精神的には豊潤な人生を送れている気がしている。
僕の高校生活、しかもある時の古文の授業があとあと大きい意味を持ったとは今も信じられない。その奇跡に感謝しかない。
息子がこの3月に僕と同じ高校を卒業した。
おめでとう!
でも僕が本当に言いたいのは「この3年間あるいは中高一貫だったので6年間の評価は定まった訳ではない。」ということ。
もちろん部活での勝敗や試験の結果などの過去を変える事は出来ない。
でもそこで過ごした時間、キャプテンとして体を張ったラグビー部での想い、悔しい思いや経験もあったはずだけど、それを乗り越えてあるいはそれを昇華して次の路に活かしてほしい。
僕は高校を卒業してからの方が高校に教えてもらったと思っている。
タケル、あえて言うけど頑張れ!
俺もお前も本郷魂があるじゃないか!