一人で考えている時間
独りだと考えている時間

同じ読みなのに、全然違う。



全てが遅れてる。あせればあせるほど、身体を動かす能力が流れ出ていくみたい…そろそろ、前をしっかり見据えていかなきゃいけない今日この頃なのに、何で自分はここで足踏みしているんだろう?それは、きっと、前に進みたくないから&前の進み方がわからないから。

わからないなら、習えばいい!わからないから、学べる楽しみがあるんだ!わからないから、小さな幸せを感じるんだ!最初は誰だってわからないものだから!!!

今、日記を書きながら、浮かんだ言葉。こうして、浮かんできたのなら、まだ自分の中でそう思っている部分があるんだ、と安心する。それと同時に、ここまで遅れてしまった自分の状態をどうまき戻せば良いのか…どうやって対価を払えばいいんだろう。好きなことを職にするのはとても大変でなおかつ満足することだと思う。そう思うと、自分はどれだけ今進んでいる道のことを検討したんだろう?あまり、考えずに、ただ単に「自分の学んだ素晴らしいことを人に伝えたい!それで得してほしい!」と思って進んできただけ。そんな甘いことだけじゃ進めない険しい教員職。それと同時に、そこにも希望が詰まっているわけで…

きっと、頭ではわかってるんだ。なのに、過去(いま)までのツケが回って、現在(いま)がとても大変。

・夏期講習にまだ登録してない
・レッスンプランを当日に書く
・TEプロジェクトが後押し気味
・生徒に厳しすぎる事が増えた
・卒業式事態が不安へと変化

まだまだある。けれど、学校と教員職に関するのはここらへん。どうするつもりなのかわからない。今まで、なんとなくできたから…そう考えてみると、これがホントの甘やかされて育った子供の成り立ちなのかもしれない。他の人が考えてくれる、いつも助けてくれる人がいる、絶対に自分はできる!そこらへんを、ほとんどの努力や根拠なしに口走るのは、甘えている証拠だと思う。何も努力してないのに、できる!!って言っても、ただのうわ言にしか聞こえない。


過去を振り返ってはいけない。常に前を見て進め!そう言ってくれる母に申し訳ない。いつまでも、傍にいて、いつまでも、私の失敗を大丈夫!にしてくれない。自分の足で立つしかない。今まで、立っているつもりだったのが情けない。ずーっと座って、人が自分にお菓子を持ってきてくれるのを待つ子供の様に、甘え上手にしかなっていない。人に好かれることがは大事。でも、職に就くということは、ただすかれるだけじゃ成り立たない。一人で生きていく術を自主的に見につけていく努力をしない限り、結果として、独りになってしまう。どんなに信頼できる人がいても、心の中で孤独を感じちゃうはず。独りじゃないのに、周りがあまりにも煌びやかに輝いて見えてしまう心のフィルターが孤独を誘う。


羨ましがるなら、自分も、そうすればいいのに!今まで、目標立ててはがんばっていたし、これからだって出来る!


中学から高校にかけて、本当にがんばっていた。ある意味、この短い人生の中での、プチ黄金時代。自分に自信を持って、自分は何でもがんばれば出来るすごい子だ!と信じて止まなかった。希望大学に入れず、しぶしぶ短大に入ってから、その自信を取り戻すのに必死。四年大学に編入してからは、なぜか、甘えた暮らしが始まった。今、振り返ってみると、何が違う?それは、短大まで実家に住んでいたこと。四年大学での2年間と現在の大学院生活は、親元を離れて、ルームメイト達と暮らす毎日。自由を手に入れた!今までがんばってこれたから、さぁ、一人でがんばってすごい人になってやる!

そう思っていたのに、なんで、ここまで落ちたんだろう?実家に帰るたび、家族に、どうした?と言われる。自分でもどうしたのかわからない。いや、きっと、わかってる。自分は、一人で生きる術を装備しているつもりでいただけ。


なら、学べ。なら、また、がんばれ。なら、どうして底にいる?
早く底からよじ登れ!


なんで、自分は独りになりたがるんだろう?まだ甘えている証拠にしかならないのに…自分は独りじゃないのに。一人で考える時間を大事にしなきゃいけない、と周りは言う。自分は、誰かといるから輝けるのに、なんで一人になると趣味すら見えずにネットに魂を吸われてしまうんだろう?


こうしてる間に、もう行く時間。

今日の自分は、昨日より素敵な先生。
今日の自分は、絶対に大丈夫。



まだがんばれるから、がんばる。
呪文のように唱えれば、独りじゃなくなる。