250words | Y

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「Joint World Congress of ISPGR and Gait & Mental Function」


2年前に秋田県で開催される予定でしたが東日本大震災の影響により今年へ延期となりました。


この学会にエントリーしたいのですが、Abstractのword制限が250。


この壁を超えるのに苦労しました。


例えば
・自分の考えを300字以内に示しなさい。
・あなたの感想を100字で述べなさい。
・いまの気持ちを単語1語で表しなさい。


こんな命題に直面したとき頭フル回転になりますよね。


私たちってある程度言葉を表出するのに制限なんて設けないので好き勝手喋ってるわけです。


ある日突然こんな制限が法律で義務づけられたらどうしましょう(あるわけないが)。


自分の考えを表出するので必要最低限で述べることの難しさと大切さ


プロ野球でサヨナラホームランを打った選手がお立ち台で「最高です!」なんてよく言いますけど、テレビをみて試合経過を知っていれば「最高です!」に共感できるでしょう。


いきなりテレビをつけて「最高です!」なんてフレーズを聞いても共感できないでしょう。何が「最高」なのか分からないから。


話を戻すと、明確に自分の考えを伝えようとするとき、回りくどい表現は避けるべきです。逆にシンプルすぎると相手に十分伝わらないという危うさを含んでます。Abstractにしてもarticleにしても、その経過を知らない人がみるわけですから。


そもそも語制限が250字が適切なのかどうか知りませんが、この字数制限を守る作業を行うことで、「言いたいこと」と「言わなくていいこと」が自分の中で明確になってくる。
そして、そのゴールは経過を知らない相手がその文章を読んで内容を理解してくれること。


この「自分の中で明確にする」ための作業として、私はプリントアウトして赤ペン持って自分で添削してます。PC上で確認しても明確になってこない。PCは便利だけど「かな→漢字」変換するのも自動、文章も予測機能があったりで、Visual的に判断するだけになってしまいがち。なので確認作業にならないんです(私の場合は)。最終的には共同研究者に添削してもらいます。英語ができる人にみてもらわないと・・・(泣)


こんな論文をツイッターで拝見。


「China’s language input system in the digital age affects children’s reading development」

中国において電子通信機器によるタイピング入力はreading能力(読み書き)と負の相関関係にあることを報告した論文。携帯電話、スマホには文字入力予測機能たるものがあるのでこういったリスクはある程度懸念されてますよね。スマホなどのデバイスは私たちに大変な恩恵をもたらせてくれました。それ1つあれば検索手段にも通信手段にもなる。凄い便利です。しかしそれと引き替えに非言語IQはnormalだったけど文章読解力は落ちてしまう。何でも便利さに「依存」してしまうのは恐いことです。この世から手書き文化が消滅すれば問題ない(?)のかも~(ありえない)




・・・何を書いてましたっけ?



ということを踏まえ、ある程度の制限は自分が表現したいことを明確にする上で一役買ってくれてるんですね。自由過ぎると脱線しちゃいます。


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