なぜ、心の科学は難しいのか? 意識のハードプロブレム | 量子・感情エネルギー変換メソッド|カウンセラー養成講座

なぜ、心の科学は難しいのか? 意識のハードプロブレム

●なぜ、心の科学は難しいのか? 意識のハードプロブレム

こんにちは。綿貫 憲です。
心の科学と向き合って長い時間が経ちました。

今日は、「なぜ、心の科学が難しいのか?」書きたいと思います。

意識体験はこの世で最も親しみ深いと同時に、最大の謎です。

ここで言う意識とは、体験の主観的な質を指しています。
(他の意味で使う時は、それを書きます。)

神経科学、認知科学、脳科学の最近の進展は注目に値しますが、意識体験の謎については、ほとんど解明が進んでいません。

意識の事を語る前に、これを書いている私のスタンスを書きたいと思います。

最初に、最も重要な事、それは、

「意識にまともにとりくむ」

という事です。

なぜなら、最も安易な道は、それをないものとすること。あるいは、それを別のもので定義し直して、機能面での説明に終始することだからです。

2番目に大事にしている事、それは、

「科学にまともに取り組む」

という事です。
物理学、神経科学、認知科学、脳科学など、それぞれの領域の各成果は、認めた上で、どれとも矛盾のない説明を求めます。

そして、第3のスタンスは、

「意識は自然現象である」

ということです。 意識は、人間全般にみられ、他の種にもみられそうな現象です。 

意識と言う現象があること、そしてそれが、自然現象であることを否定することは逆に難しいです。

すなわち、自然科学の対象になりえます。

私の第4のスタンスは、意識体験の中の特に、「痛み、苦痛の解明」に特化して研究を進めていることにあります。

第4は個人的な事柄であり、最終的に、クオリア全般が見えてくることを狙います。

これらのスタンスの中の1~3は、多くの脳科学者、認知科学者、哲学者、神経科学者とも共通していると思います。

では、本題の

「なぜ、心の科学が難しいのか?」

「主観的な意識体験の科学が、なぜ、難しいのか?」

についてです。理由は2つあります。

第1は、意識は直接測定ができないこと、観測できないので、データがないことです。

測定・観測とは、主観を排除する行為なので、主観的な意識体験の客観的な測定は、原理的にできないのです。

第2には、特に多くの脳科学者にとって、心には、実在論的基礎がないので、心を扱う必要性がないことがあります。

「心を考えなくても脳のニューロンは記述できる」

と考える脳科学者は多いのです。

まとめると、心を科学することが難しい理由は、主観性を持つ、観測者依存のクオリアを観測できないだけでなく、客観的に説明する必要性がないからです。

例えば、茂木健一郎さんは、以下の本の中でも脳科学者としての苦しい立場を語っています。



クオリアとは、ステーキの匂い、はっさくの味、ヴァイオリンの音色、バラの赤さ、くしゃみをする時の何とも言えない感覚など、知覚を構成する基本要素のことです。

脳科学、神経科学、認知科学、これらはどれも重要ですが、どれも単独では意識体験、つまり、クオリアをきちんと扱うには、力不足であり、本当に取り組むべき事から、焦点がぼけてしまいます。

しかし、私は、本当に役立つ意識の理論を欲しています。

そして、それは本質的に科学的な主題です。これについては、あらためて書きたいと思います。


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