発症から2日目。
父が朝方、兄、義姉さん、私の3人に話をした。
父「お母さんは、機械につながれて生きることを嫌がっていた。今日の様子を見てもし希望がない状態だったら、楽にしてあげたいと思う」

そして私と2人になったとき父が「お母さんから、棺桶は高級なものでなくていい、あなたが手作りしてくれた棺桶がいいって言われてたんだよな」と。
父と私の2人。とにかく絶望しかなかったんだろうなあ。早く楽にしてあげたいってことしか頭になかった。なぜか私たち、冷静で。「棺桶ならやっぱり木材だよね、ホームセンターに行けばいいかな、どれくらいの時間で作れるんだろう」なんて話してた。

そして父と私の2人が先に病院に行くことになり、その時に父に言った。
「母は目を開けたりしていたから、多分物は見える。最後、呼吸器の電源を切るにしても、母にそうする意思は伝えよう、紙に書いてそれを見せようよ」と。
そして『もういいか?』(今思えば『何がいいの?』って感じだけど)ってなるべく大きく書いた紙を父が持って母に会いに行った。
すると、その時母はぐっすりいびき欠いて寝ていて、目を開けなかった。その意思を伝えようとしたのに。

残りのメンバーが到着し、朝8時Drから説明。

Dr「実は、昨日から状態に変化がありました。自発呼吸が戻りつつあり、くも膜下出血の出血が洗い流されつつあります。また血圧も安定し始めました。心臓の状態も肺の状態も少しですが、回復しています、今なら手術できます
というわけで、急遽手術ができることに!
手術前に母に会いに行くと、母は両手を動かし、自分で起き上がって帰ろうとしていた。父の方に手を伸ばして。。。

手術に向かう母に偶然会えたのだが、その時の母。母の弟である叔父が母に「よっ!」と声をかけると、両目は叔父さんの方を見つめ、母は大きな欠伸をして、自分の舌を使って一生懸命呼吸器を抜こうとしていた。意識がないのに、すごいね。
手術は4時に始まり、0時30分に終了。
そこでまたDrから説明
Dr「無事にクリッピング術はうまくいきました。出血もなかったため、輸血もゼロ、脳の腫れもなかったため、頭蓋骨も元に戻しました。それでもこれからは脳の血管が縮まる時期に入ってくるので予断は許しません。また、お母さんの場合は、心臓や肺の状態も不安定なので、全身管理をしていかなければなりません。覚悟だけはしてください。手術に伴うリスクはほとんど発生しなかったものの、くも膜下出血を発症した際に脳のところどころに(両側頭葉、右後ろ)脳梗塞が発症したのではないかと思われます。今のところ手足の麻痺につながるような障害にはつながらないと思われますが、これからの合併症によります」」
っていうか、不安は不安だったし、もう逃げられるものなら逃げ出したかったけど、無意識にでも母が頑張ってる姿に、もう大丈夫でしょ!!回復するしかないでしょ!って思ってた。

この手術の時、母の弟である叔父が来てくれていたのだが叔父いわく

倒れてもうだめだ、亡くなってしまうっていう状態から、病院に運ばれ、病院で手術ができないといわれたのに、手術ができるようになり、術中に亡くなる可能性が高いって言われていたが、手術も無事に終ったんだから、もうよくなるしか道はないんだ!!」
この言葉は本当に励ましになった!