我が家に新しくきた怪獣との毎日の格闘は相当大変ですが、でもそれなりに楽しんで毎日過ごしています。
でも、何かあるたんびに母のこと、思い出すのは変わりませんが笑

母のことを書いてきたこのブログをなかなか更新していないのにも関わらず、色々な方が読んでくださっているので更新、少しずつでも頑張って行こうと思います。ありがとうございます。

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2012年7月の夜10時
母は自宅にててんかん発作を起こした。
実はその日の夕方まで数日間我が家に家出してきていた母。

父との生活が息苦しいと。父の制止を振り切って新幹線を乗り継いで遠い我が家まで一人で移動。。
さすがに駅までは迎えに行ったけど、この行動力とそして、一人で移動ができることにびっくり!
弟にも2011年の年末以降会っていないので、会いたい。と
我が家ではカラオケに行ったり、ピザを食べたり、一緒に買い物に行ったり、そしてまた新幹線に乗って弟に会いにいったり、母のやりたいことをなるべくやってあげるようにした。きっと実家では父にあれしちゃだめ、これしちゃだめと抑制されているだろうから、少しは母のストレス発散になればと思って。。
前までは飲んでいなかったお酒も飲んだり、薬も飲み忘れたりと少し心配はしてた。
でも本当にてんかん発作を起こすとは思わなかった。

実家に帰宅後、早速父とケンカをしたため、一人で30分歩いてカラオケに行くと夜、母から電話があった。
父に「後ろからついて行って」といっても、父もだいぶ疲れていたようでついて行けないとのこと。
携帯のGPSで場所を確認しながら、カラオケ後無事に家に帰宅したことを確認し、私はほっとしてた。
すると数時間後、父から電話。
「さくら!お母さんがまた倒れた!意識がない!今救急車呼んだ!○○(母の名前)~しっかりしろ!!」
その時は電話を切ったが、その後病院から父より電話。
「てんかん発作だったらしい。意識は戻ったけどまた救急車の中でも発作を起こしたんだ。今日はとりあえず入院だ」

心配だったので、翌日実家へ帰ることにした。
翌朝、病院でふてくされて点滴を打っている母。
父に「どうせ、私なんか死んだらいいってあなた思ってるんでしょ」
父「そんなことないよ!あ、さくらだ!!ほら、さくらが来たよ」
というと満面の笑みで出迎えてくれた。
「さくら~!心配かけてごめんね~来てくれたんだ~」

Dr曰く。
●くも膜下出血後傷がついてしまった脳がてんかん発作をおこし、今回は重責発作という何度も繰り返す発作だったとのこと。
●薬を変えて点滴で血中濃度が一定になるまで入院とのこと。
●今もまだ異常な脳波が見られるので数日はかかるとのこと。
●てんかん発作でも1度起こして意識を戻す場合は、特に心配はないが、今回のように繰り返す場合は救急車を呼ばなければならないそうだ。ただ単純発作の場合は、声がけをしたり身体を揺らしたりせず発作の時間を計りながら見守ることが大切とのこと。
●今後発作が起こった時に転倒してケガをしたり、お風呂で溺れたりということが心配なので、誰かがやはり一緒にいる状況が望ましいとのこと。
●今後の生活で発作を起こさないように気をつけることは
①飲酒を控える(できればしない)
②薬をきちんと服用し、血中濃度を安定させること
③疲れすぎないように、睡眠もしっかりとること
④ストレスをためないこと
等々説明があった。
とりあえず、入院生活が終ったら今後のこと、皆で話さなければと思った。

てんかん発作を起こした割には、多少気持ちの変動に波があること、尿意を感じにくくなったっぽいこと以外は至って前と変わらなかった。ただ、入院生活が長引くに従って、母のストレスは限界に。
母「もう、帰る!」
さくら「いや、まだだめだよ」
の押し問答を何回か繰り返し、私も精神的に疲れて来ていた。
Drに相談して、このまま入院生活を続けていると逆に母にストレスだから退院させてほしいと言った。
Drはあまりいい顔はしなかったけど患者からの希望なので仕方なく、退院となった。

退院後は母、とても嬉しそうで、何より元気そうだった。
色々な母の希望をなるべく「だめ」と言わない私も母の生死に関わることなので薬のこと、アルコールのことは口をすっぱくして母に説明した。
母も納得してくれ、薬も忘れないよう100円均一でピルケースを買って来て自分で管理しようと頑張ってくれていた。
時々、薬を忘れることがあったり、たまーにアルコールは飲んでいたけどこれ以降母もとても気をつけてくれて、てんかん発作を起こすことはなかった。