山口さん通信
今日は、山口さんの親戚のルイ君が綴ってくれます。
高校生が見て感じた今を皆さんも感じて下さい。
そして、自分には何が出来るかを探して実行して下さい。
皆さんの体温が伝わる行動が、復興の第一歩です。
最近思うんです。
復興って、現地が復興するんじゃなくて、僕らが復興させるんじゃないかと思うんです。
物質的な問題だけじゃなくて、意識的な所がこれから一番大切だと思うんです。
日本の義援ブームは終焉した今、凄い瞬発力で集まった義援の想いを、被災地の皆さんに届けてからの持続力こそが、これからの復興には一番必要だと思うんです。
今だからこそ。
皆さんの力が必要だと思います。
それでは、山口さん通信
ルイ君編です。
僕は宮城県名取市に住んでいる高校1年生です。
震災の影響で高校のスタートが2週間遅れ、やっと最近慣れてきたところです。
さて、 地震発生の日は中学校の卒業式で、午前に式を終え午後に遊んでいる時に地震に遭いました。
卒業式2日前にあった高校入試の最中にも震度5程度の地震がありました。
友人とは卒業式の日も起きるんじゃないかと言っていたのが現実となってしまいました。
遊びからすぐ家に帰り、家の状況を確認したあと兄と一緒に実家が心配になり見に行き、その後兄がバイトをしていたショッピングセンターのエアリに行き、そこにいる間に家が津波にのまれました。
そんなことになっているとはつゆ知らず家に帰ろうとしたところ道路は水で遮断され帰れませんでした。
母が1人家に残されてしまいました。
我々は仕方なく小学校に避難しました。
その後、母とは連絡が取れ無事が確認出来ました。
避難した小学校にはすでに多くの人がいて、ただただ呆然と外を眺めていました。
その夜は、音楽室で寝ることになりました。
先生方はピアノをテーブル代わりにし臨時の職員会議をしていたのを鮮明に覚えています。
度々余震が起こると先生方は生徒に声を掛けていたのも覚えています。
夜遅くに市の職員が防災無線を持ってやって来ました。
無線でやり取りしているのを聞いていると各地区の被害状況が分かりました。
完全に浸水してしまった地区や、物質が足りない所など被害の大きさが聞いて取れました。
その後、硬い音楽室の床の上に毛布一枚に身を包み一生忘れることのない1日を振り返って寝たのです。
地震発生当日を振り返ってみました。
後編は近日中にUPします。