山口さん通信
今日の山口さん通信は、山口さんの友達のみっちさんが綴ってくれます。
大切な時間を大切な人と過ごす事の尊さ。
先の見えない不安な今を必死に生きてる事
それは皆が一緒
でも、確実に僕より厳しい今を生きてる仲間が居る。
一緒に戦うなら
今をもっと頑張ろう。
間違い無く便利で、過ごし易い東京で、今をもっと懸命に目一杯戦う。
それが僕らが出来る復興への第一歩だと思う。
それでは山口さん通信
みっちさん編です。
津波の被害にあった叔母の話です。
私の祖母の家は仙台市若林区。
市内で最も津波の被害があった地域です。
車で避難した祖母と叔母は、避難場所の小学校へ向かう途中渋滞で進まず、少しでも高い場所に移動しようと車から降りた直後津波に巻き込まれました。
叔母は流されながらも祖母の手は絶対に離さず、流された先で、自衛隊の方に救助されたそうです。
声を掛けられた時
叔母は必死に「(手を繋いでるのは)母です」と伝えたそうですが隊員からお母さんはダメです。と言われ意識を失ったそうです。
搬送された病院で3日位経って意識が戻り病院で過ごすうち、連絡の取れない家族に対して、看護師や周りの患者に「何でこんな大変な思いをしたのに誰も探しにこないの」と毎日不満を言っていたら「死んでるかもしれないでしょ!」とある看護師さんに言われハっとしたそうです。
情報が入って来ない為に、家族がどういう状況かも分からなかったし、考えることも出来なかったそうです。
携帯を隣のベッドの方から借り、ようやく私達家族に叔母の無事と、祖母の訃報が知らされました。
地震から10日を過ぎた頃です。
祖母は自衛隊に発見された後、利府のホットハウススーパーアリーナ(ミスチルや小田和正等もコンサートを開いた大ホールです)の遺体安置所へ移送されていました。
母達は何度も足を運んで探しましたが遺体は何百とあり、水を含んで顔が腫れている為、肉親でもなかなか見つけられないのです。
数ヶ月前転んで縫ったおでこの傷で祖母と判明しました。
亡くなった事は残念だけど見つかって良かった、叔母が生きてくれて良かったいう気持ちです。
ただ、叔母はしばらくは別の場所に避難していたらと自分を責めていました。
それから、自分の娘から、荷物とかお財布とか大丈夫だったの?と聞かれ
「生きてるだけでも大変だったのに何でお金の事なんか言うの?!」
と悪気がない些細な言葉に過剰に反応してしまった。
と震災から2ヶ月程経って振り返り話してくれました。
私は今、転勤で東京に来てます。
先月の連休に帰省し、
「東京でも頑張りなさいね」
と自分より大変な想いをした叔母が応援してくれました。
何か私の方が力もらった感じです。
東北で頑張ってる人達の気持ちは離れた場所にいる私達の活力になり、それがまた被災地の皆さんの力になっていければ良いですね!
飛成です。
これは小説でも無いし
映画でも無い
つい先日の話
忘れてませんか?
義援フィーバーに沸いた東京
義援はブームで良いのかな?
俺は皆さんの反応を待ってます。
同じ日本人として
一緒に戦う事が必要な今
何もしない自分で居たら生まれっぱなしな気がして仕方ない。
小さな発信だけど
続けて行きます。
被災地は
まだまだ被災地です。
忘れない。
こんな当たり前を心に刻もう。
深津飛成