山口さん通信
女子格闘家で、現在は女子ボクサーの角田紀子選手が、8月7日のA先生の通信を読んで、ハエ取りリボンや、虫さされの薬などを送ってくださいました。
昨日、先生へ渡してきて、今日石巻に着きます。
石巻で物資の必要な仮設住宅を確認して届けられるそうです。
先生も、支援してくださった方にくれぐれもお礼申し上げてください。本当に有り難うございます!
といっておられました。
あたたかいお気持ちに感激しています。
仮設住宅の方々もたいへん助かると思います。
ありがとうございました。
山口
そして今日は、山口さんの友達の東十条さんの友達の仙台在住のMさんが綴ってくれました。
徐々に我が広がって来てて良いですね!
これからも輪を広げ、東北の皆さんが体験した震災の声を発信して参ります。
色褪せちゃダメな事。
過去の話にしなきゃダメな事だからこそ、今は徹底的に向き合わなきゃダメな事。
小さな発信ですがずっと山口さん通信を続けます。
これを読んでくれてる東北の被災者の皆様
もし発信したい事がありましたら送って下さい。
小さな発信ですが、僕が発信します。
小さな発信ですが、確実に大きくなってます。
これからも山口さんと手を結んで、しっかりと発信して参りますので、是非とも声を残して下さい。
どんな言葉も被災地で戦う皆さんに届きます。
山口さん通信への書き込みは、山口さん通信の内容にそった物でお願い致します!
この小さな発信を、皆さんの力でもっと大きく育てて下さい。
それでは今日の山口さん通信です。
震災当日、私は仕事中でビルの6階にいました。
会社の中はコピー機やデスクがひっくり返り、壁も剥がれていました。
外は大パニック。罵声やクラクションが鳴り響いてて、吹雪、晴天、吹雪…と目まぐるしく雲行きが変わり、映画を見てるみたいでした。
帰路についた18時には真っ暗。街灯もなく家も店も停電。電線は切れ、壁は落ち、信号も停止。交通機関は麻痺。徒歩の帰宅者たちの波。
会社の中では「ジェットコースターみたいだったねー」なんて話していましたが、見たことがない街の風景に思っていた以上の被害を感じ恐ろしくなりました。
震災以降『絆』という言葉を目にすることが増えました。
私自身がその言葉を感じたのは近所の方たちとの交流です。
いつもはヤンチャな感じで、挨拶も交わさない雰囲気の高校生のお兄ちゃん。
『大丈夫でしたか?避難所になってる小学校なら誰でも新聞貰えますよ』
って声をかけてくれました。
聞いてみると両親は不在でお姉さんと二人で被災したとか。
お互い助け合いましょう!
って自然と言葉が出ました。
衣食住の中でも重要な『食』。救援物資だけではどうしてもバランスが崩れます。
避難所では畑を持っている方たちが野菜を持ち寄って献立を考えていました。
美味しいものを食べて欲しい!
栄養とらなきゃ!
ってご高齢の方々が頑張っていました。
私も少しばかり炊き出しを手伝いました。
正直、今までは偽善的なボランティアはやだなと思っていて…。
協力したいと思ったのは初めてだと思います。
しかし、『絆』とはかけ離れた出来事も。
私の夫が働いていたお店は震災前から自転車操業。
給料も未払い分があり…。
そこに震災。
支払われる事は諦めていたし、仕事も失いました。
ところが、2ヶ月後、東京に新店オープンの広告を発見。
“被災した地から…”
を売りにTVに取り上げられたとか。
誰かの幸せは喜ぶべき事。
でも何か悲しい気持ちになりました。
もちろん、連絡はありません。
この震災を通して様々な人と関わりました。
悲しい出来事もありましたが、自身を見直す機会や、思わぬ優しさに触れる事も。
心配してくれた友達、親戚の皆さん本当にありがとう!
ケガもなく、今を迎えられる事に感謝。
与えられた命だと思って大切に生きたいと思います。
昨日、先生へ渡してきて、今日石巻に着きます。
石巻で物資の必要な仮設住宅を確認して届けられるそうです。
先生も、支援してくださった方にくれぐれもお礼申し上げてください。本当に有り難うございます!
といっておられました。
あたたかいお気持ちに感激しています。
仮設住宅の方々もたいへん助かると思います。
ありがとうございました。
山口
そして今日は、山口さんの友達の東十条さんの友達の仙台在住のMさんが綴ってくれました。
徐々に我が広がって来てて良いですね!
これからも輪を広げ、東北の皆さんが体験した震災の声を発信して参ります。
色褪せちゃダメな事。
過去の話にしなきゃダメな事だからこそ、今は徹底的に向き合わなきゃダメな事。
小さな発信ですがずっと山口さん通信を続けます。
これを読んでくれてる東北の被災者の皆様
もし発信したい事がありましたら送って下さい。
小さな発信ですが、僕が発信します。
小さな発信ですが、確実に大きくなってます。
これからも山口さんと手を結んで、しっかりと発信して参りますので、是非とも声を残して下さい。
どんな言葉も被災地で戦う皆さんに届きます。
山口さん通信への書き込みは、山口さん通信の内容にそった物でお願い致します!
この小さな発信を、皆さんの力でもっと大きく育てて下さい。
それでは今日の山口さん通信です。
震災当日、私は仕事中でビルの6階にいました。
会社の中はコピー機やデスクがひっくり返り、壁も剥がれていました。
外は大パニック。罵声やクラクションが鳴り響いてて、吹雪、晴天、吹雪…と目まぐるしく雲行きが変わり、映画を見てるみたいでした。
帰路についた18時には真っ暗。街灯もなく家も店も停電。電線は切れ、壁は落ち、信号も停止。交通機関は麻痺。徒歩の帰宅者たちの波。
会社の中では「ジェットコースターみたいだったねー」なんて話していましたが、見たことがない街の風景に思っていた以上の被害を感じ恐ろしくなりました。
震災以降『絆』という言葉を目にすることが増えました。
私自身がその言葉を感じたのは近所の方たちとの交流です。
いつもはヤンチャな感じで、挨拶も交わさない雰囲気の高校生のお兄ちゃん。
『大丈夫でしたか?避難所になってる小学校なら誰でも新聞貰えますよ』
って声をかけてくれました。
聞いてみると両親は不在でお姉さんと二人で被災したとか。
お互い助け合いましょう!
って自然と言葉が出ました。
衣食住の中でも重要な『食』。救援物資だけではどうしてもバランスが崩れます。
避難所では畑を持っている方たちが野菜を持ち寄って献立を考えていました。
美味しいものを食べて欲しい!
栄養とらなきゃ!
ってご高齢の方々が頑張っていました。
私も少しばかり炊き出しを手伝いました。
正直、今までは偽善的なボランティアはやだなと思っていて…。
協力したいと思ったのは初めてだと思います。
しかし、『絆』とはかけ離れた出来事も。
私の夫が働いていたお店は震災前から自転車操業。
給料も未払い分があり…。
そこに震災。
支払われる事は諦めていたし、仕事も失いました。
ところが、2ヶ月後、東京に新店オープンの広告を発見。
“被災した地から…”
を売りにTVに取り上げられたとか。
誰かの幸せは喜ぶべき事。
でも何か悲しい気持ちになりました。
もちろん、連絡はありません。
この震災を通して様々な人と関わりました。
悲しい出来事もありましたが、自身を見直す機会や、思わぬ優しさに触れる事も。
心配してくれた友達、親戚の皆さん本当にありがとう!
ケガもなく、今を迎えられる事に感謝。
与えられた命だと思って大切に生きたいと思います。