今日は、私が心理学を勉強した理由の続きをお休みして、心理学教育のエッセンスを紹介したいと思います。
※過去のブログでは、心理学教育(気づき)のエッセンスを”心理分析とその考察”という内容で、紹介してきました。
こんな相談を受けたことがあります。
その方は、日々、何もする気力がないといって、相談に来たのですが、話を聴くと、自分なりに努力し頑張って、仕事のピンチを乗り越えたそうです。
しかし、待てど暮らせどチャンスが来ないというのです。
ピンチの後はチャンス有りって言うのに、私には何1つ来ない、
人生に失望しました。というのです。
私は、これを聴いて、こんな話を思い出しました。
第二次世界大戦中の残酷で、悲惨な出来事として、ユダヤ人の大虐殺の話はあまりにも有名です。
人類は、このような悲劇を事を二度と起さないように心に刻む必要があると思います。
しかし、その陰で、もう1つの悲劇があったそうです。
ユダヤ人大虐殺の大舞台となったアウシュヴィッツ収容所からまさに、奇跡的に生き残った人たちのその後の人生で、多くの人が、こんな劇的な奇跡を起こしたんだから、きっとこれからの人生は、すごいことが起こるに違いないと信じていたそうです。
神から選ばれし民だと思ったのかもしれません。
しかし、現実は、平凡な毎日で、何も変わらなかったそうで、その現実に、多くの人が、失望したという話があります。※中には失望し、自殺をした人もいたそうです。
相談者の言う、ピンチの後にチャンス有りという言葉の本質、意味をきちんと理解していれば、チャンスを十分に活かすことができ、このような状態にならなかったと思うのです。
心理分析と考察をしたいと思います。
そもそもピンチとは、誰が感じるのでしょうか?
それは、本人です。
チャンスとは、誰が感じるのでしょうか?
これも、本人です。
つまり、ピンチとか、チャンスとかは、外的状況(プレゼントのようなもの)ではなく、外的状況に対する、本人の主観的な内的状況の意味なのです。
だから、他者から見てどんなにチャンスに見えても、本人がチャンスと感じなければ、チャンスではないのです。
その逆に、他者から見てどんなにピンチに見えても、本人がピンチと感じなければ、ピンチではないのです。
人はピンチを乗り切った時に、気分が高揚します。
その高揚が、ポジティブ思考を生みます。つまり自信です。
自信は、物事などを自分は、上手くやれるように考えることができる状態のことです。
そして、心理学でいうところのプラシーボ効果も生むのです。
※心理的要因が身体に良い影響を及ぼす現象のこと。
つまり、チャンスとは、ポジティブ思考に感じる状態のことなのです。
<補足>
心理学実験で、ポジティブ思考の人とネガティブ思考の人では、出来事に対して、それをやる遂げる(成功する)確率は、ポジティブ思考の人がはるかに高いということがわかっています。
もし、相談者がこの言葉の意味、本質をきちんと理解できていれば、このような事はなかったように思います。
相談者が、ピンチを乗り越えた時の高揚感が、ポジティブ思考を生む土壌となっても、チャンスとは外的状況(プレゼント)というものだと思い込んでいたために、育むことができずに、逆に私にはプレゼントがない・・・、とネガティブ思考を生む結果となったのです。
それをチャンスだと気づき、感じていたならば、外的状況(プレゼント)を待つというような思考、行動はしなかったでしょう。
そして、もし、アウシュヴィッツ収容所のその奇跡を、特別な人間だと信じたり、後の人生に過度な期待をすることなく、その奇跡をただ感謝することができたなら、おそらく、その後の人生が、悲劇ではなく、違ったものになっていたように思います。
私たちも、この世に生を受けたことの奇跡に、気づき、感謝している人であったなら、人生が、今とは違うもになっているように思うのです。
次回、私が心理学を勉強した理由の続きを書きます。