北海道は、雪が積もりツルツル路面に車も人もすべっています。
実は、私、最近になってアイスピック持ち歩くなるようになりました。
護身用ではございませんが、いざという時には使えそうではあります
以前から腰痛が酷くて歩いている途中で痛くてしゃがみこんでしまうこともあるくらいだったのですが、卵巣がんの手術した後、あちこち体が痛むため杖を体の支えとして使い始めました。
ちなみに、この杖は母の形見です。幼少期の運動会で二人三脚などしたことのない母と二人三脚しているみたいで複雑な心境です(←プロフィール参照で)
杖ユーザーになってから初めての雪道を杖ついて歩いてみたらまず杖が滑る!
「転ばぬ先の杖じゃないんかい!」
とおもわずツッコミ入れたくなるくらいツルツル路面では滑るので、しばらくお部屋に引きこもっていました
抗がん剤の副作用による足のつま先のしびれも雪の上歩くとジンジンと痛むようになってきたので、冬場の外出控えようかとも思いましたし……どうやら冷えるとしびれは悪化するようです
それでも、わかる方にホーマックで杖の滑り止め用のアイスピックを買ってきていただいて杖に着けていただいてからは、おそるおそるお買い物などへ出かけるようになりました。生活費の節約のためにはポイントたくさんつく日に最寄りのコープさんへ特売品や見切り品を買いに行かねばなので!
病院で痛み止めいろいろ変えていただいているのですが、効いてる感がない…腰が痛い
湿布も貼ってるけど、ちょっと台所で食器洗っただけで痛くなってしまって、その後座り込んでしばらく動けません
抗がん剤治療は終わったけど、CT検査はまだ予約日が先なものですから、腰の痛みが骨転移のせいだったらどうしよう?とか考えてしまったりしています。
実際に、うちの故人となっている父は肺がんからの腰椎転移でかなり痛がっていましたから、私も骨転移していたらやだな…TM NETWORKのライブ行きたいから骨転移は勘弁して欲しいな…とか思ってしまいます
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杉本梢さん、ユーチューブ動画のクリスマスライブありがとうございました(^^)
私は卵巣がんで手術してから腰痛や下腹部の痛み、抗がん剤の副作用による足のしびれや痛みの緩和のために体の支えとして杖をついて歩くようになったのですが、杖を取り落としてしまった時拾ってくれようととっさに動いて下さるのもバスで席を譲って下さるのも高齢者女性の方だったりするので、本当に体がつらいのでありがたくはあるのですが同時に申し訳なくも思ってしまいます。
たぶん、高齢女性の方は、自分の親や義父母の介護などを経験されてきてそういう気遣いが自然とできるようになっていたり、自分自身も年のせいであちこち痛いところもあったりしてつらさがわかっているから、他の人にも優しくできるんだろうなぁと思ってはいるのですが……。
元気だった頃には、高齢者の方に席を譲らなければと思っていたのに、逆に高齢者の方に気遣われて席を譲っていただいてしまっている今の自分が不甲斐ないです。
病気やケガによる体の痛み、加齢による体の痛みや関節等の可動域の低下が実感としてわからない若い世代や健康で元気な方々にはわからないのかもしれませんが、高齢者の方が体の具合が悪いように見える人に席を譲るのをなんとも思わず無関心で座っていられる人たちが多数派なのかも?これは心のバリアフリー広めていかねばです
私に席を譲って下さった高齢女性に席を譲って下さる若者が一人もいなかったことを残念に思いました。
ちなみに、男性は席を譲るのも譲られるのも嫌がる方もいるので難しいです。
プライドの高い高齢男性の場合は年寄り扱いされるのを嫌う傾向にあるため、「おじいちゃん」という声がけはしない方が良いです。
本当に自分はもうじき降りるので席を譲ろうと思った場合は、「私もうじき降りるのでよかったらお席どうぞ」と立ちあがってから声がけするのが無難です。
声がけして断られた場合は、その席付近から離れて降りる準備をしましょう。
それと、「もう!おじいちゃんったら、照れ屋さんなんだからぁw素直にならないと損しちゃうぞ(笑)」とでも思って断られてしまった自分の心のケアもしておきましょう。
専業主婦の方であっても、家庭内で介護経験のある高齢女性の介護(話し相手やアドバイザーとしての)就職は即戦力になるので良いと思います。だって家庭内で24時間介護をしてきたある意味本物の自宅介護のプロフェッショナルなんですから。
今の高齢者の方々はお元気で就労意欲とか誰かのために役立ちたいという気持ちも強いので無理なく働ける環境があれば若者よりも役に立つこともあると思います。「姥捨て山」の昔話を思い出してみてください。あれは、お荷物とみなされ社会から捨て置かれてしまうような高齢者や障害者でも今まで経験してきた体験や知識が他の人たちの役に立つことがあるんだっていう教訓を伝えるお話です。介護者が不足している今の世の中にこそ「姥捨て山(宝の山)」に埋もれている人材活用は必要なことなのかもしれません。