自民党は政党としての寿命がきたのだと思います。
日本の歴史上、古い政党はいつかなくなり、新しい政党ができ…の繰り返しであったのが、あまりにも長い間自民党という政党は存続してしまいました。
もう、分裂して腐敗している方々には賛同できないという人は新党結成した方が良いのではないのでしょうか?
今、(党)箱推しして与党にしても大丈夫と思える政党がありません。
私は、個人で推せる人がいたら応援するという方向性でSNSやテレビでの発言、国会中継での発言などをチェックしています。
残念ながら、私が投票できる地域から出馬して今国会議員になっている方は推したいとは思えないので、応援したいと思える人が次の選挙では出馬してくれることを祈るばかりです。
私の肺がんで亡くなった父は、自民党員でした。
パーティー券たくさん買わされても、学生時代の友人知人のいない土地で農家のおっちゃんやってた父はパーティー券を他の人に売ることができなくて毎回困っていました。
そして、毎回他の人に売れなくて残ったパーティー券の代金は父は自分一人で背負いました。
そのお金がどこから出ていたかというと……学費でした
私には中一の時から行きたいと思っていた大学があって、両親にもそれは話していました。
小さい頃から高校卒業するまでずっとお年玉は親に預けていたので、学費のために貯金していてくれるものと信じていたのですが、使い込まれてしまいました。
私のお年玉貯金も学費のために早くから掛けていた養老保険も自民党のパーティー券代として消えていったのでした。
高三になって、
「うちにはお金がないから大学はあきらめて欲しい」
と私は言われました。
せめて力試しに第一志望の大学受験だけでもさせて欲しいと頼んでみても、
「合格してしまったら行きたくなるからダメだ」
と言われました。
「短大二年間だけならなんとかするから…」
と言われて私は泣く泣くずっと行きたかった大学はあきらめて親の勧める短大へ行きました。
私は、そんなうちに育って国会議員が長靴履いて自宅へ挨拶にくるのは当たり前のことと思って育ってしまったのでしたが、それは当たり前のことではなかったんだと気づいたのは大人になり父が亡くなった後のことでした。
父が亡くなった時には何もしてくれなかったくせして、地盤を息子に継がせることにした時には、息子と二人そろって長靴履いてうちまで挨拶にやって来た地元の国会議員。
真新しい父の位牌が増えた仏壇の前で手を合わせることすらせずに、玄関先で挨拶だけして帰って行きました。
もう、母も私も応援する気は失せていました。
自民党はもう支援しないと決めました。
父も、
「(自民党はパーティー券売る時や選挙の応援が必要な時だけやってきて)何もしてくれない」
と亡くなる2、3ヶ月前にはぼやいていました。
生活に困って北海道へ移住してきて農業始めた曾祖父の代からの借金抱えたまま、質素倹約の暮らしをしている農家のおっちゃんに、パーティー券大量に売りつけるようなことはしないで欲しいです!!(←当時、まだ借金返済終えていなかった我が家は、農協からの借金で暮らしていました!北海道にはそういう事情を抱えている農家が多いです)
親に学費使い込まれて足りなくなって志望校への進学あきらめさせられた私にとって、自民党のパーティー券購入は「(父に)やめて欲しいと思っていた無駄遣い」でしかありませんでした。
父は、熱心な自民党員でしたけど、いいように利用されただけでした。
だから、私は、政治資金問題関連のニュースを目にするたびに、当時の悔しかった気持ちがよみがえってきてしまうし、(党)箱推しではなく応援してみても良いと思える(議員個人)推しメン探して、次の選挙までに慎重に情報収集しようとも思うのでした。
政治も推し活感覚で選挙投票へ行く若者が増えれば、何かが変わるんじゃないかと思います。
国会へ行かなかったガーシー元議員を当選させてしまったネットの力。
次は、「投票権」という国民の権利を良い方向性で活用できるように、私たち国民はよく考えて行動しなければなりません。
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【追記:北海道農家の家計事情について】
父が末期の肺がんで余命もわずかであるとわかってから、跡取り息子のいない我が家はバタバタと農家廃業のためのいろんな後始末をしました。農家はやめましたが、畑は妹が相続して地主としてよその農家さんに貸してます。
北海道の農家のお財布事情は一般の給料制で働いている人たちにはわからないと思うのでご説明いたします。
北海道で曾祖父か祖父の代あたりから家族全員で移住してきて農業始めた人たちは、(主に東北の)災害だったり、株の暴落で事業がダメになったり…といった生活困難となった事情があって新天地で農家になったという人たちが多いです。
うちは、高知県民だった曾祖父が土佐和紙の工場を持っていたのですが、株に手を出したら大暴落しまして文無しになり、北海道へ渡ってきてやったことのない農業を始めたためマイナスからのスタートで当初は借金まみれでした。
まず、家や畑や農耕馬や農具を買うために借金しました。
畑の作付けを増やすために農地改良するためにお金を使いました。
トラクターやトラック買って使いだしたのはうちの父の代になってからでした。
もちろん、その費用も借金です。農協さんから借りました。
個人自営業者である農業経営者は、農協とのお付き合いなく会社化しているところ以外は、基本的に農協に管理されているような状態にあります。
年間計画の事業計画書を農協さんに必ず毎年提出します。ダメ出しされたら農協さんと相談しながら計画書の練り直しをします。
農業経営はノープランで出来るものではないので、バカには出来ません。本当は、農業経営者になるのであれば、経営学とか、パソコン関係の勉強をしておいた方が良いんですよね。
平成あたりで借金が数千万あるという農家はめずらしくはない状態でした。うちも数千万単位の借金を抱えて質素倹約、借金返済優先!という生活をしていました。
令和になってからは一億以上の借金を抱えている農家も存在しています。
なぜなら、農業は博打だからです。北海道の畑作農家は、天候次第で大負けするリスクの高い業種なので農業続ければ続けるほど借金が増えていくという農家さんもいるんです。
農協さんにたくさん借金がある農家の場合は、基本的に農協さんからの借金である組勘というものから生活費を出してもらっています。サラリーマンでいうと月給のようなものなのですが、生活費として出してもらうお金は農協さんから借金しているってことなので、節約や節税キッチリやらないと借金減りません。
北海道の畑作農家の場合、作物の収穫のある秋にならないと収入が入ってきません。収入が入ったら借金のある農家はまず農協さんに借金返済をします。
我が家の場合は、母が貯金よりも貯蓄型の養老保険を年若い娘たちに掛けて収入の入る秋に年払いするようにしていました。保険は被保険者の年齢が若いと月々の掛け金が安く、年払いにすれば月払いよりも支払い額が割引されるため母は私たち娘を被保険者として貯蓄型保険を活用して貯蓄を行っていたんです。保険だと節税対策にもなるのである程度年数掛けておけるのであれば貯金よりも貯蓄タイプの保険を掛けておいた方がいろいろとお得です。途中解約せずに満期を迎えられれば必ず銀行の預金よりも利益が出るからです。
母が、保険をうまく活用してくれていたおかげで、父が亡くなる頃には、我が家の借金は片付いていましたし、父が亡くなった後は、父の生命保険金のおかげで母は老後の生活費も今まで通りの節約生活続けていれば困ることはありませんでした。
でも、私が学生だった頃は、我が家の家計は苦しく、保険の途中解約をせざるを得ないことも時にはありました。
父が自民党員として政治活動をやっていなければ、おそらく、もう少し我が家の生活は楽になり、借金も早く返せていただろうし、私がバイトしながら頑張れば第一志望の四年制大学へだって通えていたかもしれません。
いろいろと思うところはありますが、「北海道の農業は今より良くなる!」と信じて、自民党につくしてしまった父が今の自民党の政治資金問題を知ることなく逝ったことは不幸中の幸いであったと思います。
党員の政治活動もある意味、宗教とか、推し活とかと通ずるものがあって、はまってる時はガンガンお金使っちゃうんで、今では、父の度の過ぎた推し活だったんだろうな……と私は思うことにしております。
民主党政権時代に私が動画撮影した北海道農業の実情です。
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【1月23日追記】
画像差し替え、動画追加しました。