(はじめに)
高校生、大学生で、自分の就職や将来について考えている人は多いと思います。しかし、学生にとって、様々な職業の実際の姿を想像する事は容易ではないはずです。そこで、少しでも学生の選択の参考になれば、と考えて、銀行という職場についての紹介文を書くことにしました。

24年間銀行に勤務した時の経験、感じた事、考えた事を紹介したほか、他の銀行の人から聞いた話も参考にして、「銀行に就職するという事はどういう事か」をイメージしてもらえるようなものにしました。

長いので、9回に分けて掲載します。今回掲載の序章では、私が大学時代、何を考えて就職を決めたのか、御紹介します。

次回掲載する第一章では、私の銀行での仕事歴を御紹介します。預金課、外国為替課、調査部等々で、どのような仕事をしたのか、イメージを伝えようというものです。

第二章は、銀行員というものについて、御紹介します。加えて、そもそもサラリーマンというものについても、イメージを持ってもらえるように工夫しました。

第三章では、銀行業界の将来性について、考えてみました。戦後今までの銀行業界の歴史を振り返ると共に、30年後に銀行業界がどのようになっているのか、私なりに想像してみた、というわけです。

終章は、就職先について考える際に、検討すべき事項について記しました。これを参考にして、「後から後悔する事がないように、全力で検討」していただければと思います。

なお、内容については出来るだけ正確に書いたつもりですが、思い込みや誤解もあるかもしれません。その節はお許しください。

序章: 私の大学時代

銀行員について述べる前に、私が就職を決める際に、何を考えて何をしたのか、御紹介しておきます。


第一節 学生生活

(前半)
私は高校卒業後、都内の大学に入学しました。大学によっても専門によっても時代によっても異なるのでしょうが、私の周囲では、前半2年間は余り勉強せず、後半2年間は必死で勉強する、というパターンが普通でしたから、私も前半2年間は大して勉強もせず、サークル活動とアルバイトに熱中していました。

もっとも、僅かながらに勉強した事柄は、知的好奇心をそれなりに満足させるものでした。たとえば、当時は絶対の権力者だと思っていた毛沢東が、実は4人の裏の実力者に操られているのだ、といった事を学んだ時は、高校では学べなかった「活きた社会の現実」を学んでいるのだという興奮を覚えたものです。

法学入門という科目も、少なくとも1時間目は面白かったのを覚えています。「大学教授が毒殺された。複数の学生が、互いに相談する事なく、大量の毒を教授の杯に入れたのだ。逮捕された学生は、だれも自分を殺人犯と認めない。自分が毒を入れなくても、どうせ教授は死んでいたのだから、自分の行為と教授の死は無関係だ、と言い張ったのである。判決はどうなるか、考えなさい」というものでした。

今思えば、素人の若造が各分野の専門家(場合によっては各分野の第一人者)に自由に質問出来、それに対して彼等が真摯に対応してくれる事など、社会に出てしまえば滅多にありません。学生の親が会いに行っても会えない人々が我々青二才のために時間を割いてくれるわけですから、こうしたチャンスをもっと活用すればよかったと思います。しかし、当時は自分の置かれた恵まれた環境を特に意識せず、サークル活動の合間に授業を割り込ませていた、といった意識でした。

(後半)
大学時代の後半は、一転して極めて退屈な生活でした。法律を学んだのですが、大学受験時代と同じような感覚でした。英単語や世界史の年号を覚える代わりに、法律の条文と判例を覚え、学説を覚え、過去に出題された記述式問題に対する模範解答をひたすら暗記する、という生活でした。

卒業するだけであれば、教授が講義で話した事だけを理解して覚えておけば、何とかなったのかもしれません。期末試験は記述式なので、些細な事は聞かれませんから、過去問と予想問題に対する論点メモ(○○の問題が出たら、△△と××の点に言及すべし、というメモ)を作成し、暗記しておけば、ある程度の成績はとれたと思います。しかし、私は公務員試験を受けたので、それだけでは足りませんでした。公務員試験や司法試験は、大学入試がそうであるように、暗記した量で差がつく面も大きかったからです。

ちなみに、公務員試験では、教科書に載っていない最近の判例を覚えておく事、教養科目(高校時代の復習など)もある程度準備する事、などが比較的コストパフォーマンスが良かったように記憶しています。

勉強の話を離れて、大学時代と言えば、人生で最高の時間です。(新婚時代に次いで二番目だという人もいますが)。金はありませんが、時間は十二分にあります。問題は、その事の有難みを知るのが就職後だ、という事です。就職した途端に、ある程度の金はもらえますが、自由な時間が激減します。そこで反省したのが、時間をもっと大切に使えばよかった、という事です。

学生時代には、「暇つぶし」にマージャンやパチンコをする事も多かったのですが、どうせ遊ぶなら真剣に遊ぶべきだったと思います。「人生で、これほど自由な時間は無いのだから、思い切りマージャンを楽しもう」といった決意で遊んでいれば、就職後の反省も少しは減った筈だ、と思います。


第二節 就職活動

(興銀に就職)
就職活動に際しては、「天下国家のために働きたい」という理由で、公務員試験と興銀を受けました。興銀というのは特殊な雰囲気の銀行で、「天下国家銀行」と呼ばれていたのです。法律的には普通の民間銀行でしたが、自行の利益ばかりを追求するのではなく、天下国家のために仕事をする事を標榜しており、その御褒美というわけでもないのでしょうが、大蔵省(今の金融庁)から陰に陽に特殊な保護を受けていた、というわけです。

「天下国家」などという言葉は、いかにも「昭和の香り」のする言葉で、今の時代に相応しくないのでしょうが、当時の時代の雰囲気からすれば、それほど不自然ではありませんでした。高度成長の余韻が残っていた時代で、「日本の高度成長を牽引したのは通産省の行政指導だ」とか「天下国家銀行がエネルギー開発に取り組んで、日本を石油ショックに耐えられる国にするのだ」とか、勇ましい事を人々が平気で口にする時代でした。「官僚たちの夏」とか「不毛地帯」とか、最近のドラマから当時の雰囲気を感じた人もいたと思いますが、我々の世代にとっては、「そんな時代だったね」と懐かしく感じられるドラマでした。

経済関係だけではありません。安保闘争の余韻が色濃く残っていた時代ですから、日本という国のあり方を熱く議論したり、日本国の将来のために何をなすべきか、何が出来るかを真剣に考えていた人も多かったのです。

興銀を受けた第二の理由は、「大蔵省は予算配分を通じて、通産省は行政指導を通じて、興銀は資金配分を通じて、日本経済を望ましい方向に誘導している」と考えたからです。戦後の日本は、「低金利政策」の影響で、恒常的に資金が不足していて、銀行が膨大な借入申込の中から貸出先を選んでいました。当時、「銀行員は接待されるばかりで、接待する事は無い」と言われていましたが、それは借入申込をした企業が自社への融資を依頼するために銀行員を接待していた、という事を示すものです。こうした状況下、日本経済の発展に寄与しそうな企業に優先的に資金を廻す事は、極めて重要な仕事であるように思われ、「天下国家銀行」の役割は非常に大きいもののように思われていました。少なくとも、学生たちの間では。

実際には、銀行の資金配分機能は、当時すでに大方消滅しつつあり、我々が就職してからは、ほとんど資金配分機能を実感した事はなかったのですが、当時学生であった私には、そうした事情が読めていなかったのです。その辺りの事情は、後述します。

ちなみに、接待で美味しい料理が食べられる、給料が高い、といった事は、就職先を考える上では殆ど考慮しませんでした。時代の雰囲気もあったでしょうし、学生という「理想に燃えた年齢」も影響したのでしょうが、私も周囲の学生も、「大きな仕事がしたい」という意識が強かったように思います。その傍証としては、当時は銀行の方が公務員よりも給料が高かったにもかかわらず、公務員の方が銀行よりも人気が高かった、という事を挙げる事ができるでしょう。

就職に際しては、産業の盛衰についても考えました。戦後の日本では、石炭や繊維が花形産業でしたから、就職の人気も高かったわけですが、そうした産業に就職した人々は、当時既に斜陽産業になっていた不振企業の中で仕事人生の後半を送っていました。産業が衰退してしまうと、人材が死蔵されてしまう、という終身雇用制のデメリットが実現してしまっていたわけですが、自分もその当事者になる可能性を考えずにはいられませんでした。我々の学生時代には、鉄鋼や自動車が花形産業で、コンピューター関連が次世代の花形産業になると言われていたように記憶しています。しかし、そうした産業に就職した場合に、30年後は衰退産業になっている可能性が懸念されたわけです。

一方で、公務員と銀行は、「その時々で、最も元気のよい産業と付き合っていれば良いので、どの産業が栄えてどの産業が衰退しても、関係ない」と考えたわけです。後日談としては、銀行業界自体が勢いを失っていくのですが、当時はそこまで予想出来なかったのです。

弁護士や大学教授という職業も、人気は高かったのですが、私は考えませんでした。第一に、経済に興味のあった私は、法律を学ぶ事にあまり興味を感じられなかったのです。第二に、世の中を動かす仕事をしたいと考えていたので、世の中を動かしている大きな組織の中で働きたいと考えたのです。中央集権的に大きな組織が世の中を動かしている、という発想自体が、今思えば「昭和の時代」のものでしたね(笑)。

そんなわけで、興銀に就職することになったわけです。その後の興銀の栄枯盛衰(後述します)を考えると、この選択が正しかったのか否か、難しい所でしょうが、私は後悔していません。それは、自分なりに真剣に考えて悩んで選んだ結果だからです。就職活動を真面目にやらなかったり、志望先を真剣に選ばなかったりした場合には、結果が悪かった時に過去の自分を恨んで一生暮らすことになります。これは辛い事でしょう。しかし筆者は、運の神様を恨むだけで、過去の自分を恨む必要はありません。その分だけ、大いに気が楽だ、というわけです。

筆者は若者に「頑張れ」と口ぐせのように言っていますが、それは「頑張ったら良い結果が得られる」からではなく、「頑張れば、過去の自分を恨んで生きる必要がなくなるから」なのです。チョッと恰好良すぎますね(笑)。


(大学教育と就職)
大卒者は、高卒者に比べて、就職に有利です。何故でしょうか。企業は大学に何を求めているのでしょうか。理科系の事は別にして、文科系、特に法学部と経済学部について考えてみましょう。

一つには、大学入試という選抜試験の機能が考えられます。しかし、それだけが理由なのであれば、「大学入試の直後に企業が採用試験を行なって、大学を中退させて就職させる」という事が起きるはずです。そうなっていないのは、何故でしょうか。

サークル活動などで人間的に成長するからでしょうか。そうした面も確かにあります。就職試験の面接では、「あなたが大学時代に打ち込んだ事は何ですか?それによりあなたはどのように成長しましたか?」と聞かれる事も多いようです。もっとも、そうした質問は、学生が根暗、無気力、変人であるか否かを問う意味もあるのであって、サークル活動だけのために4年間を過ごすのであれば、企業がその4年間をそれほど高く評価するとは考えにくいでしょう。

専門科目について豊富な知識を持っているからでしょうか。皆さんは、そう思うかもしれませんが、実はそうではありません。実際に銀行に就職してみると、法学部や経済学部で学んだ知識が役に立つ事は殆どありません。憲法や刑法は全く役に立ちませんでしたし、民法や商法のごく一部は役立ちましたが、それは入行後に学べば充分なほど、少量の知識でした。経済学も、調査部で景気予測を行なう際に僅かに役に立った事がありましたが、それも調査部に配属されてから学べば充分なほど、少量の知識でした。

私の考えでは、企業が大学に期待しているのは、物事を論理的に考える能力を養うこと、考えた結果を理路整然と記して読み手を納得させる能力を鍛えること、等々だと思います。銀行幹部に求められるのはゼネラリストとしての総合的な判断力であって、個々の知識ではない、という事だからです。

そもそも、日本企業は終身雇用であるから、新卒採用は「ポテンシャル採用」だと言われています。「今現在、何が出来るか」ではなく、「鍛えれば使えるようになりそうか」という事を判断されているのです。そうだとすれば、「基礎体力」があれば良いのです。

その意味では、学部はどこでも良いのです。文学部よりも法学部や経済学部が有利だと言われていますが、それはおそらく大した理由ではなく、経済現象への興味があると思われるから(法律の多くは経済面の争いの調停です)ではないでしょうか。


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