第四節 調査部

留学から帰国して、調査部に配属になりました。担当は、マクロ経済の予測(=景気の予測)です。私は、中学高校時代から、何故か経済に興味があり、大学入試も政治経済で受験した程ですから、この仕事は大好きな仕事でした。サラリーマンが、人事異動で自分の大好きな仕事を任されるという可能性は、決して大きくありません。その意味では、私は大変ラッキーだったと言えるでしょう。余りにこの仕事が気に入ったため、それ以外の仕事に余り興味が持てなくなってしまったのは、残念な事ですが、それを言うのは余りのワガママというものでしょう。

仕事の内容は、景気を予測するチームの一員として、最初は金利の予測を、次に国際収支の予測を担当するというものでした。

景気をどのように予測するのか、という事は、話し始めると止まらなくなってしまうので、ここでは省略します。興味のある方は、拙稿「景気の予想屋はどうやって景気を予想するのか(URLはhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/9391)」を御覧ください。

銀行が何故景気を予測するのかと言えば、第一に「景気が悪化すると借り手の返済能力が低下する。したがって、景気が悪化しそうな時には貸出に慎重になろう」という事です。次に、「景気が悪化すると、金利が低下する可能性が高い。したがって、「3年定期を受け入れる事を控えて、3ヶ月定期を積極的に受け入れることにしよう。3ヶ月後に3年定期を受け入れれば、今よりも低い金利で資金が調達できるだろう」といった事です。

また、銀行は顧客から景気見通しを聞かれますので、これに答える必要があります。借り手としては、景気が拡大しそうならば材料を仕入れ、人を雇い、工場を建て、生産を積極的に拡大しようという事になるわけです。銀行の商品である預金と貸出は、他行と品質が等しいため、製品差別化が図れません。したがって、「あの銀行と取引をすると、景気の予測について教えてくれる」といった評判が重要なのです。

気に入っていた景気予測の仕事から、部内異動で金融業界の調査に担当が変わりました。仕事の第一は、大手米銀の決算内容の調査、戦略の調査です。自行の経営戦略を考えるための材料を集める仕事という位置づけです。仕事の第二は、金融制度改革を巡る議論を整理する事です。米国での議論を整理する事で、日本に於ける議論を自行に都合の良い方向にリードしていくための参考材料としたい、という位置づけです。

仕事としては、銀行の将来に直結する重要な仕事だったのですが、それ故に役員から無理難題が降ってくるなど、気の休まらない仕事でした。

調査部の時期は、仕事は結構忙しかったので、私は調査部の同期に不満を漏らした事があります。その時の同期のコメントは意外なものでした。「自分は新人時代に本店の極めて忙しい部署に配属されたので、その時に比べれば調査部の忙しさは気にならない。むしろ今は幸せだ」、というのです。

私は、調査部の忙しさを不満に感じた自分を恥ずかしいと思うと同時に、「若いうちの苦労は買ってでもせよ」という言葉の意味が(一部だけですが)実感出来たようにも思えたものです。


第五節 営業部

次の配属は、営業部でした。営業部というのは、各自が取引先を担当し、融資を行なうのみならず、当該取引先と興銀とのすべての取引について窓口になるという部署です。

(融資の基準)
ここで、銀行の融資について、少し説明しておきましょう。銀行は、借り手の返済能力を確認し、担保を取った上で融資をする事が原則です。担保とは、万が一借り手が返済出来なくなった場合に、銀行が借り手の特定の財産を勝手に処分して自行の貸出金の返済に充当してよい、という契約です。

ここまでは建前ですが、実際には新規融資の際と借換えの際は、与信判断の基準が異なる場合が多いようです。新規融資の場合には、少しでも返済能力に疑義があれば、融資を行なわない自由が銀行にはあります。しかし、既存の貸出先の返済能力が低下してきた場合、銀行には借換え融資を拒絶する自由が乏しい場合があるのです。それは、借換え融資を拒絶すると、借り手が返済不能に陥り、担保にはいっている工場設備が競売にかけられ、スクラップ業者に二束三文で買い叩かれることになりかねません。

そうなると、銀行の既存の貸出がほとんど回収できない事になります。それくらいなら、借換えに応じた上で、将来借り手が返済してくれる可能性に賭けた方が銀行としては得だ、という判断もあり得るからです。このあたりの事については、拙稿「なぜ、債務超過でも潰れない会社があるのか?(URLはhttp://wedge.ismedia.jp/articles/-/8043)」を御覧ください。

借換えの場合には、借換えを断って借り手が倒産した場合に、「あの銀行は借り手を見放す銀行だ」という評判が立つ事も避けなければなりません。そうした噂が立つと、「他の銀行は借り手の苦境に際して助けてくれるのだから、他の銀行から借りよう」と言って借り手が逃げていってしまうからです。

(メインバンク)
借り手側から見た銀行取引についても記しておきましょう。各企業は、取引銀行が決まっており、メインバンク、準メインバンクなどの順位も、借入シェアも決まっているのが普通です。メインバンクというのは、借り手が最も頼りにしている銀行の事です。普段から借入シェアが一番で、預金などの取引も出来るだけメインバンクで行ないます。メインバンクのOBを財務部長などとして受け入れている企業も少なくありません。

一方で、メインバンクは借り手が苦境に陥った時に支援するという責任を負います。支援は法律的な義務ではありませんが、多くの場合、メインバンクは応分の支援をします。支援をしないと「あの銀行にメインバンクになってもらっても、わが社が苦境に陥った時に支援してもらえないから、別の銀行にメインバンクを頼もう」と考える借り手が増えて、結局は損をする事になるからです。

メインバンクは長い取引関係を前提とした制度ですから、滅多な事では変わりません。したがって、銀行の担当者としては、引継ぎの時に、「この会社は本行がメイン、この会社は○○銀行がメイン、本行が準メイン」といった情報を最重要に考えます。自分が担当している間にメインバンク先が変わったら大問題です。自分が余程嫌われたか、他行担当者が余程気に入られたか、いずれにしても深刻な事態だと言えるでしょう。

(融資業務)
さて、融資の仕事ですが、大変に責任とやりがいのある仕事です。自分が借入申込を断れば、借り手が破産して従業員が路頭に迷う事にもなりかねません。自分が貸そうと思っても、上司を説得出来なければ、やはり借り手は破産しかねません。一方で、自分が貸し出しを実行した後で借り手が破綻すれば、銀行に多大な迷惑をかけかねません。

もっとも、真剣に考えた結果、判断したのであれば、悪い事態に陥っても仕方ない事だと諦めるしかありません。判断を誤らない人間はいませんし、数多くの判断を迫られるのですから、予想が外れる事は必ずあるからです。大事なことは、全力を尽くして行なった判断であれば、悪い結果となっても後悔しないが、全力を尽くさなかった場合には悪い結果が出た場合に後悔する、ということです。(同じことは、人生の多くの決断に関して言えます。就職先を決める決断などは、その最重要なものの一つです)。

融資を行なう際、最も気をつけるべきは、タイミングの制約です。借り手が資金を必要とする期日までに書類を整え、上司を説得し、貸出を実行しなければならないからです。一日でも遅れたら、借り手が資金繰りに詰まって破綻してしまう可能性もあります。これは、判断の誤りではなく、明らかな失敗ですから、絶対に許されることではありません。

私の担当は大企業営業でしたから、中小企業営業とは若干異なる経験もしました。その一つが不良債権のお守りです。赤字続きの企業のメインバンクとして、当該企業にリストラをさせる仕事なのですが、今ひとつ重要な仕事は、他行が貸出の回収に走らないように牽制する事でした。当該企業は、資産をすべて売却しても負債が返済しきれない状態(債務超過と言います)にありました。そうした時に、すべての銀行に「貸出金を回収しないで当社の回復を見守ってください」と頼んで回るわけです。一行でも回収する銀行があると、「それでは我が行も回収しよう」という銀行が出てきて、結局借り手は破綻してしまうからです。

銀行は、評判の悪化を恐れます。したがって、メインバンクから「見守ってやって欲しい」と頼まれた銀行は、基本的には要請を受け入れます。要請を断ったことによって借り手が破産すれば、「あの銀行と取引していると、わが社が苦境に立った時に倒産の引き金を引かれる可能性がある。あの銀行との取引を止めよう」という企業が増えるからです。

もっとも、それでも回収に走る銀行が出てくる可能性がありますから、メインバンクとしては、充分に注意しておく必要があります。細かい話はしませんが、銀行同士で「手で握手して足で蹴り合う」ような事は、珍しい事では無いからです。

営業部の時代は、超多忙でした。営業部の仕事が慣れない仕事で時間がかかった事もありましたが、取引先のリストラを指導するには取引先の業務内容を詳しく把握する必要があります。他行を牽制するためには「待ってもらえれば、当社は立ち直りますから」という説明をする必要があるのですが、赤字続きの会社が立ち直るという説明をして納得してもらうのは、容易な事ではありません。

通勤時間が惜しくて、会社近くのホテルに泊まりこんだ事もあります。余り思い出したくない2年間でした。


第六節 調査部(2回目)

営業部の仕事を終え、再び調査部に戻りました。この時は、前回の後半に担当していた金融業界の調査を再度担当することになりました。バブル崩壊に伴なう不良債権問題が深刻化しつつあった時期ですので、米銀の動向の調査、金融制度改革関連の調査に加えて、不良債権問題も担当業務に加わりました。金融産業の痛み具合が本行にどのように影響するか、といった調査に加え、住専問題に対してどのように本行として主張していくべきか、といった事を考えるための材料集め、といった位置づけもあったわけです。

この時期は、仕事の内容にはそれほど新味はありませんでしたが、係長になり、初めて部下を持った事が変化でした。問題は、調査部に於いては、上司と部下の関係が微妙な事でした。

営業部に於いては、担当者は各々担当会社を持っていますが、営業の手法、与信判断の手法などは共通していますので、上司が部下よりも優れた判断をする事が比較的容易です。従がって、上司が部下の判断を覆す事も日常茶飯事であり、上下関係は比較的厳格です。

一方で、調査部の仕事は、各担当者が担当分野の専門家として誇りを持って担当している面が強くあるので、上司としては部下のレポートに何処まで口を出すべきか、難しい判断を迫られます。もちろん、若手社員の教育や問題のあるレポートの修正などは上司の仕事ですが、営業部に比べると、上下関係はあまり厳格なものではなく、上司は取りまとめ役に近い面が強かったように思われます。

第一回の調査部の際、上下関係があまり厳格で無い文化に慣れていた私は、営業部に行った際に上司に対する態度を注意された事がありましたが、営業部で厳しい上下関係に慣れた頃に調査部に戻ってきて部下を持った私は、今度は部下の自主性を重んじなければならないという立場に立たされたわけです。


第七節 証券投資調査部市場調査課長

次の職場は、株価などを予想する部署でした。株価の予想は、個別株と平均株価の二つを別々に行ないます。個別株の予想は、企業の財務諸表などを見て、他の企業と比べて優良な企業であるか否かを判断するものです。優良な企業であるのに株価が低ければ、投資家がその企業の優良さに気づいていない可能性が高く、そうであれば将来投資家が気づいた時にその企業の株価は上昇する可能性が高い、というわけです。タイムスパンとしては、長期投資を意識しています。

一方で、平均株価の予想は、景気がどうなるか、という事が大きいのですが、それ以外にも大口投資家が株を買うか否かが重要です。株式投資を行なう際に重要な事は、「他の投資家が株式投資に前向きか否か」という点が挙げられます。「他の投資家が買うだろうから株価が上がるだろう。その前に買っておこう」という投資家が増えれば、実際に株価が上がるからです。

したがって、投資家は常に「他の投資家がどう考えているか」を知りたがります。そこで、「今週多くの投資家から聞いた話を総合すると、来週は株を買う投資家が多そうだ」といったレポートをまとめ、投資家に配ることが投資家に感謝されるのです。毎週月曜日に投資家たちにレポートを配って感謝してもらい、その週に各投資家の話を聞きに行った際に深い話が聞ける、ということで、来週のレポートが一層充実する、という事になるわけです。こちらは、比較的短期の投資を意識しています。

もちろん、自分ひとりでは出来ませんから、チームを組んで作業をする事はもちろんですが、グループ会社である証券会社の担当者にレポートを配ってもらい、その際にレポートの読者から株式投資に強気か弱気かを聞いてきてもらう、といった協力もしていました。

レポートには、投資家から聞いた話を集約した「投資家動向」を載せるほか、調査部から聞いた景気の話も載せます。さまざまな計算式を用いて「株価が割安だから買い時だ」といった分析も載せます。更には投資家の状況を独自に分析した結果も載せます。たとえば、「最近は生命保険会社の契約が好調に伸びているから、彼等が資金を潤沢に持っており、株式投資を増やす可能性が高い」といった具合です。

平均株価の予測は、景気予測と密接に関係のある仕事なのですが、実際の仕事の仕方は、全く異なるものでした。景気の予測は、発表された統計の数字を足したり引いたりする事が基本ですが、平均株価の予測は、投資家の話を聞くことが中心だからです。したがって、部署の文化も調査部とは大分異なるものでした。密接に関連する業務で文化が大きく異なるという事自体が驚きでしたが、この経験のおかげで、本業である景気予測を行なう際の幅が広がったような気がしています。

ちなみに、景気の予測を担当する人は「エコノミスト」、平均株価などの予測をする人は「マーケット・エコノミスト」と呼ばれています。「株式市場などで売買されるものの値段を予測する人」といった意味です。市場調査課という名前は、調査部とは異なり、「市場動向(市場で取引されるものの値段など)を調査する」といった意味です。似たような名前ですが、大分雰囲気が異なるという事が理解していただけたでしょうか。

私は課長でしたから、頻繁に打ち合わせを行なって担当者相互の情報交換を促すなど、担当者に思う存分仕事をしてもらえるように工夫をしたのは勿論ですが、私自身もレポートの一部を執筆し、投資家向けに説明に行きました。私が入行した頃の課長はマネージャーでしたが、その頃には課長は「プレイング・マネージャーだ」と言われるようになっていたのです。