第四節 会社員というもの

(組織の歯車)
皆さんが銀行員になるか否かは別として、就職して会社員になる人が多いでしょうから、ここからは、会社員というものについて、述べましょう。

会社員と学生の違いは沢山ありますが、もっとも大きな違いは、「学生は個々の学生だが、会社員は組織の歯車である」という点です。自分の思ったように行動するのではなく、組織の一員として組織のために行動する必要があることは、給料をもらっている以上、当然の事です。問題は、組織の方針が自分の考えと異なる場合です。自分としては違う事をした方が会社のためになると思っても、自分だけが他人と違うことをしてしまうと、組織がバラバラになってしまうので、そこは自分の判断を曲げて組織の方針に従う必要があるわけです。これは、場合によって、大変なストレスになります。しかし、それが組織というものなのです。

ちなみに、組織が意思決定をする際には、上が一方的に決める場合ばかりではなく、結構民主的に若手の意見も聴取する場合も少なくありません。しかし、意思決定方式がどのようなものであったにしろ、一度決まった方針には全員が従う必要があります。

新入行員の時に先輩に言われた事があります。「組織というのは、偉大なものです。君が組織の一員であるから、新入行員の君に大金を託してくれる顧客がいるのです。君が一人で銀行を開設したら、預金をしてくれる人は殆んどいないでしょう。君が生活出来るのは、そして仕事が出来るのは、組織の一員だからなのです。こうした利益を考えれば、組織の方針に従うことのストレスなど、我慢しなければならないでしょう。君が一人で銀行を開設した場合に得られるであろう収入と、実際に君が貰っている給料の差額部分は、自棄酒を飲むための費用だと考えなさい。そうすれば、気に入らない組織の方針に従わされるストレスなど消えてなくなるでしょう」。(ついでに、バカな上司にバカだと怒られるストレスも消えてくれれば良いのですが・・・笑。)

この言葉の意味を身にしみて理解したのは、銀行を退職してからマスコミに登場する回数が減った時です。現在の私は、興銀調査部にいた時よりも質の高いレポートを書いているのに、本の印税や原稿料などで食べていくのは到底無理です。そう考えると、調査部にいた時に貰っていた給料の半分を自棄酒(単なる飲み会?)に使っていたのは正しい選択であったと言えるようです(笑)。

組織の歯車という意味は、いまひとつあります。それは、歯車が動かないと、全体が止まってしまう、ということです。「学生が勉強をサボると自分が困るが、会社員が仕事をサボると他人が困る」という事です。仕事をサボると、多くの人に迷惑がかかります。同僚が補ってくれれば、迷惑を受けるのは同僚だけで済みますが、そうでない場合には深刻な影響がでかねません。たとえば部品を工場に届ける仕事を新入社員がサボれば、工場が止まってしまい、大変な迷惑を広い範囲に及ぼしかねないでしょう。借入申込を受けた銀行員が期日までに貸出を行なわないと借り手が倒産しかねないこと、などは既に述べた通りです。

いま一つの重要な違いは、「学生は大学の代表ではないが、会社員は対外的には組織の代表である」という事です。大学生が受験生に「合格させてあげます」と言っても、単なる冗談で終わりますが、銀行の新入行員が顧客に「貸してあげます」と言えば、銀行が融資を行なう義務を負う事になりかねません。銀行員の言葉は、銀行の外の人に対しては、「銀行を代表して、銀行の立場を説明するものである」と捉えられるのです。

銀行が貸し出さなければ、裁判になるかもしれません。裁判で勝つか負けるかわかりませんが、とにかく裁判になる事自体、銀行の評判を大変落としますから、銀行に多大な迷惑を及ぼします。あるいは、銀行は、評判が落ちる事を嫌って貸し出しをせざるを得なくなるかもしれません。

(対人関係)
学生時代は、真面目に勉強する事で良い点数を取る事が重要でした。会社員になっても、真面目に仕事をして良い成績をあげる事が重要である事は間違いありません。しかし、多くの会社員にとって良い成績をあげるために最も重要な事は、対人関係であって、個々人が机に向かって行なう仕事ではありません。ここが学生との決定的な違いです。

顧客との関係は、人間的な信頼関係が極めて重要です。顧客に好印象を持たれる事が営業の第一歩であり、顧客の信頼を得る事が成功の秘訣です。
社内でも、上司に信頼されない部下が出世する事はあり得ません。同僚と上手く協力していくためには、同僚からの信頼も重要です。部下でさえも、上司を信頼している時とそうでない時の仕事振りには差が出ます。

社内でも社外でも、「君の頼みだから、仕方ない。聞いてあげよう」と言われる事の多い人と少ない人では、長い間の仕事の実績に大きな差が出る事は当然です。その違いがどこから来るのかといえば、ペーパーワークの出来栄えではなく、仕事に対する取組姿勢、他人に対する態度、等々様々な要素の総合計です。

もちろん、対人関係の重要度は仕事の内容によって大きく異なります。したがって、職業の選択を考える際には、自分の対人関係能力がどの程度であるかを考えて、対人関係が極めて重要な意味を持つ職業を選ぶのか、そうでもない職業を選ぶのか、考える必要があるように思います。

対人関係の面で学生時代と異なる事は、他にもあります。学生時代は、原則として気のあった相手とだけ付き合えば良いのですが、会社の中では、上司や同僚や部下や取引先は、自分で選ぶわけに行きませんから、「気の合わない人々と如何に付き合っていくか」が重要な課題となります。

もちろん、如才なく対応する事が重要なのですが、明るい材料としては、「大企業に於いては定期的に人事異動があるので、同じ人と同じ職場にいる期間は、それほど長くない」という事があります。嫌な思いをしても、「暫くの辛抱だ」と思えば、それほどストレスを溜め込む事もないでしょう。

逆に、気のあった人とは、部署が離れても、様々な協力関係を作れる場合も少なくありません。たとえば「当店でこういう問題が生じたが、貴店で似たようなトラブルの前例は無いか?」と問い合わせる事が出来る相手を幅広く持っておく事は、長いサラリーマン生活で絶対に役に立つはずです。

ここで「気のあった人」とは「飲み仲間として楽しい友人」という意味ではありません。サラリーマン同士の付き合いは、原則として「ギブ・アンド・テイク」である事を忘れてはなりません。これは、個々の事例の損得というよりも、長い目で見た「損得予想」という事です。「あいつは義理堅いから、あいつに恩を売っておけば、将来何かの形で帰ってくるだろう」とお互いに思える事が「気が合う」という事なのです。いくら飲み友達でも、どちらかが「あいつは自己中心だから、あいつに恩を売っておいても将来見返りは無いだろう」と思っているようでは、「気の合った仲間」とは呼べないのです。


第五節 日本的経営について

(会社は家族)
日本の大企業は、米国の大企業と法律的には同じなのですが、実体は大きく異なっています。最近は、少しずつ米国の大企業に近づいている点もありますが、ここでは少し前の典型的な大企業の話をしましょう。

日本的雇用慣行と言われるものがあります。「終身雇用」「年功序列賃金」「会社別組合」です。日本では、学校を卒業して就職したら、定年まで同じ会社に勤める事が原則です。これが終身雇用です。したがって、会社が発展するか否かが個々人の幸福度にとって重要となります。そこで、人々は会社の発展を祈り、会社のために尽くそうという忠誠心を持つようになります。

これは、社員にとって有難い制度です。学校を出て就職する際に、「君は能力がないから」と言われて短期間で解雇されるリスクがある会社には就職したくないからです。したがって、会社にとっても「終身雇用制を採ることで人材の採用が容易になる」、というメリットがあるわけです。

全員が仲間意識を持って会社の発展に尽くす事が重要ですから、同期入社の間では余り格差をつけない事が一般的です。勤続年数を重ねることで、同期が一斉に給料が上がり、係長になるなど昇進していきます。これが年功序列賃金です。典型的な格差のつけ方は、「全員一斉に課長にする。その後、部長にするか否かは、それまでの長い間の勤務評定の合計によって決める」というものです。つまり、同期は基本的に差が無いので、仲間として気持ちよく働けますし、一方で「真面目に働けば部長になれる」という報酬が用意されていますから、若い時の同期の給料に差がなくても、真面目に働く動機は充分に与えられているというわけです。

年功序列賃金は、会社にとっても社員にとっても、都合のよいシステムでした。これは、若いうちは「会社への貢献よりも少ない給料」で我慢し、年をとってから「会社への貢献よりも多い給料」を貰う、というシステムですから、社員が退職せずに定年まで勤めるインセンティブとなります。したがって、会社としては「コストをかけて社員教育を行なっても社員が途中で退職することはない」という安心を得る事ができるのです。成長している会社ほど若い社員の比率が高く、人件費を抑えられる、というメリットもあります。

社員にとっては、若い頃は生活費がそれほど必要ありませんが、歳とともに住宅ローンや子供の教育費などが必要になります。したがって、歳をとってから給料が上がるのは、望ましい事なのです。

労働組合は、会社ごとに設立されます。これが企業別組合です。無理な賃上げを要求して会社が傾いたら自分たちの損になりますから、会社側と利害が共通する点については協力しあいながら、適度な賃上げを要求します。これに対し、会社側も、社員が会社に忠誠心を持つ事が大事ですから、出来るだけ社員に報いようと努力します。会社毎に組合があるから、こうした協力関係が保てるのです。

こうした日本的雇用慣行により、日本の大企業は「共同体」的な色彩を持っています。「社員の社員による社員のための会社」というわけです。「会社は家族」という言葉がありますが、家族は最も基本的な共同体の形ですから、これは「会社は共同体」という事を意味しているわけです。

共同体の仲間たちの間で一番出世した人が社長ですから、社長は共同体の構成員である社員の幸福を最重要に考えます。第一に首切りをしないこと、第二に会社を発展させることが重要です。株式会社である以上、株主に配当をしなければなりませんが、それは優先順位として後の方です。

(米国では社員は道具)
一方、米国の企業は、株主が儲けるための「装置」です。「金儲けの上手な人を株主総会で会長(米国企業の最高実力者は会長です)に選ぶ」事が出発点です。会長には、「儲けた分は山分けしよう」と言っておきます。そうすると、会長は儲けるために真剣に働くのです。

社員は、「儲けるための道具」に過ぎませんから、必要な時に雇い、必要がなくなれば解雇します。社員の方も、それが分かっていますから、会社に対して忠誠心を持つ事はありません。

しかし、それでも社員は真面目に働きます。それは、第一に人員削減の対象にならないためです。人員の一割カットという場合、働きの悪い社員から順番に首切りに会うからです。いま一つは、自分の実力を認めてくれる人が増えるほど、次の仕事が見つけやすくなるからです。

第一章で、私が香港にいた時の部下の話をしました。彼は、ファンドマネージャーと言って、「値上がりしそうな株について顧客にアドバイスをして、手数料をもらうプロ」です。彼は、「自分の過去のアドバイスはこんなに的確だった」という証拠を得るために、真剣に働いているのです。それにより、アジア興銀を解雇される可能性が減ると同時に、仮に解雇された場合に他社への転職が楽になるからです。

これは、プロ野球の選手に似ているかもしれません。「阪神の捕手」は、「阪神タイガースのメンバー」であると同時に「捕手」です。そのどちらを強く意識しているのか、という事です。阪神に天才捕手が入団してきた時、従来の捕手に「君のポジションは新人に明け渡して、明日から投手をやれ」と命じても、無理でしょう。したがって、彼は他の球団に移って捕手を続けることになるでしょう。したがって、彼は「阪神のメンバー」というより「捕手」という性格が強いわけです。彼は、実績を上げるために練習しますが、その目的は、「阪神の捕手として高い給料がもらえるように」という事と、「他の球団が自分を欲しがるように」という事です。この点も、香港時代の私の部下に似ています。


(日本的経営の変化)
日本的経営が変化して、米国的な面も持つような企業が増えてきた、と言われます。理由は何点かあります。

第一は、長引く不況の影響です。年功序列賃金は、経済が成長し、会社が成長している間は、うまく機能します。若い社員の比率が高いので、社員の平均給与が低く抑えられるからです。しかし、成長が止まると、若かった社員が歳をとり、高い給料をもらうようになります。成長しない企業は若手を採用しませんから、社員の平均給料がどんどん上がってしまうわけです。そこで、売り上げが伸びない中で人件費が増えていく事に危機感をもった企業は、年功序列賃金を廃止しようと考える、というわけです。

第二は、グローバル・スタンダード信仰です。バブル崩壊後、日本経済は長引く低迷に喘ぎました。一方、リーマン・ショックまでの間、米国経済は長期間にわたる順調な成長を続けてきました。そこで、「日本的なやり方が問題なのだ。米国的なやり方を真似すれば、日本経済も元気になるはずだ」という人が増えました。彼らは、米国的なやり方を「グローバル・スタンダード」と呼び、日本もこれを真似するべきだと主張したのです。

こうした声を受けて、企業の経営が少しずつ変化しました。会社が「社員の共同体から株主の利益のための道具へ」という変化をはじめたのです。第一に、企業は正社員の採用を抑えて派遣社員などを増やしました。派遣社員などは、終身雇用ではありませんし、会社への忠誠心もありませんが、給料は安いですし、不要な時には簡単に解雇できるので便利です。また、会社が儲かった時にも以前ほど賃金を上げないようになりました。以前は「会社は社員の共同体だから、儲かったら社員で山分けしよう」という事でしたが、米国的に考えれば、「儲けは株主に配当するのが当然」というわけです。

第三は、金融関係者の外資系への転職の増加です。金融関係者が多いのは、単に日本にある外資系企業は金融関係が多いからでしょう。年功序列賃金が変化して会社への期待が裏切られ、会社が共同体でなくなりつつある中で、不満を持った社員の中には、外資系企業に転職する人も増えてきました。どうせ忠誠心が持てないのならば、給料の高い外資系に転職しよう、というわけです。外資系の方が給料が高い理由は二つあります。第一は、雇用の保障をしない分だけ給料が高いという事です。第二は、優秀な社員しか雇わないので高い給料が払える、という事です。後者については少し説明が必要でしょう。

日本企業は、新卒の学生を大量に採用します。個々の学生の能力があるか否かわからない中で、平均的な会社への貢献度を予想し、その分だけ給料を支払うわけです。能力のある社員には会社への貢献よりも少ない給料が、能力のない社員には貢献よりも多い給料が支払われることになりますが、会社としては損はありません。社員の方も、入社した時点では自分の社会人としての能力はわかりませんから、平均的な給料をもらえるという保証があれば、満足します。

一方、外資系企業の雇用は、終身雇用ではなく、「要る時に要るだけ雇う」事が基本です。したがって、会社への貢献に見合った給料を支払う事が基本です。つまり、能力のある人は、能力に応じて高い給料がもらえるのです。能力の無い人は雇いませんから、結果として外資系企業の給料は日本企業よりも高くなるのです。

もっとも、日本的経営が根本的に変化する事は考えにくいと思います。理由は3つあります。第一は、終身雇用制が揺らぐとは考えにくいことです。銀行側から銀行員を解雇する事は、倒産寸前にならないと困難ですから、これは気にする必要はないでしょう。銀行員の側からの転職も、それほど増えないでしょう。過去の金融危機の時でさえも、長銀や興銀といった特殊な事情を抱えた銀行を除けば、銀行員の転職は、それほど増えませんでしたので、当時以上に銀行員が転職するようになるとは考えにくいからです。外資系への転職も、リーマン・ショック後に外資系金融機関が大量に解雇を行なったため、日本人の間で「外資系は怖い」というイメージが再確認されており、少なくとも当面は増えないでしょう。

第二は、グローバル・スタンダード信仰が後退している事です。「米国的なやり方が正しい」という論者は、GMがトヨタに敗れて倒産し、米国の主力産業であった金融業がリーマン・ショックで大打撃を被ると、黙り込んでしまいました。それを見ている経営者にも、「企業は株主の物ではなく、従業員や取引先など多くの人々のためのもの」という意識が少しずつ戻ってきているようです。

第三は、年功序列賃金制度を改革した企業が失敗して元に戻している例が多い事です。能力主義、成果主義を強調すると、社員が互いに仲間ではなくライバルになるので、相互に情報の交換をしなくなり、結果として業績が悪化する例が多かったようです。銀行のように、各人が外の顧客と応対する場合はともかく、製造業のように協力しあう事が重要な職場では、年功序列賃金が望ましいのでしょう。そうなると、銀行だけが他の業界と大きく異なる賃金体系を採る事も難しいように思われます。現状すでに、銀行ではノルマの達成状況によりボーナスに差がついていますが、今後もその程度の「成果主義」に留まる可能性が高いように思われます。