「砕ける月」第2幕 第3回 | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 村上はアタシを、病院のロビーの隅にあるコーヒーラウンジで待たせていた。
 帰ってしまっても良かったのだけれど、どうせ話を訊きに(例え、アタシの家に来たくなくても)やってくるのは間違いないし、そうすると、ただでさえ高い祖父の血圧を、致命的な高さまで押し上げることになってしまう。
 コーヒーサーバから注いだだけの薄いコーヒーを飲みながら、アタシは週刊誌を読んで時間をつぶした。店内には雰囲気を出すつもりのジャズが流れていて、かかっているのはアタシでも曲名を知っている「テイク・ファイヴ」だった。率直に言って、店の雰囲気には合っていなかった。
 十五分ほどで、村上は下りてきた。カウンターの無愛想なオジサンにコーヒーを注文して、アタシの向かいに腰を下した。
「待たせたね」
「そう思うんなら早くしてくれない。アタシ、用事があるんだけど」
「オーケー。じゃあ、訊こうか。高橋拓哉との関係は?」
「知り合いだと言ったはずよ」
「一番乗りで見舞いに駆けつけるほどの?」
「……そんなの知らないわよ。友達がいないんじゃないの?」
「確かに、あまりお友達の多いタイプには見えないね。えー、一応、彼との接点は訊いておかなきゃならないけど」
「クラスメイトのご紹介。アタシが彼氏がいないからって心配してくれるお節介がいるのよ。正直に言って、高橋さんには一度しか会ったことないのよね。あのときはホテル海ノ中道までドライブしたんだったっけ。で、アタシの留守中に家に電話を貰ってたんでかけ直したら、お母さんから入院を知らされたってわけ」
 アタシが電話をかけた経緯は、高橋の母親からすぐに知れることだから、ウソはつかなかった。ご紹介やらドライブのことは、村上を待っている間にあらかじめ考えておいたことだ。電話があったのは正確にはいつだ、ということは訊かれたが、祖母に訊かないと分からない、と答えた。
「高橋は、お前さんに何の用事があったんだろう?」
「アタシが知りたいくらいよ」
「だろうな。お前さんと高橋の間に共通の知り合いは? あ、そのクラスメイト以外で」
 アタシは首を振った。
 納得したかどうかは分からないけど、村上はそれ以上は訊かなかった。
「お母さんからは、暴行されたって聞いたけど、容態はどうなの?」アタシが訊いた。
「全身打撲で意識不明の重体、というところだ。ただ、徹底的に痛めつけてあるのに、致命傷になりそうな怪我がない。骨も肋骨にヒビが入ってるだけで折れてないし、腹は痣だらけだけど内臓破裂までは至っていないんだ。頭にも大きな怪我はなくて、ただ、コブがいくつも出来てる。多分、小刻みに頭を小突かれ続けたんじゃないかな。お前さんの蹴りみたいなので一発で意識を飛ばされるより、実際にはそっちの方がダメージが大きい。口を割らせたいときにはかなり有効なやり方だ」
「それって、拷問されたってこと?」
「と、俺は思うよ。人をいたぶることに慣れたヤツの仕業だろうね」
 アタシは身震いした。恐ろしいことをサラリと言ってのけるオトコだ。
 村上のコーヒーが届いた。一口啜って、村上は顔をしかめた。
「ヒドイな、これは」
「アンタが煩すぎるのよ。いつもアタシの淹れたコーヒーに文句ばっかり言ってたし」
「そう、よく淹れてもらってたね」
 そう言って、村上はコーヒーに砂糖とミルクを大量に放り込んだ。想像しただけでも口がベタベタしそうな量で、アタシは思わず顔をしかめた。美味しいコーヒーはブラックで、そうでない場合は甘くして飲む。やはり、昔と何にも変わっていない。
 村上は手帳を取り出し、ページを繰った。目当てのところを見つけると、水を一口飲んだ。やはり甘すぎたのだ。
「高橋拓哉、十九歳、独身。東区の舞松原に両親と一緒に住んでいるね。元パソコンショップ店員。現在は父親が経営する輸入代行の会社を手伝っている。かなりのコンピュータ・マニア。ご両親から伺う限りでは女っ気はないようだ――お前さん以外はね。何か訂正することは?」
「アタシは高橋のオンナじゃない」
「それだけ?」
 アタシは頷いた。正確に言えば女っ気はある。由真のことだ。でも、それを言うつもりはもちろんない。
「まぁ、そういうことにしておこう」
 村上は半分ほど残したコーヒーを飲むかどうか迷って、残すことを選んだ。伝票を持って立ち上がろうとした。
「ちょっと待ってよ」
 アタシは村上を呼び止めた。
「何だい?」
「訊くだけ訊いて、それで終わり? 一応、知り合いがこんな目にあったんだし、事の経緯を聞かせてくれてもいいんじゃない」
 村上はアタシの目を覗き込むように、じっと見つめた。疑うことが仕事であり習性でもある、アタシの父親と同じ生粋の警官の眼差し。
 アタシは目を逸らさなかった。村上は再び腰を下ろした。
「高橋が発見されたのは八月十一日――つまり昨日の早朝だな。雑餉隈(ざっしょのくま)のヘルス街の外れに倒れていたのを、南福岡駅に向かっていた通勤中のサラリーマンが発見して、119番に通報している。その時点では朦朧としてはいたが、まだ意識はあったらしい。全身に殴打の痕があるのはさっき話したとおり。それ以外に肘や膝に擦過傷が多く見られたことから、どこかから這って逃げ出したんじゃないか、と見られてる。今のところ、前日の夜に家を出てからの足取りは掴めていない」
「雑餉隈って博多署管轄なの? 南署だと思ってた」
 武田鉄也の実家のタバコ店があったことで有名な雑餉隈だけど、現在は西鉄の駅名とかにあるだけで、正式にはそういう地名は存在しない。それでも誰もがあの辺りを雑餉隈、または略して”ザッショ”と呼ぶ。
「だと助かるんだけどね。中洲は地回りの目が行き届いてるんで、ヘンな事するやつは少ないんだけど、雑餉隈はそうはいかない。陸自の基地が近いんで荒っぽいヤツが多いしね」
 警官の台詞とは思えないけど、中洲の夜の世界を水面下で仕切っているのは間違いなくヤクザたちだ。警察は彼らをうまくコントロールしながら、揉め事が水面に浮かんでこないように抑えているのだ。その辺りは半年の夜遊びで肌で感じた部分でもあるし、夜の商売(といっても健全な仕事だけど)をしている工藤師範代たちの会話から洩れ聞こえることでもある。
「風俗店で何かやらかして袋叩きにされた、とかじゃないの。場所が場所だし。店の禁止事項に触れて恐いオニイサンに小突き回された、とかさ」
「最近の女子高生は、何でそんなことを知っているのやら。呆れてモノが言えないよ」
「言ってるじゃないの。で、警察はどう見てるのよ」
「まだ具体的なことは把握できていないんで、早急な判断は避けているのが現実だよ。ただ、お前さんが言ったようなことはないんじゃないかな。奴さんたちも身包みくらいは剥がすだろうけど、怪我をさせて警察に駆け込まれるのは本意じゃないからね」
「あのさぁ、それって警察は何もしてないってことじゃ?」
「意外と鋭いんだね。俺みたいな窓際刑事を担当にしてるくらいだからね」
 自虐的な物言いはともかく、村上が――警察が悠長に構えている理由は分かった。被害者である高橋の意識が戻るのを待って事情を訊いてからでも、遅くはないからだ。これが(縁起でもないけど)高橋に回復の見込みがなかったり、もっと言えば死んでいたりしたら、見舞いにノコノコやってきたアタシも厳しく追求されていたに違いない。
「他に訊きたいことがないんなら、失礼するよ。他にももう一件、傷害事件を抱えてるんだ」
「どんなの?」
「契約を切られた下請けの土建会社の社長が、元請の部長を刺したんだ。これから、その現場検証に立ち会わなきゃならない」
 村上は店内の時計を見やった。そして小声で「ヤバイ」とつぶやいて、立ち上がった。
 脚が安っぽいガラステーブルの脚に当たり、その勢いでお冷のグラスがひっくり返った。
「うわっ!」
「ああ、もう。慌てるからでしょ」
 アタシは急いでペーパータオルをテーブルにこぼれた水にあてがった。村上はハンカチを引っ張り出して、自分のスラックスにかかったところを拭いた。カウンターのオジサンが噴飯やるかたない表情で、台拭きを持ってカウンターから出てきた。村上は「スイマセン」を連発しながら頭を下げた。
「何やってんのよ。昔から意外とそそっかしいのよね、アンタ」
「……返す言葉がないな」
 村上は苦笑いした。そういうときだけ、この男には表情らしきものが窺える。
 ふと、村上が手にしたハンカチに目がいった。奥さんが出来たヒトで、アタシの知っている村上はいつも糊の効いたシャツを着て、キチンと折り目の入ったスラックスを履いて、アイロンのかかったキチンと畳まれたハンカチを持っているという男だった。
 村上のハンカチは雑に折り畳まれた、毛羽立った代物だった。アタシがそれを見ていることに気付いて、村上はバツの悪そうな顔をした。
「あー、シャツとかスラックスはクリーニングに出せば良いんだけど、こういったのには手が回らないんだよな」
「奥さんとケンカでもしてるの?」
「別れた」
「ヘッ?」
「今年の初めに離婚したんだ。副本部長のお嬢さんだったんだが、上司に逆らって左遷されるようなバカのところに大事な娘は置いておけんとさ」
 アタシは何と返事をしていいか分からずに、ただ「……そう」とだけ答えた。
 村上は他に用がなければ行く、と言った。アタシはオーケー、と答えて席を立った。コーヒー代は村上の払いだった。ロビーを出て、お互いのケイタイの番号を交換して別れた。