二次創作について思うこと。 | 『Go ahead,Make my day ! 』

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【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 
というのは、ずっと以前はかなりアンダーグラウンドの楽しみだったような気がするのですが。(もちろん、著作権の関係で)
 
今でも別にその辺の事情は変わってないはずですが、わたしの乏しいアンテナに引っかかる範囲でも、そういうジャンルのものは増えてるような気がしますし、そういうジャンルから世に出る方というのもいらっしゃるようです。
有名どころですと高河ゆんさんがいらっしゃいますが、この人、もともとはかなり人気のあった同人作家でして、「キャプテン翼」とか「聖闘士星矢」、「機動戦士ガンダム」などの二次創作を手がけていたんだそうですね。(で、この人が今「機動戦士ガンダム00(ダブルオー)」のキャラクターを手がけているというのも、なんだか悪い冗談のような気がしますが 笑)
 
著作権関係のこととかは置いておくとしても、この二次創作というやつ、個人的にはあんまり食指を動かす気にならないジャンルではあります。
何故かと言うと「他人が作ったキャラクターの内面なんかまったく分からないから」なのですね。
どれだけ原作を読み込もうと、原作者の作り出した世界やキャラクターと、二次創作者の”解釈”が加わった世界やキャラクターは別物なのですよね。
この辺、小説の世界で見かける、いわゆる模倣物(パスティーシュ)でも事情は同じでして、どれだけ作風を似せたところでコナン・ドイルのホームズとそれ以外の書き手のホームズは違いますし、チャンドラーが書いたフィリップ・マーロウと、ロバート・B・パーカーが書いた(書き継いだものも含む)マーロウもやっぱり違うのですよね。
 
とはいえ「じゃあ、お前は二次創作をやったことがないのか?」といいますと、それは違うわけで。
 
子供の頃に誰もがやる「ごっこ遊び」というのは、二次創作の原点なんじゃないかなと思うのですね。仮面ライダーにしてもウルトラマンにしても、それはテレビの中から借りてきたキャラクターであり世界観なわけです。
ただ、そこで展開されるストーリーは子供たちが作り上げるオリジナルでしたが。
 
二次創作という愉しみを否定する気はないのです。
ただ、そこにあるのは先のない、それ以上は発展しようのない物語なのですよね。物語を書くという行為は、それが商業ベースに乗らない限りは書き手の趣味、自己満足でしかありませんが、それにしても何と言うか――敢えて失礼な言葉を使わせてもらうなら、閉じた世界での才能の浪費のような気がしてなりません。
模倣が創作の第一歩であることは間違いありませんが、そこから踏み出さないで模倣であり続ける意味が、正直、理解できないのです。
 
だからってオリジナルの物語を書くのが偉いとも思ってはいませんが。
 
(とか言いつつ、何か書いてみようかなとも思うのですがね。まあ、わたしが今さら商業ベースのものを二次創作してもつまらないので、やるならお付き合いのある創作ブロガーさんの作品のスピンオフを書くということになるのでしょうが――その前に許可とらなきゃな)