孤独の美学 | 『Go ahead,Make my day ! 』

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【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】

 
真名さんブログのこちらの記事のコメント欄にて、創作物に登場する「孤独な男」と「孤独な女」について、面白いやりとりをさせていただいております。
 
ちょっと乱暴に要約すると、
「創作物(面倒なので以下”物語”)における孤独な男にはある種のカッコよさがあるのに、逆に孤独な女には奇妙なわびしさが着いて回る。しかし現実は逆であり、孤独な男のほうが圧倒的にわびしい」
というものです。(あってますよね?)
 
結論を先に言ってしまうと孤独な人間は皆わびしいのですが、そうなると今度は「何ゆえに物語では孤独な男は格好いいのか?」という疑問がムクムクと湧いてくるわけですね。同時に「同じことをする女はどうして格好悪いのか?」という疑問も。
 
うーむ。
 
まず「どうして女は?」のほうから考察しますと、真名さん分析にもあるように「この世の中では、有能で社交的な女性でないと独りで生きていけない」というのが答えのような気がします。「……自分は不器用ですから」が許されるのはやっぱり男だけで、そういうキャラ立てなら女性キャラである必要すらないのかもしれません。
 
で、本題の「孤独な男のカッコよさはどこからくるのか?」
 
私見を申し上げますと、これは「孤独であること」が格好良いのではなくて、敢えて「孤独な生き方を選んでいること」がカッコよく見えるんじゃないかと思うのですね。
人間は誰しも社会の中で生きているわけで、生後間もなく未開のジャングルに落っことされでもしない限りは本当の意味での「孤独」を味わうことはありません。もちろん、昨今のニュースで散見するように”社会との繋がりが希薄”という意味での孤独はあるわけですが。
しかし、物語における孤独とはそういう弱さの発露ではなく、むしろ、強さを表現する一つのファクターとして扱われることが多いように思います。
 
これについては、わたしのバイブル(笑)であるところの「ハメットとチャンドラーの私立探偵」に引用されているロバート・イーデンバウムの評論が一つの答えを出していますので、ちょっと長くなりますが孫引きしてみましょう。

 
ハメットの”悪魔的な”タフ・ガイの特徴は、最期の二作における重要な意味を持つ変形についても、以下のように体系化できる。彼は、感情、死の恐怖、金やセックスの誘惑などの制約を受けていない。彼は、アルベール・カミュが呼んだところの”思い出のない男”であり、過去の重荷からも解放されている。彼はどんな行動をも取ることができ、伝統的な道徳にかまわず、したがって、一見すると、敵と同じように道徳観念がないように、あるいは、不道徳に見える。普通の人間を制約している束縛に屈することを拒否することで、彼は、敵の力の及ばない神のような免疫性と独立を得る。彼はゴールに到達し、質問に答えて謎を解き、有罪の者と無罪の者の動機を再現する。そのために必要な純粋な力を彼は持っているのだ。ハメットの小説――とりわけ、この評論が主に関わるであろう初期の三作は、タフ・ガイの自由の”批評”にもなっている。彼が力のために払っている代償は、犯罪社会においてどんな犯罪者も直面する必要のない孤立を受け入れ、自ら課した仮面の後ろで切り離されることだ。
 
もちろん、これはハメットの小説に登場するような人間離れした探偵たちの話ではありますが、言ってることは他の”孤独な男たち”にも通じていますよね。
ただ、そうであるならば孤独な女性だって格好良く見えて良さそうなもんですが……。
 
該当作品を読まずにこんなことを言っちゃいけないんでしょうけど、わたしは「既死感」の主人公、テンペランス・ブレナンがわびしい女にしか見えなかったのは、作者が主人公の孤独をきちんと描けていない、言い換えれば「うわべだけの孤独ごっこ」に終始しているからじゃないかと思うのです。
上でわたしは「社会生活者に本当の孤独なんてない」と言いましたが、だからと言って、誰もが理解しあって生きているわけではありません。無理解や偏見、悪意、利害関係、単なる好き嫌い、その他、人と人を隔てる要因はいくらでもあります。
そういう意味では、逆に孤独じゃない人間はいないのかもしれません。
 
要は「自分を取り囲む”どうしようもない孤独”にどうやって向かい合うのか?」というキャラクターの強さを描けなければ、ただ孤立しているだけの寂しい人にしか見えなくても仕方ないということじゃないかと思うのですが、いかがでしょう?

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こちらはわたしが「男」「孤独」というキーワードに接すると自動的に脳内で流れ出す「ルパン三世のテーマ」ヴォーカル・ヴァージョン。
歌詞の内容に(というか、歌詞があることに)賛否両論はありましたが、サビの「孤独な笑みを夕陽に晒して、背中で泣いてる男の美学」というフレーズはかなり好きです。この「美学」とか「美意識」という言葉は死語に近いのですが、それこそが現代社会が殺伐としている原因なんじゃないかな――とは言い過ぎですかねぇ。
ちなみに原曲のピート・マック・ジュニアの声もなかなか良いのですが、雨上がりの宮迫氏とかぐっさんが番組で歌ったこともありまして、それもかなり良かったのですよね~。
あれ、リリースしてくれないかな……。