主人公の経済学 | 『Go ahead,Make my day ! 』

『Go ahead,Make my day ! 』

【オリジナルのハードボイルド小説(?)と創作に関する無駄口。ときどき音楽についても】


それにしても怪しいタイトルだな……。

架空の人物であるところの物語の主人公でも、作中世界では普通の人と同じように日常生活を送っているはずです。
しかし、物語が始まると彼らの生活は非日常モードに入ってしまい、生活リズムはむちゃくちゃになるわ、いろいろと頭を悩ます出来事は起こるわ、場合によっては命の危険にすら晒されます。とてもじゃありませんが普通の生活などやってられませんよね。
そんな諸事情の中でも、とりわけ、わたしが気になるのが主人公の経済事情。
果たして彼らは普段、どんな仕事をしてその生活レベルを維持しているのか。そして、主人公業(!)をやっている間はその生業とどう折り合いをつけているのか。

小説のタイプにもよりますが、収入を得る方法そのものが物語の本筋と密接な場合もあります。
刑事や探偵は事件を解決することが主人公としての職能であると同時にそれによって報酬を得ていますし、企業小説の登場人物は作中で当然の如くサラリーマンの本分をこなしてます。泥棒・詐欺師・強盗・殺し屋などが登場するようなピカレスク小説でも彼らは日々様々な犯罪に勤しんでます。記憶にある限りでは原稿を書いている現場に出くわしたことがない某浅見光彦氏もちゃんと出版社とお付き合いされてるようです。あと、ライトノベル系ファンタジーの登場人物は町外れのダンジョンでいたいけなモンスターを小突き回して落ちてる財宝を私物化してますね。(笑)

問題は物語の進行と彼らの経済活動が一致しない、場合によっては相反すらしている場合。
こういうとき、本来やるべき仕事をお休みする理由付けって結構難しいし、ごくごく真っ当な勤め人視点から見るとご都合主義というか、いまいちリアリティに欠ける場合が少なくないですね。
(その最たるものは休暇。急にまとまった休みなんか取れるものではないですし、よほど無責任かつ無用な人間でなければお休み前には引継ぎってヤツをやらなきゃならんのです)
事情は自由業でもあまり変わりません。場合によっては彼らは勤め人以上に忙しいので(フリーということは時間外がありませんのでね)、よほどいい加減な業界にいない限り、急に本業を放り出すのは難しいですね。そのときは良くても将来的に見るとかなりやばいです。

これについての対応策は小説によって、

・たとえ強引でも理由付けをする
・何とか共存の道を模索する
・思い切って割愛する


の3つに別れるようです。あと、お金持ちなので日常の仕事をしてないというのもありますね。新本格の探偵さんなんかによくあるパターンです。

もちろん、どれだけリアリティを追求する作風であっても本業が物語の流れを阻害してはならないのですが、しかし、この辺をおそろかにするとバックボーンが薄っぺらになったり、場合によっては主人公の人物像に影響したりするので(主人公が会社で”いてもいなくてもいい人”なのは拙いよな……)なかなか難しいところです。

ちなみに拙作シリーズの主人公・榊原真奈の場合、本業:学生、副業1:居酒屋アルバイト店員、副業2:ファッションモデルと、

「ミステリの主人公やってる暇なんかねぇよ」

という忙しさなんですが、彼女の場合は本業は夏休み、副業1は物語途中までやってましたが今はオーナーのコネでお休み、副業2はサボリ(笑)という方法で、主人公業に専念できる環境をでっち上げております。

それともう1つ、主人公の経済活動について気になるのがそのビジネスモデル。要は仕事と生活レベルのバランスがとれているかどうか。
実はこれ、上の本業・主人公業の折り合い問題以上に物語のリアリティを削ぐ場合があるのです。

R・チャンドラーの第1長編「大いなる眠り」の冒頭、フィリップ・マーロウはスターンウッド将軍の邸宅を訪問する際、「何しろ400万ドルを訪問するのだ」と言いながら、おそらくは精一杯のきちんとした格好をしています。
これはマーロウがおしゃれなのではなく、お金持ちの依頼人を捕まえるためにみすぼらしい格好は拙いという彼なりの知恵なのでしょう。ま、それはいいです。
問題はその後。スターンウッド将軍の娘、カーメンを救い出すシーンでマーロウはコートを着ているのですが、それが何とハードボイルドの代名詞であるトレンチ・コート。

えーっと、この頃のトレンチ・コートって物凄い高級品なんですけど。

(「大いなる眠り」は1938年発表。一方、アメリカでトレンチ・コートが一般人でも買える価格になるのは第2次大戦後、かなり経ってから)

まぁ、これくらいはまだ「懐に余裕があった頃に奮発した」とか何とでも理由をつけられますが、マーロウ以上に生活レベルがおかしいのがR・B・パーカーのスペンサー。
父親(と二人の叔父)は大工だったそうなので親の遺産はないはずですが、それにしてはスーザンを伴って訪れるレストランのレベルといい、どんだけあるのか分からないワードローブの充実振りといい、この人の収入って――というか、どれくらいの仕事量をこなしているのか――本当に謎です。それなのに依頼人が訪ねてきたときに他の仕事してたことは一度もありませんし。保険会社から仕事を回してもらってる描写はありますが、それであの生活レベルは維持できんだろう……。

ウチの登場人物でこの問題を抱えているのは村上恭吾ですね。
刑事が安月給というのは世間の誤解ですけど(基本給はともかく手当が多いので結構高いです。←知人談)、それでもこの人のワードローブはブランド物ばっかりですし、車も良いのを乗り回してますし、食事は3食とも外食ですし。いやぁ、羨ましいくらい独身貴族の名を欲しいままにしてますよね。(笑)
(まぁ、彼の場合はネット株などでかなりの副収入があるのと、実は筋金入りのギャンブラーという裏設定があるんですが。後の設定は「村上中学生」で出す予定でしたがボツになったので……)

閑話休題。
うだうだと書いてきましたが、だからと言って、主人公がリアルに生活に困窮しているというのもちょっと夢がないですよね~。主人公の個性として金銭的に困窮しているというのは時折見受けられる設定ですが、上でも書いたように主人公が「カネがない」という理由で取るべき行動を取れなかったり、本筋と関係ない金策に走るのもあまり感心しません。
しかし、これを回避するために主人公をお金持ちとかどこかのお嬢様とかにしてしまうのも安直ですし、物語によっては彼らの動機そのものと矛盾してしまいかねません。探偵小説に関して言うなら、主人公が事件を追うのは最終的には彼らが生まれついての猟犬であり、その仕事に誇りと愛着を持っているからに他なりませんが、それでも金銭的に充足しているなら敢えて困難な仕事を選ぶ必要はないわけで。

この辺のバランスって難しいですねぇ……。