「〜すべき」が良くない事だ!と言われると
「『〜すべき』と考える  べき  ではない!」と
不自由な解釈をする方が多い気がします。


物事には道理があるから
その道理に従えば結果を得られるけれど
そうでなれば  そうはならない…という事もあります。


だから、その時には  誰が何を考えようが
どう思おうが  結果を手に入れたいなら
そうすべき。
それが自然。それが理。それが道。


でも  その宇宙の法則から外れていて
自分で作ったルール  刷り込まれた価値観
勘違い  恐れや不安  などから
「〜すべき」という思い込みに
支配される必要はないんじゃないか?
というだけの事だと思うのですね。


なのに時々  常に「〜すべき」を敵対視し
「そんな事言う人は  良くない人だ」みたいに


「もっと自由に解放されたら?」と
穏やかな微笑みで訳知り顔で曰う人を見ると
 

「この人…何言ってるの?」驚きと戸惑いますよね。


言われた側も「あぁ…私ったら  また
『〜すべき』という思考に囚われて…。
まだまだ自分を解放できてなかったみたい…泣くうさぎ


とか言っていると


「いやいや。それは  そうすべき でしょ。」
と驚愕しますわ。
(すべての場合がそうじゃないけど)


物事の捉え方も同じね。「ポジティブ信者」は
何でもポジティブに捉えなければならないと。
そうしないと  自分で自分を苦しめてしまうと。
そんな風に思っているみたいだけれど


「捉え方」って  そういう事じゃないと思う滝汗


それは現実逃避しているだけって事も…。


まぁ…ずっと後ろ向きな発言ばかりで
その世界から抜け出さない人よりはマシだけど。


「でも」「だって」とテコでも動かない人は
重いもの。そりゃ  風の時代の軽さに
乗り切れないよなーと思います。


何でもかんでも同じ土俵として思考せず
「物事を見る」「分解する」力がつけば
そのような事は起こらないのだけれど…。


大丈夫かな???と諸々心配になる事あります。



人の意識で未来が如何様にもなるかもなと思うと
…ですが。