今年最後に、ずっと引っかかっていた事。考えることから、振り返ることから逃げていたことがあります。

記憶がしっかり焼き付いていて、鮮明なうちに書こうと思う。


今年の10月9日に、愛猫のぷっちょが亡くなりました。14年、岸波家で過ごしました。

ぷっちょは、私が小学校4年生(10歳)の時にやってきました。土砂降りの夜、母が鳴いているまだ生後間もない子猫を見つけ、このままでは死んでしまう、と拾ってきました。

私は動物を飼った事もないし、動物が家にいるという事も初めてだったのでただただ興奮していた事を覚えてる。しかもものすごく可愛い。目が綺麗なブルーで、まだ小さいから上手く歩けなくて、頭フルフルしただけでポテッと倒れちゃう位、赤ちゃん猫でした。

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この写真はちょっと大きくなってるけど。


捨て猫だったけど、とても綺麗な猫で病気もなくものすごく食いしんぼうで甘えん坊でツンデレで箱入り娘で外にも一切出ない家猫でした。

ちょっと外に出してみると血相変えてダッシュで家に飛び込んでくるくらいビビりでした。網戸越しなら強気なのでよく野良猫にも威嚇してました。

変わってるのが海苔が大好きでした。海苔ちらつかせるとニャンニャンになっていて、いつも海苔を武器にしてました。



興奮すると気持ち悪い動きしたり、階段を無駄に全力疾走で昇り降りしたり、人の腹の上を駆け抜けたりよくしてました。


よくお腹の上にくつろいでました。顔の方に尻を向けて。失礼な奴でした。


眠そうな時に、手を差し出すと手をポテッと上に置いてきます。離そうとすると爪を出して掴んでくる。それが可愛くて何回もやった。
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本当にびっくりするくらい食いしんぼうで何年かデブすぎてお腹はげてた。名前も「デブ」って呼んでた。それでもちゃんと「にゃー」って返事してくれる。

ぷっちょはどこかうちと似ている部分があった。主に、わがままなところだと思うけど笑 顔も似てるとよく言われた。
うちは誰よりも何よりもぷっちょを信用していた。とてもいいやつだから。
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いつもかわいいかわいいって可愛がっていた。よく会話もした。

嘘のようで本当の話。
悲しくて、泣いていたとき。気付いたら近くにいる。ジーッとこっちを見てる。話しかけて触ると、ヒザをペロペロ舐めてくれた。猫の舌痛いけど、本当に嬉しかった。ぷっちょは猫じゃないみたいだった、少し人間みたいだった。心の痛みや人の気持ちが少しわかるかのような行動が多々あった

本当に14年間、大きな病気も一切なくて健康に食いしんぼうに過ごしてきた。少し前からまぁ年寄りだから餌を変えたら痩せてきて子猫みたいになったけど、相変わらず元気元気でぷっちょは20年以上生きそうだな、って思ってた。

今年の9月から急に食欲が減って、元気がなくなった。病院に連れて行っても検査しては結果待ち、検査しては結果待ちでなかなか診断されずにどんどん元気がなくなっていった。大好きなご飯も海苔も食べなくなって、栄養剤を打ったりしていた。検査で数日病院に泊まったりもした。家から出ないぷっちょには本当に不安でストレスだっただろう。

うちらからしたら、どうすることも出来ないし、計り知れない辛さになんとかしてあげたくて原因が早く知りたかった。

腹水が溜まっていてそれが原因で腹膜炎を起こしているかもしれない。そんな事を言われた。ただ、しこりも気になるから見てみよう、という事になった。

10月の頭にぷっちょの手術が決まった。


手術が終わり、先生からは絶望的な言葉を言った。

ぷっちょは癌だ、と。
全体に広がってしまってどうすることも出来ずにお腹を閉じたそうだ。
年を越せるか分からないと言われた。
その取り除いた部分の一部も見せてもらった。


今まで、ぷっちょは本当に元気だったから、まさかぷっちょが!っていう気持ちのままずっと信じてきた。ぷっちょだから大丈夫。奇跡は起こる。原因もわかる。絶対に良くなる。ぷっちょはまたご飯も食べて、20年以上生きるんだ。


そんな事ばかり思っていたから、いざそんな事を言われても信じられなくて、本当に受け止められない事ってあるんだな。全て跳ね返したくなった。自分の中にそんな現実を入れることは出来なかった。

でも、現実だ。
いまこの1日、一時間、一秒、ぷっちょは戦っている。生きている。悔いを残しちゃいけない。たくさん愛さなきゃ、さみしい思いさせないようにしなきゃ、そんな気持ちも一瞬で芽生えた。

悲しいけど、今がんばっているぷっちょの為になにが出来るだろう。一緒にいることだ。それしかなかった。

そのとき10月、今年も残り二ヶ月。
この14年を振り返ったら本当に一瞬だと思った。すごく怖かった。まだ二ヶ月、もう二ヶ月。恐ろしくなった。

手術の終わったぷっちょは病院にいた。お見舞いにいったら麻酔もまだ効いていたからかもしれないが見てられないくらい弱々しく息をしていた。とても、お腹が重そうだ。手術の跡が痛々しい。

もっと早くわかっていれば、こんな辛い思いしなかっただろうに。でも、家族みんなはぷっちょが生きれるように何が出来るか、病院に行って検査して手術してもらうっていう事しかなかった。治ると信じてたから。

こんな小さい体への負担は計り知れない。よく頑張った、沢山話しかけた。うっすらだけど反応もあった。良かった、ちゃんと息をしている。


翌日、家に帰っていいと言われた。
残りは家族で大好きな家でゆっくり過ごすのがぷっちょにとって一番いいと判断した。残り、悔いのないようにたくさん愛情でいっぱいにしてあげようと思った。



でも、まだどこか受け止め切れていなくて現実感がなかった。どうすればいいんだろう、とどこかふわふわしていた。


だんだん、ぷっちょは歩いても転ぶようになった。後ろ足の自由が効かなくなってきた。だから動かなくなった。うちが高校の時に使っていたマリーちゃんのブランケットの上にずっと横になってた。


うちがある日、夜。
家を出ようと玄関に行ってお母さんが見送ってくれたところに後ろからぷっちょが来た。お見送りをしてくれた。

これは手術前の話だけど。でも、自由のきかなくなってきただるい体を起こしてわざわざ玄関まで来てくれた。うちを送り出してくれた。お母さんと「ぷっちょー!いい子だねー!ありがとう!」って沢山褒めてあげたし、めちゃくちゃ嬉しかった。一生忘れられない瞬間になった。


そして、8日の夜。
うちはバンドの練習の為に吉祥寺にいた。練習中お母さんから電話がきた。嫌な予感しかしなかった。その通りだった。ぷっちょもう長くないかもしれない、体がとても冷たい。と。

うちは飛び出して急いで帰った。途中電車が止まったり一分一秒を争う時に本当に辛かった。マスクのしたで涙が止まらなかった。本気で神様にお願いした。あと少しだけ待ってください。って。何度も何度も。

最寄りについて、何年ぶりかわからないけど本気で走った。本気で走った。
なんだか気持ちよかった。

家に着いて、お母さんはちょうど病院に連れて行って帰ってきたところだった。
体温がすごく下がっていて、連れてこなかったらすぐ亡くなっていたかもしれないとの事だった。

もしかしたら、今夜いってしまうかもしれない位に弱っていた。なんとか間に合った。家族で順番に一人ずつぷっちょに想いを伝えた。悔いのないように。

お母さんが、「いつもぷっちょは私と寝ていたから今日は藍が一緒に寝てあげて。」と言った。

正直、ぷっちょはお母さんと一緒にいる時間が圧倒的に多かった。だから、うちでいいのかとも思った。でもお母さんはそうしろと。だから三人で一緒の部屋で寝た。ベッドにうちはぷっちょを暖めながら寄り添っていた。

一睡も出来ないし目も離せなかった。隙あればベッドから降りてでて行こうとした。動いてもすぐへたっているのに出て行こうとした。うちは何回も止めた。腕の中に収めた。たくさん撫でた。

途中苦しいのかうなったりしていた。とても辛そうだった。何回か水も飲ませてみたけど飲まない。とにかくこの夜は暖めて一緒にいるんだ、と決めていた。


朝がきた。
何度も脱走を試みたぷっちょがついに本気で行きたそうだったから布団から下ろした。お母さんも起こした。

ぷっちょは這いつくばって辛そうだった。床は冷たいし、いつものブランケットの上まで連れていってあげた。弟も起こした。ぷっちょはとても苦しそうだった。唸ったり泣いたりしていた。そのときみんな覚悟した。泣きながら声をかけて撫でて見届けた。

ぷっちょはすごく体をうねらせて最後の力を出し切った。発作のようなものだった。口も、目も開けたまま亡くなった。


この子は何も悪いことをしていない、とてもいい子だった。なのにこんなに苦しんで死んでしまった。衝撃だった。こんなにも辛い事があるなんて。ぷっちょは幸せだっただろうか。最後の一夜、本当はもっと早くいきたかったのではないか。うちが止めると諦めて落ち着いてくれてたけど。みんなが起きるまで待ってくれたのかな。
最後はお母さんと弟と看取った。

ある人から聞いた。
目を開けたまま死ぬということは苦しんで死んだという事だって。


あー、ほんとに苦しそうだった。
残酷だった。病気が発覚してからあっという間だった。一瞬だった。

年内という言葉はなんだったのだろう、それくらい一瞬だった。


うちはやり場のない悲しみと後悔でいっぱいになった。その時期、自分は悪いことがものすごく続いた。そんな事ばかり思っていたから、ぷっちょが背負ってくれたんじゃないか?それかぷっちょにうちの悪い流れがいってしまったんじゃないか?とか、色々考えた。うちのせいなんじゃないか、って。

もう後悔だけは残したくないから、ぷっちょに手紙をすぐ書いた。棺の中に一緒に添えた。お花で沢山囲んだ。とっても綺麗でした。ぷっちょは顔が可愛くて綺麗な猫だったのでお花が似合っていた。天国で読んでくれればいいな、と思った。


火葬場で、また更に実感が襲ってきて涙が止まらなかった。甥っ子はぷっちょがどうなったのかわからないようだった。待合室にはスケッチブックがあったのでぷっちょにお手紙を書いた。甥っ子の絵と言葉に感動した。
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心にポッカリどころかドッサリと穴があいた。喪失感。でも、しっかりと送り出せた感覚もあった。すごく難しかった。

それからしばらくはデータフォルダのぷっちょの写真が見えるとすぐスクロールして見ないようにしてた。考えないようにしてた。忘れたいわけじゃないし毎日考えてしまうくらい大事だったからそんなことしたくなかったし、考えないようにしちゃう自分が嫌だった。

ぷっちょのお骨と写真とお花が飾ってある部屋に行くと毎度実感させられる。


その繰り返し。


本当は、言葉に早く書き表したかったんだ。忘れないように。ぷっちょという存在を。でも、それも書けなかった。逃げてた。何より大事な宝物を失ってしまってどこか空回りしているというか、空元気というか無かったかのような振る舞いをしてしまっていた。

でも、ふと急に思い出してはいつも泣いてた。「死」という言葉に敏感になった。元から恐ろしかったけど、また更に敏感になった。死ぬ瞬間を見て、やっぱりショックは大きすぎて。生から死を見届けたから。


でも、やっとこうやって書けた。
残せるのなら別にブログじゃなくたって良かったけれど、うちがぷっちょをどれだけ大事な家族で友達で宝物だったか、知って欲しかったのかもしれない。忘れることはないけど、ちゃんと自分でも思い出して残せるように書きたかった。

ぷっちょは本当にいい子でした。
面白い猫でした。大好きでした。みんなから愛されていました。とても、可愛かった。

これから先もぷっちょ以上の友達はいない。ずっと一番。まだ感触もぬいぐるみみたいな匂いも覚えてる。頭の形も、喉のしたの形と指先の毛の感覚も、全て。
想像でいつもモシャモシャしているよ。ぷっちょのこと。


いつかまた遊びたいと思ってくれるなら、ずっと待っててね。ぷっちょを感じながらうちは過ごしているよ。本当にありがとう。目の前にはいないけど、一生になってくれたからそれだけでも心強いし嬉しいです。岸波家に来てくれてありがとう。

おやすみなさい。
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