もう考察系の文章はやめようと思ってたのですが

劇場版を再鑑賞したら

またちょっと思った事があったので書きます

 

心を整理しておきたい笑

 

五角関係を強調するような煽り文句が

プロモーションの一つでしたが

蓋を開ければ

春田が勝手に狸穴さんに嫉妬してただけで

三角関係のままだったというオチ

 

部長と牧くんのバトルのために

取ってつけたように用意されたサウナバトル

結果は柄杓で頭をどつくという

昭和感丸出しな演出にドン引きする人が多数

 

あの直前まで笑ってた私も

さすがにあれは引きました

だって牧モンペなんだもん

 

どんな喧嘩のシーンだって

本気で殴り合いしているわけじゃなくて

寸止めでそれっぽく見えるようにするというのに

あの音が本物だったとしたら

めちゃくちゃ痛いはず

なのにリハーサルから何度もどついてたって

それはもう、暴力行為だと思われてもしょうがない

 

花火大会で喧嘩をする二人

「お前といるとイライラする、ジャスといる方が楽しい」

「別れようぜ」

と言われた牧くんの心の中は一体どうだったのか

 

彼は多分

プロポーズされた後もきっと

半信半疑で

幸せにどっぷりと身を委ねることなど

できなかったんじゃないか

 

春田が経つ直前までは幸せを実感していただろうけど

それからの1年はきっと

不安と安心、疑惑と信頼、幸福感と孤独を

行ったり来たりしながら落ち着かなかったんじゃないか

 

そんな彼に対してあの言葉

きっと春田の本音が出たんだな、と

思ってしまっただろう

 

「狸穴さんはそんなガキみたいなこと言わないですよ」

も春田にとっては地雷の言葉で

それを言うことで春田が怒ることは

きっと牧くんならわかっていたはず

 

売り言葉に買い言葉

 

お互いにきちんと時間を共有できなかったことが

喧嘩の原因であることは間違いないのに

どれだけお互いを想い合っているかなんて

見てるこっちの方がわかってるのに!

 

とめちゃくちゃ悲しいシーンでした

 

春田がジャスを引き合いに出したのは

もしかしたら牧くんに嫉妬させるためで

自分だってジャスを弟くらいにしか思ってないくせに

比べることなんかできないのに

口を突いて出てしまった

 

だからその後ろめたさで

ジャスに「先輩として」と言われた時に

食い気味に「わかってるよ!」と

八つ当たりしたんじゃないかと

 

「別れよう」と言われた瞬間の牧くんの表情

失望の中に「やっぱりな」という諦めが混じった

なんとも複雑な顔で

「今までありがとうございました」と言う顔には

少しだけ笑みを含んでいる

 

精一杯の強がりでその場を立ち去るも

振り返って花火を見上げる顔には

悔しさとか悲しみとか寂しさとか

 

あのプロポーズも

打ち上げ花火のように

瞬間的に火花を散らしたイベントのようで

あとは消えて落ちて行くだけ

そう思っていたんじゃないか

 

そう考えるだけで

胸が苦しくなるシーンです

 

分かり合えないというのは

人間にとってとても居心地の悪いもの

それが大好きな相手ならなおさら辛い

 

彼らが共有する時間を持てなかったことで

春田の中の嫉妬が爆発して

牧くんも性格的にそれを真に受けてしまう

 

1年間の遠距離恋愛が

二人の心の距離も生んでいたのだとしたら

牧くんがシンガポールに行くというラストは

やはり意地悪な感じがして

納得はできないんですよね

 

ファンがあのドラマに求めたもの

 

辛い片思いを経て心が通い合う瞬間の

幸せな気持ちを感じていたいという願望

 

牧くんを通して

自分の報われなかった想いを昇華させること

 

ただただ幸せな二人を見て心が弾む

 

そんなささやかな願いを叶えてくれるラストならば

きっともっと盛り上がっただろうと

今でも思っています

 

劇場版制作の一報を知った時には

超ライト層だった私が

その瞬間に脳裏に浮かんだ映像は

あの春田家で食卓を囲みながら

二人で幸せそうに笑っている画

 

プロポーズで終わったドラマの

アンサー的な内容で

実際に結婚するまでの道のりを

丁寧に描いて

最後は幸せそうな二人で完結する

 

私にはその画が浮かんでいたんですよね

 

それを見事に裏切られたので

「は?終わり?」

と初見時にはしばらく理解できなかったほど

 

あの内容を見て

ドラマの時のような緻密な組み立てを

放棄したのかなぁと思ったりもしましたが

 

その後公式本などでの発言を目にする度に

 

あ、最初からそんなんどうでもいい人達なんだ

 

と憐憫の心が湧いてきました

 

何にも見えてないし

内輪で盛り上がることが

受け入れられると

本気で思っていたのだとしたら

可哀想な人たちだなぁと

 

私は結婚式なくてもいい派なので

そこに対しては全然OKなんですが

さすがに両家の親にきちんとした挨拶もなく

結婚指輪だけで「結婚した」と匂わせて

「完結です」と言われても…と思うし

 

配給会社が一貫して

「ForeverLove」を煽り文句にしていたのに

「刹那的」と口にしてしまう監督って

どうなんだ?と思うし

 

「刹那」は最小単位で

その繋がりが「永遠」だという人がいます

それはもちろんその通りで

仏教用語であるこの言葉は

非常に短い瞬間の事を表しています

 

ただそこに「的」をつけると意味は違ってくる

 

「後先考えずに生きる事」

「一時的な快楽を求めること」

という意味になり

「今この瞬間だけよければいい」

という意味合いになってしまいます

 

それは永遠の概念からは

非常に遠い意味になってしまう

 

Pや監督がその言葉を使ったとしても

深い意味はないのだろうとスルーすることもできますが

それに賛同するような言葉を言った

脚本家に対しては

「言葉を生業にする人間がそこは嘘でも否定しろ」

と私は思っています

 

現場で見ていた監督の「刹那的」は

春田と牧というよりも

圭くんと遣都くんが

その先に控えているそれぞれの道のことであり

「完結」と謳っている限り

それ以上交わることのない道を行く二人を見て

そう感じたのかもしれません

 

そうだとしたら

作品と現実を切り離す冷静さがない

 

混ぜるな!

と言いたいのです

 

バラエティはある意味「刹那的」です

その瞬間を切り取るものでもある

 

でもドラマや映画というのは

余韻がなくては味気がなく

妙な違和感と残尿感だけが残ってしまう

 

それがわからない人に

あんな壮大な愛の物語を作るのは

ちょっと難しいんじゃないかなぁって

今になって思っています

 

圭くんと遣都くんが

自分の感性丸出しで愛し合った

あの物語を間近で見ていた人が放ったとは思えない発言

 

やっぱり2018年春ドラマは

様々な奇跡が重なって出来上がった

神がかり的な物語だったんだなぁと

思いました

 

実は5回目の時

二人のシーン以外は居眠りしてました…笑

 

4回目の時も超絶寝不足で

かなり頭痛に悩まされていたのですが

114分間ずっと集中できた

 

だけど5回目は「もういいか」と途中で思ってました

観終わった瞬間

隣にいた友達が

「もういいかな」と言ったのに驚いて

「私も今全く同じ事考えてた」

と笑ったのですが

 

彼ら二人が愛し合った事実は変わらないし

私の中で一区切りついてしまったのもある

 

どれほど観たとしても

誰にも届かない私の中の願いと想い

 

もう一人でそっと抱えて

大切に愛でるだけでいいな、と思いました

 

私にとって可愛い息子のような

春田と牧くん

彼らが幸せに暮らす物語は

私の中で進んで

「結婚」「家族」「仕事」

それが何かを徐々に理解し

自分達の形にしていく様を

書き綴れたらなぁと思っています