後から来る衝撃ってあるんですね

 

丸1日以上経って

急に気持ちが塞いでいます

Twitterには春馬くんの笑顔の写真で溢れてて

こんなに素敵な笑顔なのに

と思うと胸が痛くて泣けてきました

 

旦那が6月末に録画していた番組を見ていて

その時私はキッチンで洗い物をしていたのですが

人材派遣会社のCMの歌が聞こえてきて

ふと目をやると

歌って踊っている春馬くんの姿

 

こんなに生き生きとしていた人が

この世を去る選択をするほど

悩んで辛い思いをしていたことが

ほんとうに悲しいです

 

親御さんの気持ちを考えたり

仕事仲間や友人たちの気持ちを考えると

非常に辛すぎて

 

私がOLの不動産続編を声高に叫ばない理由の一つに

演者の負担になるのではないか

そう言う気持ちがあります

 

特に牧くんを演じた遣都くんは

魂を吸われた、といろんなインタビューで答えていて

きっと彼にとって「牧凌太」を生きることは

自分の中にないものを

一から作り上げていくという

大変な作業が必要なんだろうと思いました

 

劇場版のインタビューでは

最初、牧に戻れるかどうか不安だった

という言葉があって

とても意外に思ったことを覚えています

 

彼ほどの人でもそんな不安を感じるんだ、と

 

それくらいどの仕事も手を抜かず

徹底的に掘り下げて突き詰めて

バックボーンをしっかりと組み上げて

役を作って行くのだと思いました

 

だから彼が演じた役はどれも

「この町のどこかで生きている」

と思わせてくれるほどリアルで

生い立ちまで感じさせてくれるのだと

 

牧くんで言えば

彼にないものがたくさんあって

例えば料理や家事が得意とか

そもそも論で男性が好きとか

自分とは全く接点のない役だったので

悩みながら迷いながら作っていったのではないかと

想像しています

 

自分と真逆の方が役が作りやすいとも

語っていたことがありましたが

それでも、当事者にしかわからない苦労というのは

相当なものだと思います

 

何よりも「セクシャルマイノリティ」の人が

傷つかないように嘘がないようにと

常に心に置いていたようなので

自分の演技が間違っていないか

おかしくないかを確認しながらだったのではないかと

思っています

 

それでも本人は

「嘘に嘘を重ねる感覚」

という独特の言葉で表現したように

 

正直で生真面目な性格の人にとって

「演じる」ということは

相当体力も気力も奪われるものなのでしょう

 

それほどの思いで作り上げた「牧凌太」が

人気者にならないわけがないと

「牧モンペ」の私などは思うわけですが

 

制作陣はそうは思っていないので

もし彼が再度「牧凌太」を生きたとしても

大切に扱ってくれない可能性があること

命を削る想いで作り上げた役を

鼻で笑われるような態度をとられるかもしれないこと

そういう場面に遭遇して欲しくないと

思うのが本音です

 

親のような事を言いますが

彼には常に幸せを感じていてもらいたい

 

もちろん生きて行く上で

楽しい事や嬉しい事だけじゃないとわかっています

むしろそっちの方が少ない事もわかっていますから

だからこそ彼にはいつも幸せを感じていて欲しい

 

ファンが無力なのはいつも同じで

 

SMAPが解散してしまう時も

彼らが一番悲しんでいたはずなのに

結局ファンは阻止できない立場だったし

彼らに寄り添う気持ちはあっても

それを伝える術は限られていた

 

今回もきっと辛いだろうと思いながらも

何もできないのがファンの立場で

完成した映画を観に行くくらいしか

出来ないのがほんとにじれったいですね

 

よく頑張ったね、と

いっぱい泣いていいよ、と

背中をさすってあげることすらできない

 

そういう立場であるとわきまえていれば

彼を追い込むようなものを信じないという

そんな小さなことでもできるんじゃないかって

思ったりしています

 

ただ、ファンが「大好きだ」という気持ちを

表すこともできるので

彼の作品を観るとか

ファンメールに感想を送るとか

合法的なムーブメントを起こすとか

そういう方法で

「味方はたくさんいるからね!」

と伝えることもできる

 

でも…

追い込まれている人は

それすらも辛くなるものなのでしょうね…

 

遣都くんは繊細だけど

とても強い部分もある人だと思うので

今は悲しくて落ち込んでいたとしても

きっと友人の分までやっていこうと

思う人でもあると信じているので

 

大人になるってしんどいですよね

泣きたい時に泣く事すらできない

 

それでも、もし、許されるのであれば

いっぱい泣いて、いっぱい悔しがって

いっぱい思い出して、いっぱい怒りをぶつけて欲しい

 

私が20歳の時に亡くなった友達は

病気が原因でしたが

それでも「早すぎる」と悔しかったです

 

頼みごとのお礼に

食事をご馳走したことが最後になったのですが

別の友達は電話で怒ってしまったそうで

 

「いい思い出でよかったやん…」

 

と言われたことがあります

 

だけどね

残された人は結局

どんなにいいように考えようと頑張っても

悔しいし、辛いし、悲しいし

とことん泣く事でしか気持ちを表現できないもので

 

あれも出来たな

これも出来たな

とずっと自分を責めることもある

 

そして素直に悲しんで泣くことで

心の整理がつくものだと思うので

 

いつかこの悲しみが

思い出になってくれることを願います