福子という名前は福があるんだよ

そんな話をしていた母は今思っても幸せな人だと思います


かわいらしい、しっかり者

賢い人


5人兄妹の4番目

兄や姉を見て育ち、幼くして亡くなった妹の事を何度も話してくれた


手に職をつけなければと

美容師になった母は兄の友達だった3つ下の父と顔を会わせれば憎まれ口を叩いた仲


父の父…私にとってのお祖父ちゃんは自転車店を始めて、継いでたまるかと父が工業高校に通い…反抗期ですかね

紡織科で学んで「あんな面倒なのは嫌だ」と自転車店を継いだと母に聞いたのはいつだったかな


お店と住まいを新しくしたのが小学校3年の時

仮住まいで他所の校区から小学校に通ったのを懐かしく思います


父は自転車店をしながらなのか、他の仕事もしたようでした

今でいうネットワークのお仕事

それも自転車販売を広げるためにも頑張った様子

そして、宗教も自転車販売のために熱心だったとか😂


そんな父を見守りながら

母は高血圧で寝たきりになって愛人さんに捨てられたお祖父ちゃんと眼の見えないお祖母ちゃんと父、子ども3人、愛人さん親子も面倒みていたのでした


小姑2人と愛人がいるからと実家に寄り付かず中学卒業後紡績会社に勤めた父の弟など気を配りながら


私は小学生の時に提出する家庭状況の書類で、何故に同居人もいるのかわからず過ごしていました


15坪の2階建ての土間のある家で店先はわずか階段は洗濯機の横に踊り場があって、そこから2階に上がり

母が美容師をする部屋、お釜のドライヤーもありましたしマッサージ器も

もちろん染髪台もありました

いつかお店を持ちたいって言ってたな


ご近所の方もパーマとかカットやセットをしに来てくださって

いろんな方々が集まる家だった


夜は麻雀で集まる人たち

お講もあったなぁ

助け合い?なのかな

入札してお金が必要な方にその時集まるというのか貸し出す仕組み


特製鉄板でのとんちゃん焼き…この柔らかいお肉は私は大嫌いで

玉ねぎやキャベツばかり食べていたなぁ


酔っぱらいがトイレを使うと汚くて嫌だったそうです


お祖父ちゃんが亡くなり、家を新築にしてお祖母ちゃんは見えないけれど柱を米ぬかで磨いていました


この祖母ちゃん

眼が見えない分、声や音で判断していたようで「○○さんだよ」と母に教えていたとか


母が父とデートした話を妹に暴露したりする人でしたが、お祖母ちゃんの膝が3人兄妹である中間子の私の居場所だった事もあり、私は話を聞いてもらっていたんだと思います


父母が叔母たちにお祖母ちゃんの事を頼んで、家族旅行に出掛けた時に「一人だけ家に帰りたいと言った」あまりに私がうるさいので帰宅したらお祖母ちゃんは一人だった事があったそうです

「一晩くらいお義母さんをみてくれても良いのに…」と思った母でしたが、

私より子どもたちが小さかった甥や姪がいる娘

お祖母ちゃんは「帰っても大丈夫」と送り出したように思います


お祖母ちゃんは私の言葉を聞いて泣いたとか…

私もその立場なら泣くな😂