平成18(2006)年の春、
Mommy の強運にも助けられ、
めでたく近所の保育園に通うことになったV3。

ですが、相変わらず言葉の発達は遅れがち。
ただ、怪しげな会話ではあっても、そこは保育園。
心臓の方も支障はなく、それなりに過ごしていました。

そして秋、
就学予定の地元小学校説明会。
同じ保育園の子供達、その親御さんらとともに、
V3と Mommy も一通り説明を受けました。

で、その後 Mommy は別室に呼ばれ、
校長先生、特別支援教育の担当者と三者面談。

園からの申し送りも含め、学校側としては、

「V3さんなら、支援学級でも、通常学級でも、
 どちらでも構いません」

というお話でした。

Mommy は、

いずれ支援学級にいくことななるのだろうけど、
1年からいきなりだと、知ってる子が一人もいない、
ということになってしまうので、まずは通常学級に、

というお願いをしました。

そして1年生の冬、
再び三者面談。
今度は、Mommy の方がどちらでも構わない態勢で臨みました。

校長先生からは、

「V3さんは、授業中静かにしていることは出来てますが、
 分かってないのに、ただ座っているだけになってしまいます。
 それは、V3のためになりません」

ということで、支援学級を強く薦められました。

「音楽や図工、体育などは交流学級で友達と一緒にできますから」

という説明もありました。

どうやらV3が、先生の指示に対して
「わっかりました~」と答えながら、全く動かない、
ということが度々あったようで。

そんなわけで、
2年生から特別支援学級所属でお願いしました。

さて、

それを Daddy & Mommy 双方の親族に説明した時は、
正直、微妙な空気もあった気がします。

実のところ支援学級、交流学級というものを含め、
「特別支援教育」が、制度として導入されたのは、
平成19年のことで、まだ歴史の浅いことなんです。

*詳しくは、文部科学省ホームページ、特別支援教育について

かつては「特殊学級」として隔離されていた感があったわけで、
その頃の印象が強い世代には、ちょっと抵抗があるみたいでした。

「特別支援」という言葉自体は制度発足以前からあったのですが、
やっぱり関係ない人には関係ないので。

実際、Daddy も Mommy も関係なかったし。

で、この時、Daddy は子供会、
Mommy は図書ボランティアをやっていたのが活かされた、
というわけなんです。

良い意味で。

詮索、憶測、偏見などを防ぐために、
直に言葉を交わすっていうのは大切ですね。

*現行制度発足以前の「特別支援教育」について、
 詳しくは、Wikipedia-特別支援教育

・・・ ・・・ ・・・・

恒例(?)“今日のV3” のコーナー

「Daddy の机で課題やりた~い」と言うので、
まあ、いいかと思って目を離していたら、

類語大辞典(↓)、
類語大辞典
(難しい言葉と小さな文字の説明ばかり)

と、

独独辞典(↓)、
独独辞典
(ドイツ語の単語をドイツ語で説明、もちろんドイツ語ばかり)

を引っ張り出し、広げて眺めてご満悦。

ワケが分かりません。