平成20(2008)年11月26日、小学2年生の V3 は、
「大動脈弁上狭窄解除および大動脈形成術」のため、
Mommy とともに名古屋の大学病院に入院しました。

27日、検尿、採血、レントゲン、心電図、CT検査。

28日、Mommy に手術内容、当日スケジュールの説明。
麻酔や輸血、合併症のリスク、行動制限(身体拘束)などについても、
説明があり、それぞれ同意書を作成。

そして、
いよいよ手術当日の12月1日、
微熱があるということで、しばらく様子見、
予定より一時間遅れの午前9:30、手術室で麻酔処置が始まりました。

そうなると、Mommy にはもう、することはありません。
ひたすら病室で待機、です。

その頃 Daddy はグランマ( Daddy の母)とともに電車で病院へ。
途中、熱田神宮(御神体は草薙の剣≒勇気のしるし)へお参り。

どうか、どうか無事に手術が終わりますように。

ホント、祈ることしか出来ませんでした。

昼前にはV3の病室で Mommy と合流。
でも、やっぱりすることはナシ。
ただ、そこに居るだけ。

軽~く昼食を摂ったあと、
なんとはなしに息詰まる感じと、
母親として二人で話すことがあるかもしれない、
という思いもあって(言い訳くさい!)、
Daddy はしばらく散歩へ。

あんなに時間がゆっくり進む日は無かったな。

一時間遅れでの手術終了予定は17:00。
けれど、それを過ぎても病室には連絡なし。

多少不安になっていたところへ、
17:30になって、無事終了の知らせがありました。

Mommy とグランマと Daddy と、
安堵。
ただただ安堵でした。

18:30にはICUで V3 と面会。

ペースメーカーのリードやドレーン管など、
色々なモノが繋がれていましたが、
V3は、確かにそこに生きてました。

良かったです。
ホント、良かった。

微かな脱力感をも覚えつつ、執刀医から、
手術経過について、一通りの説明を聞きました。

「V3 ちゃんは、よく頑張りました。
 順調にいけば、クリスマスまでには退院できますよ」

終電の都合もあり、
ICUを出て Mommy と少しだけ話し、
明日、目覚めた時のために、V3 に手紙を書きました。

V3へ

そして Mommy は、まだしばらく留まることになる病室へ、
Daddy とグランマは地下鉄の駅へと向かいました。

・・・ ・・・ ・・・

心雑音を聞き分ける経験豊かな医師、
心疾患を観察する最新の機器、
遺伝子検査をする高度な技術、
それらを活かすべく築かれた医療体制、
そして個人の負担を軽減してくれる保険・福祉政策。

どれかが欠けても、V3 は今、たぶん、ここにいなかった。

世の中、色々あるけれど、
この国に生まれたこと、
この時代に生きていること、
それはやっぱり、ものすごく幸せな事なんだと思います。

・・・ ・・・ ・・・

術後の V3 は、
決して大人しくしてはいなかったけれど、
予定していた12月20日、無事退院となりました。

当日は、1号と2号も一緒に車で迎えに。
久しぶりに再会した三姉妹は、
誰がどの席に座るかで早速低レベルな争いを・・・

途中、熱田の杜でお礼参り。
神様のご加護に、深く感謝。

家に帰って久しぶりに V3 とお風呂に入ると、
(今はもう一緒に入ってませんよ、中学生ですから)
胸にはザックリと手術の跡が・・・

ICUでの姿を思い出し、大変だったよなあ、という気持ちやら、
女の子なのに、という、ちょっと哀しい思いやらが綯い交ぜになって、
しばし涙。

いえいえ、傷跡じゃないよ。がんばった印。
勲章だね!!

2008年の暮は、
ちょっと特別で、いつもと変わりないクリスマスになりました。




















(え?)



2ndシーズンに続く

(はい?)