一月ほど前、こんな記事を書きました。

 

 

ともあれ、

 

人は誰しも、乳幼児だった時があり、子供で、学生で、たまに妊婦で、ひょっとしたら失業者で、どうかするとホームレスで、病気にもなるし、障害を抱えることもあるし、必ず老いて、死にます。

 

なので、

 

「今が良い」、その「今」以外を想像できないのは、少し、淋しいことです。

 

 

 

覚えている方もいらっしゃるかと思いますが、それは、こちらの「事件」に関したものでした。

 

 

「なぜ住民感情に配慮しないのか!」

「町内会の全員が賛成しなければ、(施設の開設は)やらせない!」

 

昨年10月、神奈川県横浜市金沢区の集会所で、住民のひとりがまくし立てた。町内で開設目前となっていた知的障害者向けグループホームへの猛抗議を始めたのだ。

 

経緯を調査した横浜市障害福祉保健部の担当者は語る。

 

「グループホームの運営会社は別の地域でも実績があり、大半の住民は開設に好意的でした。町内会の役員たちも、入居者と良好な関係を築きたいと考えていました。

 

そこで役員会に運営会社の担当者を招いたのですが、役員ではない住民が現れて、怒声を上げ始めたのです」

 

同市は障害福祉計画に基づき、毎年40ヵ所の障害者グループホーム開設を目指している。金沢区のグループホームもそのひとつで、設置費や運営費が補助金の対象となり、中古の一軒家を改装した建物は既に準備できていた。ところが、住民の剣幕に運営側は恐怖を感じて、間もなく開設中止を決めた。

 

 

 

今回は、その続き、のようなもの、というか、補足になります。

 

まずは、なるほどなと思う記事があったので、長くなりますが、全文引用しておきます。

 

 

「何をされるかわからない」「襲われる」……。相手が障害者と見るや、こうした過剰でまちがった「不安」をぶつける人がいる。ごく普通の住宅街で起きている、不寛容の現場を歩いた。

 

 

「子供たちにも差別心が…」

 

'19年6月、グループホームは入居者の受け入れを始めたが、幟旗は立ち続けた。同市の職員が各戸を回り、旗の撤去を要請しても住民たちはどこ吹く風だった。見るに見かねた筆者は、顧問を務めるKP神奈川精神医療人権センターや近隣の福祉事業所に呼びかけて、反対住民との対話を模索した。

 

地域は一枚岩ではない。「あの旗はとても恥ずかしい」「かえって地価が下がる」「子供たちに差別心を植え付ける」などの声も漏れてきた。だが、反対運動の中心人物や、「地域に分断が生じるのは困る」と恐れる地元自治会は逃げ続け、対話の場を作れなかった。

 

そこで、「私たちは生きづらさは抱えていますが、犯罪者ではありません」「直接会って話を聞いてください」などと、精神疾患のある人たちの思いを記したメッセージチラシを作り、地域の住宅の郵便受けに定期的に投函する活動を'20年春から開始した。チラシは毎回数百枚作り、内容をその都度変えた。

 

1年後、「子どもたちの安全を守れ」と「地域住民の安全を守れ」と書いた幟旗はなくなった。そのため、筆者たちはチラシ投函活動を終えたが、強硬な反対住民は「運営会社のサービスが悪く、居住する精神障害者を苦しめている」などと反対理由を変質させて、いまだに抗議の幟旗を立て続けている。過ちを認めるのが嫌で、意地になっているのだろうか。現在も市が間に入って話し合いを試みているものの、融和に至らぬまま5年が過ぎた。

 

このようなグループホーム反対運動は全国で起こっている。全国手をつなぐ育成会連合会が'20年に実施したアンケート調査では、建設や開設の際に地域住民から反対された事例が過去10年で90件にのぼり、4件に1件が反対を受けたことが分かった(回答総数356件)。

 

反対理由は「事件や事故が起こるのではないかと不安」が突出して多く、「地域に障害者施設がなじまない」「地価が下がる」「地域への説明が不十分」が続いた。今回の記事では、筆者の地元の神奈川のケースを扱ったが、同調査では東京、千葉、愛知、富山の反対件数が特に多かった。

 

 

「隔離政策」の誤り

 

反対運動が生じる背景には、国の隔離収容政策によって障害者と地域とが長年分断されてきた問題がある。

 

日本の精神科病院はもともと「患者の隔離施設」として乱造された面があるため、数が際立って多く、世界の精神病床の2割近くを占める。そこに長期入院している人の多くは、狂暴性ゆえに閉じ込められているのではない。地域に戻る場所がなく、入院が長引くうちに、自立して暮らす気力すらも奪われたのだ。

 

知的障害者は、街はずれや山奥の施設に押し込められてきた。「外からの刺激を遮断すると落ち着く」という関わり方が拡大解釈され、入所者の一部は暗い個室に閉じ込められた。劣悪な環境におかれた彼らがストレスをためて暴れると、支援者は「強度行動障害」のレッテルを張り、監禁部屋の鍵をますます頑丈にした。

 

神奈川県では、元職員が入所者45人を殺傷した'16年の相模原障害者施設殺傷事件(津久井やまゆり園事件)以後、県立障害者支援施設の改革を進めてきた。入所者を鍵のかかる部屋から開放し、人間的な交流によって個々の力を回復させている。これらの施設では、最近も職員による虐待行為が次々と発覚しているが、これも改革ゆえであり、以前ならば問題視すらされなかっただろう。

 

 

反対運動は急に収束

 

改革チームの一員として、県立中井やまゆり園(足柄上郡中井町)に関わる社会福祉法人グリーン理事長の中西晴之さんは、'90年代後半、当時施設長を務めた知的障害者入所施設「青葉メゾン」(横浜市青葉区)の建設を巡り、激烈な反対運動に直面した経験がある。

 

「住民がバリケードを張って工事を妨害したり、住民訴訟が起きたりと、それは大変でした。混乱は3年に及び、開設後も抗議は続きました」

 

だが、永遠に続くかとも思えた反対運動は、急に収束した。

 

「反対運動の先頭に立っていた人の家族が、うちの関連施設を利用することになったんです。『申し訳なかった。これからお世話になるので、よろしくお願いします』と頭を下げてくれました。

 

この日を境に地域は大きく変わりました。今では施設と自治会が一緒に開催する秋祭りが賑わい、あらゆる人に優しくできる住みよい街に変わりました」

 

障害者が快適に暮らせる街づくりは、ほかの住民たちの未来の安心にもつながる。逆に言えば、障害者を排除する地域に、誰もが暮らしやすい未来はないということだ。

 

 

 

反対運動の先頭に立っていた人が、家族が施設利用者になった途端「申し訳なかった」「よろしくお願いします」という態度に豹変(?)した、というオチには、分かり易すぎて若干引いてしまうところもあるのだけれども・・・

 

まあ、何と言うか、それが障害者を「知る」一番の近道であるのは確かで。

 

そこら辺含めて、色々考えさせる良い記事だなあと思いました。

 

 

が、

 

 

この記事、ヤフーニュースでも扱っていたのですが、そのコメント欄が・・・

 

そうですね、8割くらいが、こんな障害者と遭遇したとか、障害者にこんな目に遭わされたとか、そういった「体験」をもとに、だから施設が近所にできるのはやっぱり嫌だ、という方向に傾いておりまして。

 

(一応リンク貼っておきますが・・・読まなくて良いです)

 

 

 

個別の、その体験に嘘は無いのでしょう。

 

でも、その個別の事象をもって障害者全体を語ってしまうというのは、いささか雑なのではないかと、思わないでもありません。

 

何より「ソレ、記事読まずにコメントしてますよね」というヤツでして。

 

 

そしたら皆さん、健常者によって嫌な気分を味わったり怖い思いをしたことは無いのですか?

 

あったとしたら、それで「だから健常者が近くに住むのはやっぱり困る」って話になるのですか?

 

 

しばしば指摘されることですが、精神障害者の犯罪率が健常者のそれと比較して、特に高いということはないのです。

 

ただ、放火と殺人に関しては、確かに精神障害者によるものの方が高くなります。

 

なので、印象が悪くなるのも無理はないのですが、この2つは絶対数が少ないからこそ目立つという側面もあったりで。

 

 

ちなみにですが、以下に、犯罪白書および障害者白書の数字を示しておくので、各々にらめっこしてみてください。

 

ざっくりとしたところだけですと、

 

総人口:1億2400万人で刑法犯は16万9409人(約0.14%)

精神障害者:586万1千人で刑法犯は 1344人(約0.02%)

 

になります。

 

令和4年における刑法犯の検挙人員を罪名別に見るとともに、これを男女別に見ると、1-1-1-6表のとおりである。

 

令和5年版 犯罪白書 第1編/第1章/第1節/2

 

 

4-10-1-1表は、令和4年における精神障害者等(精神障害者及び精神障害の疑いのある者をいう。以下この節において同じ。)による刑法犯の検挙人員と、検挙人員総数に占める精神障害者等の比率を罪名別に見たものである。同年における刑法犯の検挙人員総数のうち、精神障害者等の比率は、0.8%であったが、罪名別で見ると、放火(12.6%)及び殺人(6.2%)において高かった。

 

令和5年版 犯罪白書 第4編/第10章/第1節

 

 

 

 外来の年齢階層別精神障害者数の推移(図表4)について、2020年においては、精神障害者総 数586万1千人のうち、25歳未満79万人(13.5%)、25歳以上65歳未満301万9千人(51.5%)、65 歳以上205万6千人(35.1%)となっている。

 

https://www8.cao.go.jp/shougai/whitepaper/r05hakusho/zenbun/pdf/ref.pdf

 

 

 

 

かなり細かい話になってきましたが、もう一声。

 

そもそも、グループホームを利用する、ということは、そこまで重い障害ではない、ということでもあるのです。

 

というか、障害の重さによって管理・サポート体制も違ってきます。

 

 

まず、障害支援区分というものがありまして。

 

以下のように(一応)きちんと調べて決定されます(V3 は「区分3」です)。

 

 

 

 

障害支援区分の概要

 

 

 

もちろん、グループホームにも色々ありまして。

 

 

 

 

資料2 障害者の居住支援について(共同生活援助について)

 

社会保障審議会障害者部会(第121回)

 

 

 

つまるところ、「障害者は◯◯」とか「グループホームは△△」とか言ってしまうのは、自分がそうでないもの、自分が関わることはないもの、とタカを括っているからこそできることで。

 

他でもないその人、他でもないそのグループホームを見ようとしない、という意味で、ちょっと雑な生き方だな、と思ってしまいます。

 

 

たまたまですが、こんな新聞記事もありました。

 

(中日新聞2/27-17面)

 

 

結語です。
 

 精神障害者の犯罪率が一般の人より圧倒的に低いことが分かっている。動機が分かりにくいことで過剰な報道や市民の反応があるのは残念だ。報道の皆さんには、自殺報道での配慮と同様、毎回犯罪率の低さを付け加えてもらえるとありがたい。また、精神障害者がどう暮らしているかを知ってもらうことにも取り組みたい。グループホームの開設に当たっては行政が関与すると理解を得られやすいことが分かっている。行政の応援も必要だ。

 

 

最後に、それもこれも含めて、障害者も健常者もないね、というニュースを。

 

 

障害者グループホームで20代女性入居者にわいせつ 代表の男(63)逮捕 10代女性も同様の被害訴える 大阪

 

 大阪府内の障害者施設で、知的障害がある20代の女性入居者にわいせつ行為をしたとして、施設の運営会社代表の男が逮捕されました。

 

不同意わいせつなどの疑いで逮捕されたのは、府内にある障害者グループホームの運営会社代表、塩本裕治容疑者(63)です。

塩本容疑者は1月下旬の深夜、中程度の知的障害がありグループホームに入居していた20代の女性の部屋に侵入し、体を触るわいせつ行為をした疑いが持たれています。

女性が支援相談員に被害を訴えたことをきっかけに、事件が発覚しました。

警察によりますと塩本容疑者は当時1人で夜勤をしていて、通常は男性が入らないことになっている女性棟の入り口の防犯カメラに出入りする様子が写っていたということです。

塩本容疑者は警察の調べに対し、「事実は違います」と容疑を否認しているということです。

この施設ではほかにも、重度の知的障害があり入居していた10代の女性が同様の被害を訴えていて、警察が詳しく調べています。

 

 

 

ということで、V3、描き置き作品「壺」です。

 

 

 

壺の中に壺がある。何が入っているかは誰にも分かりません。本人にも分かりません。そこは皆同じなんです。

 

 

 

 
 
卒業シーズン、地元の素敵ニュース。
 
何か、こういうの流行ってるみたいですね。
 
フォーリミテッドサザビーズのGENさん 母校豊橋南高に恩返し
 
 人気バンド「04 Limited Sazabys(フォーリミテッドサザビーズ)」=ことば=のベース・ボーカルで、県立豊橋南高校出身のGENさんが2月29日、母校をサプライズ訪問。生徒を沸かせた。
 
 GENさんは田原市生まれで豊橋市育ち。昨年8月に豊橋で凱旋ライブを開いた際に「とよはしミュージックアンバサダー」に委嘱されている。新型コロナウイルス禍前から「大好きな母校に恩返しを」との思いがあり、交流のある同窓会長の佐藤元英さんらと来校を計画。生徒はもちろん、教諭らにも知らせずに準備を進めてきた。
 
 この日、学校では同窓会の入会式と卒業式の予行、教育コースの修了式があり、全校生徒が体育館へ。佐藤会長が「同窓会入会のお礼」としてあいさつに立ち、合図に合わせてGENさんが突然登場。歓声を上げる生徒や泣き出す生徒もおり、会場は興奮に包まれた。
 
 佐藤さんとGENさんが映像を交えながらトークショー形式で話をした。事前に別の名目で集めていたアンケートを元に、佐藤会長が「バンド仲間とはどうやって知り合いましたか」「高校時代はどんな生徒でしたか」などと質問した。
 
 GENさんは学校生活や豊橋鉄道渥美線の思い出、バンド時代の苦労話などを披露。「自分の中の18歳の自分に刺さるかどうかが、曲作りの判断基準」などと語ったほか、生徒に「やりたいこと、かなえたいことは口に出して」「皆さんには明るい未来しかない。どんどん挑戦して恥をかいて、失敗してほしい」などと呼び掛けた。
 
 全員で校歌を歌い、記念撮影した。GENさんは「とよはしミュージックアンバサダーとして豊橋に来る機会が増えると思う。積極的に母校と関わっていきたい」などと話した。

 

 

 

もうひとつ、嬉しいニュース。

 

(一応)市民の足、(それなりに)観光資源、渡し船「牛川の渡し」復活です。