日常生活で怒りを感じたり、不安に悩まされたり。心
穏やかに過ごせたらいいのに、と思う事はないだろうか。

時々、私は人から時々「あなたは、怒りを感じるとか
腹が立つ事はないのですか?」と聞かれる事がある。何
故、そんな事を聞くのかと尋ねてみると「毎朝、朝礼を
安定して書いている。多分、心穏やかな毎日を過ごして
いるだろう、と思ったので」との事。

「実は、そうです。日常生活では怒りを感じる事は全く
なく、心穏やかで仏の様な、毎日を過ごしています」と
答えたいところだが、そんな事は全くない。日常の中で
怒る事もあれば、腹の立つ事も少なくない。

「心穏やかで仏の様な」という書き方をしたが、恐らく
仏になるまで、つまり死ぬまでこんな自分とつきあって
いくのだろうな、と思っている。それが、生きるという
事なのだろう。どんなに穏やかそうに見える人でも、日
常の中で怒りを感じたり、腹が立ったりする事は色々と
あるだろう。ただ、穏やかな人は、怒りを感じる回数が
少ないか、その程度が小さい、あるいはその両方という
事はあるかもしれない。

怒りを抑える方法の一つに「怒りを感じる」という事
がある。どういう事かと言うと・・・怒りを感じる時は
たいてい体に異変が起きている。体が熱くなり、奥歯を
かみしめていたり、胃の辺りがキリキリと痛くなったり
それをじっくりと感じてやるのだ「あっ、今は体が熱く
なっているな」と。そして、そこを楽にしてやる。体が
熱くなっているのであれば、服を一枚脱いで体を冷やす。
奥歯をかみしめているのであれば、力を緩めてやる。胃
が、痛むのであれば、腹に手を当てる。たったこれだけ
の事だが、怒りをちょっと軽減する事ができる。

我を忘れて怒りを感じる・・・などと言ったりするが
怒りを感じる時は意識が自分ではない誰かに向いている。
「あいつが悪い!そいつが悪い!」と。その意識を、自
分にぐっと向けてやる訳だ。自分に意識が向くと、自分
の至らない点が見えてくる事もある「よく考えてみれば
自分も悪かったなぁ」と。そこに気が付けば、怒りの原
因を自ら取り除くことができ、次にまた同じことで怒る
可能性が減る。

朝起きてからこれを読むまでに、既に怒りを感じる出
来事があった人もいるだろう。あるいは、今日一日の中
で怒りを感じる出来事に遭遇する人もいるだろう。起き
てしまった現実を変える事はできないが、その感じ方を
変える事はできる。

どうぞ心穏やかな一日を過ごして戴きたい。手放せば
ラクになれるのになかなか手放せない心の葛藤、先行き
の見えない不安な気持ち・・・簡単に解決するという訳
ではない。実際に自分の内面とじっくりと向き合う事だ。

「憤怒は、他人にとって有害であるが、憤怒に駆られて
いる当人にとっては、もっと有害である」(トルストイ)

「腹が立ったら、何か言ったり、したりする前に十まで
数えよ。それでも怒りが治まらなかったら百まで数えよ。
それでもダメなら、千まで数えよ」(ジェファーソン)

「争いの場合、怒りを感ずるやいなや、我々は最早、真
理の為ではなく、それの為に行う」(カーライル)


(ある書籍の記述を再構成したもの)

また視野の狭い人から誹謗中傷を受けそうになったが
これ読んで仏の心になろ!
モチベーションの低い人とは、相手にしてはいけないし
関わりを持ちたくない。

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