インタラクリ -1861ページ目

小子化と、DVD-BOX 。

暴論を、吐きます。

と、いっても「生む機械」には、遠くおよびませんが。


前々から、うっすら、感じていたことなのですが。。


小子化対策の、一環として、

DVD-BOX の値下げ、を検討してもらえない

ものでしょうか?


子供も欲しいが、DVD-BOX も欲しい。

という、どっちつかずの、30代-そろそろ40代、って、

けっこう、いると思っているのです。


「国道16号線の法則」


じゃないですけど、世の中、意外なところに、

競合があって、、、要するに、同じ人の「お財布」の占有率や、

同じ人の「24時間」の占有率を、奪い合ってる。。。というか。


ユーザーのリアルを眺めて、

意外な「競合」を発見すると、新しい提案が、できるような。


といっても、この


「子供を育てたい」か「DVD-BOX」を集めたいか、の

ぐだぐだなアンビバレントは、どの業界にプレゼンすればいいのか、

今のところ、わかりませんが。(わかってたら、書かないですし。)


*「意外な競合」探し、思いついたら、また書きます。

こんなのどう?ってのが、あれば、コメントください!

人材募集!への反響。

先のエントリーに関して、

http://ameblo.jp/ksdkjp/entry-10026442479.html

感謝と、お詫びを申し上げます。


かい沢くん。ヤマギさん。コメント、ありがとうございました。

他にも、直接メールも、何通かいただきました。

ありがとうございました。


反響のデカさに、ややビビりつつ、

おおごとになる前に、お詫びです。


「人材募集!」は、弊社我が部署の、公のリリースではなく、
わたくしの「魂の叫び」と、ご解釈ください。


もちろん、このブログでの「叫び」を契機に、
いい出会いがあって、いいネットワークができれば、

活用させていただきたいと、念じております。


ただ、弊社の、正式な「人材募集」では、ございません。

採用権も、人事権も、残念ながら、私、もっておりません。

(ぎりぎり、足の小指の爪ほどの、発注権くらいしか、ないです。)

テンパッていたとはいえ、誤解される表現をしたことを、お詫びいたします。


しかしながら、人手不足は、深刻なので、

このブログがキッカケになってでも、状況が変わって行くことを、

せつに、祈念します。


あ、ていうか「変わっていくことを」じゃなくて、

「変えていかなきゃ」ですね。


実際、、「仕事したい!」という人が、多々いて、

「仕事して欲しい!」という人が、多々いるのなら、

あとは、「トレーニング」と「段取り作り」だけ。。。の、ハズなんですが。


自分の仕事に、テンパってないで、

メタな視点から、解決策を練らないと、いかん、と思う次第です。


今後とも、よろしくお願いいたします。

秒速消費。

本当に、その瞬間、
「欲しい、買う、以上。」  な、だけの消費。

本当に、それ、だけ。

アマゾンとかワンクリックオーダーが、

一般化させたのだろうか?

実のところ、買っても、買ったことを、忘れているし。
買わなければ、何を、買わなかったか?さえ、忘れてる。

というか、

「知った→買いに行った→あった→買った。」 

以上、終わり!  か、

「知った→買いに行った→なかった→あっそ。」 

以上、終わり!  か、

本当に、そんな感じ。

いいとか、悪いとか、でなく。
これ以上でも、これ以下でもなく。


ネット購入に限らず、買う意識が、

変容してきてる気がします。


意識というか、購入体験というか。


本当に、瞬間、瞬間、にしか、購買を決定していない、

なああ、つか。


実は、衝動買いの、無駄使いばっか、してるんじゃないか? 
 、、つか。

「インタラクティブ・クリエィティブ」から、「クリエィティブ・インタラクティブ」へ。

「インタラクティブ・クリエィティブ」から、
「クリエィティブ・インタラクティブ」へ。


わかりにくい、ですね。
解題すると、


「インタラクティブな、クリエィティブ」から、
「クリエィティブな、インタラクティブ」へ。


っても、わかんないか。。


もはや、危機的に、逼迫してて、
さらに、より、重要性が、増してきているのですが、


ハッキリ言って、つまり、、、


ポスターや、新聞広告や、TVCMと、同じように
広告サイトが作れたり、インタラクティブなプロモーションを企画して実施できる人。


クリエィティブスキルが、あって。
インタラクティブ・メディアのことが、チャンとわかってて。
WEB界の流れが、読めて、対応できて、広告マンとして、仕事回せる人。


(たとえば、たとえば、プレゼン時において、
 競合奪取のために、まず、デザインから入るアプローチ、だとか。。


(たとえば、CMの予算がないから、
 GRと、WEBだけで、キャンペーンにできる制作力、とか。。


これが、できる人が、まったく、足りてない。
いつまでたっても、供給される気配も、まったくない。


供給なんか、されるわけないか。。
みんな自力で、やってるのだものな。。


人材募集です!

このブログに、個人メールくださっても、まったくかまいません。
なりふり、かまって、いられなくなってきました。

もっと、断片化宣言!

いや、まったく。

ブログ、書きたくて、しょうがない、というか。


書かないと、このままでは、ヤバイことばっかりで。

せめて、自分のブログから、、世界を変えていかないと、

間に合わない、、というか、終わっちゃう、というか、な、

そんな状態の日々、、また、日々、なのですが。


そもそも。備忘しときたい、断片を、

リアルタイムに、UPして、

記ログしておく、ための仕組みとして、

スタートしたのが、部ログなのだから、


断片であることを、恥じず。

断片で、アレ!なんで、あれ!


断片は、いくら、集積しても、

本編には、ならない。のか?


否。なる。


我が師、JLG先生が、やってらっしゃるように。


人生は、断片で。引用で。映画なワケで。

夢は、僕らで出来ていて。僕らは、夢で出来ている。なワケで。


だから、断片、上等!!

断片こそ、本編だ!!


・・いきおい、だけで、わかりにくいので、。

結論的に言うと、


このブログは、

ブログであることを、続けるために、、、(不可避的に、不退転的に、)

さらに、断片化します。


以上。

もっと、断片化宣言!

でした!

砂の女、再見。

たまたま、23時ころから、チャンネルNECOで、
勅使河原宏の「砂の女」をやっていたので、つい見始めて、
案の定、最後まで見てしまった。

いくつか、思ったこと。

前に、見た時は、予備校に通ってたころで、
やはり、NHKか教育かで、TVで見た。(たしか、祝日の夜に)

そのころ、映画を見たら、必ずノートを付けていたのだが、
そのせいか、本編に存在しないカットを、ずっと記憶していた。
だから、「あれ?カットがたりない」とか、思ってしまった。

話の終幕は、すっかり忘れていたのだが、
もっこで吊られて去りゆく、岸田今日子の
「いやだよお。いやだよお。。」は、音感ごと、よく覚えていた。

そのカットのアングルが、記憶とやや違っていたのは、単に、
ノートにメモ描きしたサムネールがいいかげんだったからだろう。

当時、見た印象で「女の恐ろしさ、、」のような、感想を
しったげに、ノートに書いていた記憶があるのだが、

見直して感じたのは、むしろ、「砂の女」側の
「かわいらしさ」、運命への「従順さ」だった。
当時、アイドルだった岸田今日子も、素晴らしい。

「恐ろしい」のは、「女」ではなく、
映画のストーリー上は「土着」と「部落」である。

そして、だらしなく「砂化」してゆくのは、むしろ男の方。
文字通り「人生、ぐだぐだ」に、なって行く。

それが「砂」=労働や、「女」=家族のせいなのか、
「男」自身の、そもそも「だめだめ」な属性ゆえ、なのか。。。

冒頭では、世の中に必要とされていなかった「男」が、
ラストでは、なりゆきの果てに、
ついに、自分が必要とされる場を、見つける。。なるほど、。

「生きるために、砂かきしてるのか。
 砂かきするために、生きてるのか。」、、まったく、その通り。。

この辺は、予備校生のころは、抱かなかった感想であり、
理解しきれなかった筋であり、身につまされなかった部分である。


大胆なマクロ撮影や、つぶしのきついコントラストなど、
モノクロームの映像は、素晴らしい。
(いわゆる「濡れ場」と呼ばれるシーンの、
 クロースなトリミングでの、見せない「エロさ」は、絶品。)

武満徹のミニマムな音楽も、映画全体に怖いくらいの「緊張感」を
与え続ける。もちろん、物語り設定も、秀逸だと思う。


ところで、しかし、、

最近、こういう、アートシネマって、めっきり作られなくなった
よなぁ、、と、ふと、気づく。

こういうのを見ながら、暗闇で、2時間くらい、
ものを考える時間って、けっこう、いいものなんですけどねぇ。。

CD=「良問」を出す人。

昨日のつづき。


というか、その学校へ行ったり来たりしてる前後の
徹夜続きの、打ち合わせの中で、友人F君から、聞いた、とある一言が、
寝ぼけた私の頭の中で、この学校での経験と混ざりあい、あることに、気づいた。


いわく「このフレームを作ったら、プランナーが、いくらでもコンテが
書けると、いうのだよ。・・ふふふ。」(語尾は、やや勝手に創作)



良い問いを出せば、若い者は、考えやすくなる。
もっと、考えようという気になる。
もっと、様々な答えが、あるんじゃないか、と追求する。
ああも、できる。こうも、できる。。と思いを巡らせる。


これが、「良問」の効果だ。


CDは、制作スタッフに。
プロデューサーは、現場スタッフに。
営業は、制作に。
得意先は、代理店に。
社長は、社員に。
映画監督は、俳優に。。。問いを、出す。


常に「答え」を出す側以上に、
「問い」を出す側の、「課題設定能力」が問われている。


良い問いが出せれば、より追求された答えが、返ってくる。
良い問いがあれば、よい答えは、いくらでも出して行ける。
ビジネスでも、美術教育でも、この方が、絶対いいだろう。



ディレクターの仕事とは、
スタッフに対し、いかにモチベーションが上がる「良問」をだすか?ということ。
(教師、またしかり

禅問答のような「なぞの問い」や、無言の読み合いではなく、、、



CDとは、「良い答え」を選ぶ人のことではなく、
「良い問い」を発することができる人、のことなのであると、


教わった気がした。。

「課題」は、出す側こそが、問われている。

先週だったか、先々週だったか、忘れましたが、、、
ものすごい忙しい最中、とある学校へ、学生作品を見に行かねば
ならない業務があり、完徹の脳みそで、東京近郊のその学校へ行きました。

その時、気付いたことを、書かせてもらいます。(コンプラには、十分配慮して)

何名かの学生さんに、ポートフォリオを、見せてもらったのですが、
その中で、課題らしき「公共広告」の新聞広告を、熱く語る、学生さんが、
何名も、つづきました。

その、何人目か、忘れましたが、
地球が抱える問題を、熱く、糾弾しつづけるデザイン科学生が、いたので、
やはり、これは、指摘してあげた方が、いいだろうな、、、と思い、
「オジさんから、余計な一言、いいですか?」として、言わせてもらいました。

「あなたは、ビジュアル・デザインのプロになりたいのか、
環境問題を解決するプロになりたいのか、ごっちゃにしてませんか?」と。

私自身、認めたくない「若さゆえのあやまち」でもありますが、
「重い課題」を、マジメに考える内に、
その「問題」そのものに、取り込まれてしまい、
ビジュアル・アイデアが、まったくトバない、、、という例。

この「頭を分けなければ、やっていけない」という、デザインや広告の「原罪」は、
深堀りすると、とんでもなくデカい問題を、ほじくり返すことになって、
差し障りが、ありすぎるから、ここでは、掘りません。

ただ、一言だけ言わせてもらうなら、、、、これは、「課題が悪い」でしょう。

もっと、冷静な知識人や、表現の熟練工になら、ともかく、
自分の将来の問題と、地球の将来の問題を、ごっちゃにして、
つい過激な行動にでてしまうような世代には、出さない方がいい、「課題」です。

何年か前に、母校に、同じような業務で行った際も、
「小麦ビール醸造のプロになりたいのか、
広告デザインのプロになりたいのか、ごっちゃにしてませんか?」と、
言いたくなるケースに、多数遭遇しました。

これも、同じく「表現の核になるアイデアを詰める」よりも、
「商品の成り立ちの解説」と「形式だけの媒体展開の説明」に、
時間をかけさせ過ぎた「課題」が、悪かったのだと、思います。

「愚問」なら、解かない方が、いい、のです。

才能が引き出されない「課題」なら、無視していいのではないでしょうか。
(広告界で言う、「オリエン無視」のように、)
その「課題」の、解くべき所と、無視すべき所とを、見極めた上で、
「表現」をトバせるなら、いいのですが、そんな学生さんは、ほぼ、いないですし。

常々、思うのは、生徒の個別の「特異性」を伸ばさずに、
なんのデザイン教育であるか?、と。

「キャラ立ち」するキッカケだけ、与えられれば、いい。
各自の「キャラの違い」を見せあえる場を、与えることさえ出来れば、
それがベストな「デザイン教育」だ、と、本気で、思います。
(かなり、理想論なのは、承知のうえで。)

36時間以上、寝てないがゆえに、学生さんに、半分寝ながら、
キツイことを、言ってしまいましたが、その意を汲み取ってもらえたか、どうか。。。

あけまして、断片化。

あけましておめでとうございます。
と、2月10日に書いております。
(すいません。)


ついに、2007年。


1月は、1エントリーもUPしない内に、
過ぎ去って行きました。


いや、しかし、、、


こんなに、心おだやかな、休日出勤は、
久しぶりです。


土日に出ている時ですら、
追いまくられるような心もちで、


12月、1月と、本当に、ずっと
ケイレンするように、仕事してました。
いや、仕事しながらケイレンしてました。
いや、ケイレンのような仕事をしてました。
いや、右手の中指がメール打ちすぎで痙攣してました。。。


まあ、そんな感じで、、


いろんなことが、重なり、
断片的なブログすら、上げる余裕なく、
毎日、やってきたワケなのですが、


最近、立て続けに、意外なところから、
「ブログ、読んでます」
「最近、更新してませんねー」と、言われ、


あー、いかん。。遺憾、であると。


こんなに手軽で、リアルタイムに、
自分の現況や、現業や、現「気づき」やらを、
1円のお金もかけずに、自由に、情報発信できる
メディアを持ちながら、


しかも、日に、1500から2500PVも、
読者の皆様から見ていただきながら、


これを、あだや、おろそかに、しては
いかんのではないか?と。


書きたいネタや、共有しておくべき発見を、
手帳のコヤシにしていては、いかんのではないか?と。


相変わらず深い「ミゾ」を、少しでも埋めるべく、
初心にかえって、がんばるべきではないか?と。


適当なネタでもいいから、マメにエントリーした方が
アクセスがオチなくて、いいのではないか?と。


まあ、そんな感じで、、


建国記念日を前に、決意を新たにする次第であります。
ひきつづき、今後とも、よろしくお願いいたします。

冗談と本気。

雑誌「販促会議 」の本日発売の号
(表紙は偶然、ますますくん)に、
依頼原稿を書きました。


masumasu


「秘)これがプロの企画書だ!」という、
この誌のレギュラーコーナーに、5ページ。


これ、本当は、
現業で提案した「本物の企画書」を
一部改訂して、公開して欲しい、
という、ページだそうなんですが、


・・・さすがに、ソレはできず、


と言って、例月のように、
「架空の商品」の「架空のプレゼン」を、
この誌上でやるのも、、なんか、ノラないなぁ・・

と、思いまして、


「企画書の企画書」「プレゼンのプレゼン」を
やっても、いいでしょうか?と、編集部に提案して、みました。


すると、編集氏より
「それを業務としている会社が、事業を拡張するためのプレゼン」という
設定でなら、OKです、とのこと。




・・・というわけで、脱稿したのが、企画書作成代行会社、
「株式会社 企画書道」の「当社が考える企画書とは?」
という、企画書と、そのプレゼントーク原稿です。



かなーり、インチキくさい
(株)企画書道の、企画部員に、なりきって、
ふかす、ふかす、いかがわしい、トーク。


いわく、「武士に武士道。企画書に企画書道。」
「言葉に言霊(ことだま)。企画書に企画魂(きかくだま)。」
・・・などなど。


この、誌面では〈説明〉というところに、メチャメチャ小さい
ポイント数で、コチョコチョ載っておりますが、自称・必見です。


この「ふかしトーク」と、
うまいんだか、うまくないんだか、わからない企画書ボード、計9枚。


スーパー阿呆らしい体裁の中に、
ここ何年かの間、自分や、自分周辺の、
うまいプレゼンや、うまくないプレゼンを、観察する中で、
学び、思い、肝に銘じてきた、
「理想のプレゼン」「理想の企画書」について、
かなり、本気の「思うところ」を吐き出しています。


冗談の中でしか、本当のことが言えない?
なんか80年代的な感じですが。



実は、この企画書の、最後のページの、末尾に、
「*当社は、架空の存在なので、発注したい方は、ご自分でがんばってください。」
という、注意書きを一文、小さく、入れていたのですが、
それは、みもふたもないからNGということで削除になりました。


こういう「メタ」な「台無し」感を好むのも、
「80年代的性格」なのかもしれません、ね。


今年1年・・・じゃなくて、6月から半年間(まだ半年かぁ)
皆様、ご愛読ありがとうございました。


では、よいお年を!!