日本映画「ソロモンの偽証」
この映画の題名「ソロモンの偽証」は、少なくとも映画の内容からして、「ソロモン」の名にはふさわしいとはいえない。
ソロモンbといえば、相当に賢明な思考がなければならぬはずだが、「偽証者」は、賢明な思考をしているとはいえないのだ。
偽証したことが愚かだというのではない。
主人物の神原という少年は、父親がアル中で、酒乱の末に妻(つまり少年の母親)を殺してしまう。
その後で、留置条で自殺してしまう。
問題は、神原少年の小学校時代の友人で、他の中学にいる少年、柏木君が、生きることの無意味感にさいなまれて、自殺欲求を持つ。
柏木君は、神原少年に「君はよく平気で生きていられるね?お母さんがお父さんに、殺されたというのに、よく平気で生きていられるね?」と、思い切り神原を傷つけて、なにか、神原少年が自分の想像を超えるような意義ある返答をするのか、それとも、くだらない返答しかできなくて、やはり、無意味な人生をごまかして生きているだけなのかを確かめようとする。
神原少年は、「それでも生きていく」と答えるが、柏木は、「ごまかすな。ごまかしていないというなら、死んだお父さんとおかあさんと暮らした思い出の場所に行って、どんな思いがするか俺に言ってみろ」という、。
神原は、思い出のある場所に行ってみるが、むしろ、お父さん、おかあさんと暮らした日々の楽しかった事を思い出す。
その事を柏木に告げて、僕はやはり生きようと思う、と言う、
柏木は、それなら、もっと悪いよ。あんなひどい死に方をしたのに、楽しいことを思い出すなんて、君の人間性は腐ってるね?
君はアル中で女性を殺すような父親の血を引いているんだ。おとなになっても、そういう運命をたどると思うよ、と神原の心をうかがうように神原を責める。
神原はもう勝手にしろ、自殺したければ勝手に死ね、僕はもう帰る、と言う。
柏木は、君がほんとうに行ってしまうなら、僕は死ぬ、というが、神原は怒って帰る。
翌日、柏木の自殺死体がみつかる。
ここで非常におかしいのは、柏木の言う「血のつながり」の強調だ。
「血のつながりの強調」は、相手を窮地に陥れたことになはならないんだよ、と神原は反論するべきだったのである。
おそらく、欧米映画なら、そういう論理になる。
ところが、この映画では、このことが問題にされない。
ほんとうに日本人がそういう発想をリアルに持っているかどうかも怪しい。
これは、韓国の発想ではないのか?
という疑いが沸き起こる。
この映画を「ソロモンの偽証」などという題名をつけて、世界に公開することは、基本的に日本人として恥ずかしい。嫌な映画だ。
また、映画のラスト、学校にいじめをテーマとする伝説があるために、現在の学校にも、いじめがないというセリフがある。
これはとうてい、信じられない。現在の生徒は現在の生徒で、学校の過去の出来事を皆が知っていることなどありえない。