道徳観の欠如が多くの普通の国民から指摘されている前川氏ですが、教育勅語の掛け軸があった事が何か問題なのでしょうか?
「文化の日」を「明治の日」にする事に何の問題があるのでしょうか。
教育勅語とは「道徳を説いてみせる内容」なのですから前川氏の言う通り(?)学校で活用し、むしろ広げるべきではないのでしょうか?
どこに問題があるのでしょうか?
道徳規範というものは繰り返し朗唱することによって、自発的に守る心を持つようになるものと思います。皆さんはどのように思いますか?
教育勅語に文句をつける輩たちは全文を読んでから反対意見を述べるべきです。
日本人であるならば、どう読んでも問題があるとは思わない筈だし、意を唱える者は日本語に関する読解力が無いのではないかと疑います。教育勅語を否定して逆の意味として考えた場合、日本人なら問題視する事が自体がおかしいと気が付くと思います。
教育勅語についてブログに書くと、天皇制がーーと喚く輩が必ず沸いて出てきます。
教育勅語は彼らの主張する皇国史観に基づく天皇の神格化や軍国主義を洗脳するような内容ではありません。
原文を全文お読みいただければ納得する内容だと思います。
教育勅語と現代語訳クリック
http://chusan.info/kobore8/4132chokugo.htm
【口語文訳】
私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。
そして、国民は忠孝両全の道を完うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、美事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。
国民の皆さんは、子は親に孝養をつくし、兄弟、姉妹はたがいに力を合わせて助け合い、夫婦は仲むつまじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じあい、そして自分の言動をつつしみ、すべての人々に愛の手をさしのべ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格をみがき、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心をささげて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。
そして、これらのことは、善良な国民としての当然のつとめであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、更にいっそう明らかにすることでもあります。
このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、このおしえは、昔も今も変らぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行なっても、まちがいのない道でありますから、私もまた国民の皆さんとともに、父祖の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。
―国民道徳協会訳文による―
http://www.seinensya.org/ohter/rinridoutoku/index.html#3
教育勅語はGHQによって日本では廃止されていますが、皮肉な事にアメリカを含む世界中で日本の教育勅語は絶賛されているのです。
アメリカの「The book of Virtue(道徳読本)」は「教育勅語」
を下敷きとして書かれています人材日本
私たち日本人は「道徳心」が存在しない国と隣国であるという事をもっと理解すべきです。
その国は終焉に向けて今突き進んでいます。
私は令和の時代となった今こそ教育現場に取り入れるべきと思っています。
そう思いませんか?
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