声。 | kurariroのメモ帳

kurariroのメモ帳

忘れたくないことを保存してます。

でも時に気まぐれです。

声。

 

 

 

『このままだと我が子を殺してしまう』虐待と向き合う母の告白

 

 

以下、全文。

 

 

我が子に手をあげて虐待行為に走る親。その心の内には何があるのか―。
今回、私たちは、我が子への虐待経験を持つ母親を取材。「このままでは殺してしまう」、そんな状態に至るまで、なぜ虐待を続けてしまったのか、当時の心境を聞いた。

 

「育児に非協力的」な夫 仕事と育児・・・追い詰められた母

幼い子供が描いた1枚の絵。ピンク色で塗り尽くされたその絵は、母親から虐待を受けていた、当時3歳の子供が、母親を描いたものだ。顔の上に小さく描かれたふたつの目はなぜか、ねずみ色で塗りつぶされている。子供の目に母親はどう映っていたのか。私たちはこの絵に込められた“子供の叫び”をやがて知ることになる。

「プライムニュース イブニング」の島田彩夏キャスターがインタビュー取材をしたのは、大阪に住む現在49歳の母親・ヨシコさん(仮名)。ヨシ子さんは、我が子に対する虐待経験を持つ。「しんどい時期は、お兄ちゃんが中学1年生、下の子が1歳半くらいの頃。(周りには)言えなかったけどしんどかった時期だった」と当時を振り返る。

ヨシコさんには、父親が違う2人の息子がいる。長男の父親とは長男が幼い頃に離婚。その後再婚し、次男をもうけたが、夫は些細な喧嘩で家を空けることも多く、決して育児に協力的とは言えなかったという。
ヨシコさんは、家計を支えるため、看護師として働きながらの、家事や保育園の送り迎え、そして夜勤や残業続きの毎日によって追い詰められていった。体力的にも精神的にもギリギリの状態。自分を見失うとともに、“それ”は始まった。島田キャスターがヨシコさんに当時のことを聞いた。

わずか1歳半の次男 黙らせるために叩いた

「やっぱりギャーギャー泣く時期、1歳半頃からスタートした。頭を張り倒し・・。吹っ飛んでも、それがなんか全然気にならないというか、ああまた泣いたわ、くらいにしか思わない自分がいた。『うるさいあなたが悪い』としか思っていなくて、『だから怒るんよ!』と。今思うと、都合のいい、言い訳だが、当時はそう思った。」

ヨシコさんの暴力の対象になったのは当時中学生だった長男ではなく、1歳半の次男だった。
「とにかくうるさいから黙らせるために叩いてしまい、もう止められなくなっている。止められなくなってまた叩いて続けてしまう。自分の手が痛いんですよ、パンパンになって。叩きすぎて。それで、叩くのをやめるという形だった。」
当時、虐待をしているという認識はあったかどうかという、島田キャスターの問いかけに、ヨシコさんは答えた。「全然なかった」と。

 

「子供を殺すかもしれない・・・」救いを求め母は

日に日にエスカレートしていく虐待行動。そしてついにある出来事が起きてしまう。
「(子供を)蹴り飛ばした時に下のテレビの台の下の角にぶつけてしまった。耳から出血したので、その後、病院に行ったが、泣き叫んで大変だったので(医者に)“止めるために蹴りました”と言った・・。」
周囲にも子供に手をあげていることを全く明かしていなかった彼女は、「本当はおおごとになってほしかったのかもしれない」と振り返る。
そして、すがるように電話をかけた先は、児童相談所の虐待ホットラインだった。

「子供を今度はもう殺すかもしれませんと正直に言った」と話すヨシコさん。ヨシコさんのSOSを受け、次男は2週間ほど一時保護されることになった。当時、子供が一時保護され、自分のもとを離れたことにホッとしたと明かす。
「(職場でも)ここで休みたいとか、子供の為に休みます、というのは首を切られるんじゃないかと思い、(休むという)選択はできなかった。ある意味子供と離れられたことにほっとした…。」

愛されなかった幼少期 虐待の経験がもたらす感情

実は、ヨシコさん自身も幼い頃、実の母親から虐待を受けていた。「お前は口答えする!とよく耳を引っ張られたり、殴られたりすることもしょっちゅうあった。」と話すヨシコさん。殴った場所が顔だとわかるから、腹や背中、おしりを殴られたという。母からの虐待は、ヨシコさんが中学生になる頃まで続いた。
「早く大人になりたいって思っていた。早く大人になったらあの家を出ていけるって」

ヨシコさんが児童相談所に出したSOS。その時、児童相談所に紹介され、出会ったのが、虐待をしてしまう親のための回復プログラム「MYTREEペアレンツ・プログラム」だった。

MY TREEペアレンツ・プログラム」を主催する森田ゆり氏にその内容を聞いた。森田氏によると、「深刻な虐待にいたってしまった人はそれ以前の自分と向き合う、それから自分の言えなかった感情を語っていく。ずっと言えなかったけれど小出しに感情を表現できるような練習をしていく」という。
具体的には、プログラムでは、虐待をしてしまう親たち同士で話し合うグループセッションを13回に渡って行っていく。話し合いを通して、自分の内面を見つめ、誰にも明かしたことのない辛い経験を共有するのだ。人や社会とのつながりを取り戻すことで、虐待との決別を図るのが狙いだという。

 

長男に明かした虐待 長いトンネルへ

プログラムに参加し、自分の気持ちを正直に話すことを学んだヨシコさん。当時、次男への虐待について初めて打ち明けた相手は長男だった。
現在23歳の長男ショウキチさん(仮名)は、当時、母親から弟への虐待について告白された当時を振り返り、こう語る。「(虐待に)気づいていない自分と、サポート出来てない自分に今では後悔。僕がサポートしていたらもっと救われたんじゃないかと思う。」

ヨシコさんが、虐待と向き合うきっかけとなったプログラムは、7か月間に及んだ。しかし本当の闘いはそこからだったという。
「やっぱり終わってからの方が自分と向き合う時間がすごく長い長いトンネルがスタートするのでこの次男とどう向き合っていこうと思った。プログラム卒業後も、階段を次男が先に上がっていくのを見ると、なぜか投げ飛ばしたくなるような、突き飛ばしたくなるような気持ちをずっと抑えていた。」

なぜ虐待をやめられないのか、自らを見つめ分かった事

なぜ虐待をやめられないのか、なぜ怒りの感情が出てくるのか。ヨシコさんは少しずつ考えるようになった。その頃から「ちょっとずつ怒りがコントロールできるんだと、自分に自信がついてきた」という
「仮面」の裏側にあった本当の気持ちや感情がいったい何だったのかと島田が尋ねると、ヨシコさんは、「今まで受けて来た誰にも愛されずに、抱きしめてもらえずにいた。(昔)泣き叫んでいた自分は、自分の子供と同じ状態だった。泣き叫んでいる子はまるで自分のようだと気付いた。」と話した。そして、もうひとつ、ヨシコさんが気づいていたことがあるという。
「次男は、私のことをいつも否定してくるパパ(次男の父)に似ていたんだなと思って。私が仕事に行こうとすると、ギャーギャー泣いて、いつもこの子邪魔してくると思った。」
自らが子育てで大変な時に、家を空け、いなくなってしまった夫への恨みというのを投影させてしまったのではと聞かれ、ヨシコさんは答えた。「その通りです。次男の後ろ姿を見ていて、それに気づいた。」
ヨシコさんは、自ら幼少期に受けた虐待経験と、心に溜め込んだ夫への怒り。それらが虐待衝動の根底にあることに気付いたのだ。

 

愛そう・・・母を変えた、3歳次男からの愛

そして次男が3歳になった「母の日」。心から「我が子を愛しい」と思うきっかけになる出来事が…。
あのピンクの絵だ。「この絵を母の日に『ママ、プレゼント』となぜか震えながら渡してきた」と話すヨシコさんは、額縁に入れた絵を、愛おしそうに島田キャスターに見せた。次男がママを思い描いた絵だ。

次男は、普段は金色や銀色が大好きだったが、絵に描いた“ママの瞳”はなぜかねずみ色に塗られていた。
「なんで黒い目にネズミ色をわざわざ塗っているのかなって。私は子供の前で泣くことはなかったが、これを見て、ママが泣いている涙の目を描いていたんだなと。次男に、『ママのこと大好きなん?』って聞いたら、『うん』って答えてくれて、2人で抱き合って泣いた…。」それが子供を愛するきっかけとなった。
「次男に愛されていると感じた。私も愛そう、返そうと。そこから“かわいい”がちょっとずつだが(増えた)。」ひとりよがりの感情を封印し、母としての愛を取り戻したヨシコさん。それからは手をあげることはなくなった。
「仕事も人のためにあるような仕事に就きながら、子供の感情に気付いてあげない自分がいて、ものすごい自分が許せなかった。お母さんじゃないですよね、こんな自分が嫌だとずっと思っていた。そして、虐待は二度ともうしないと決めた。」

編集後記~子供たちへの虐待をなくすために~ プライムニュースイブニング 島田彩夏

「なんでも聞いてください。」と、ヨシコさんは正面から私を見つめて言いました。インタビューは、1時間以上に及び、時には辛い質問もしなくてはなりませんでした。次男が1歳半ごろから始まった身体的虐待。「吹っ飛ぶ」ほどの殴打。自分の手は冷やさなければならないくらいパンパンに腫れる日々。ひとを支える看護師の仕事をする一方で、多忙な自分を「泣いて困らせる」子供を殴る毎日・・・。聞いている私の気持ちも重くなりました。
「自分のやっていることはしつけだと信じていた」といいます。そんなヨシコさんが変わるきっかけになったのが、番組で紹介した「MY TREEペアレンツ・プログラム」への参加だったと言います。

インタビュー中、突然、ヨシコさんの表情が曇り、口調が重くなりました。『マイツリー』プログラム参加中にどうしても言えなかった言葉がある、そんなくだりでした。それは、「わたしは大切な人です」という短いフレーズ。このなんでもない言葉がどうしても言えない。喉が詰まって、涙が出てしまったそうです。
結局、セッション中には言えずに終わりました。あれから10年が経った今でも、思い出すと寒気がすると言うヨシコさんの目には、涙が浮かんでいました。ヨシコさんは、それまでの人生で、自分が大切だと思ったこと、そう感じさせてもらえることがなかったのです。

インタビューの合間、ヨシコさんはたくさん持ってきてくださった子供たちの幼いころの写真を一枚一枚説明してくれました。時には目を細めながら写真に指を置き、そっと撫でたりしていました。その姿は子供を大切に思う多くの母親と何ら変わるところはありません。
しかし、次の言葉がヨシコさんの辛い過去を物語っていました。「こんなに可愛い顔してたのね、次男。こんなに可愛い顔なのに、当時は全然そう思えなかったんです。それどころか、顔を思い出せなかった…。」

今回の取材に、ヨシコさんはある覚悟を持って臨んだと話しました。「自分のやったことは消せません。自分で受け止めます」と。そしてインタビューの最後にこんな話をしてくれました。
「私には目標がたくさんあるんです。そのうちのひとつが、DV(ドメスティックバイオレンス)を受けて行き場のない方たちを助ける家を作りたいなと思っています。」

自身も20代の頃、最初の結婚で夫からDVを受けていたヨシコさん。その頃は辛いという感情さえも抑え込んでいたと言います。今同じように苦しんでいる人をサポートすることで、誰に相談することもなかった過去の自分を救おうとしているのかもしれないと感じました。

「そのために、勉強しながら貯金もしていきたいんです。」
そう語るヨシコさんの表情にはもう曇りはありませんでした。

「児童虐待とは、虐待している親がこれまで人として尊重されてこなかった痛みや悲しみを怒りのかたちで子供に爆発させる行為である。」
「MY TREEペアレンツ・プログラム」主催者の森田ゆりさんは、こう指摘します。

ヨシコさんの場合、児童相談所から、森田さんのプログラムを紹介されましたが、実は、こうした親への指導などは、これまで、それぞれの児童相談所の判断によるものが大きかったと言います。しかし、今年度から、家庭裁判所の関与が強化され、家庭裁判所が、支援プログラムに親が参加するよう児童相談所に勧告ができるようになりました。
虐待の現場では、児童相談所などが介入して暴力などから子供を守ることが、当然大切ですが、根本は、どうやって親に虐待をやめさせるかということだと森田さんは指摘します。まだ始まったばかりのこのシステムが、これからどう運用し、機能していくのか、よく見ていく必要があるのです。

(「プライムニュースイブニング」9月24日放送より)