80年代のバブルも華やかかりし頃、テレビでは熟女ブーム、というかお婆さんブームがあった。
昨今のおバカタレントのように、年配の女性タレントがテレビ番組でよく起用されていたのだったが、その中で特に存在感が大きかったのは、淡谷のり子、大屋政子、小森和子のお三方だったと記憶している。
淡谷のり子さんは芸能界の大御所、ブルースの女王
大屋政子さんは政財界の大物の妻で、ご自身も辣腕実業家
では、小森和子さんは・・・ というと、ジェームス・ディーンのファンで映画評論家なんだけど、他の二人に比べてなんかインパクトがない。淡谷さんと政子ちゃんは努力して自らの城を築いた、というイメージなのだが ・・・ おばちゃまこと小森さんはどこか毛色が違っているような気がしていた。
彼女の自叙伝を読んで、その違いを理解した。
おばちゃまは、自分の道をダンプカーのようにバリバリ突き進む人ではなかった。
本のタイトルにある通り、「流れるままに」生きていたというのがよい表現だと思う。お金持ちの家に生まれ、多くの男性にちやほやされ、その場その場で起きたことに対処しているうちにこうなった、という姿があの映画評論家であり人気タレントの小森和子なのだった。
一足間違ったら、すごーく惨めな老女になってもおかしくないところなのに、流れ着いた先々でラッキーに恵まれ、ファンに介護される幸せな老年を過ごすことができたのは、ひとえに彼女の 優しい人柄 によるものじゃないかと思った。
おばちゃまのこの自叙伝、性的に奔放な部分もまったくためらいなくあっけらかんと書いてあり、
女はこんなんでも生きられるのね! と田舎者の私はあきれてしまうくらいだが、その根本には彼女の底抜けの人格の良さがあってこそ成り立つ世界だと思った。
有名な作家の愛人となり、京都の大きなお屋敷で妻妾同居する。 そこで同居する奥様にも愛され、奥様は金遣いの荒いおばちゃまにお小遣いを作るため、こっそり書生を質屋に通わせるなど、なんともおかしな状況さえ生まれている。そんなアクロバティックな行為を可能にするのは、あのおばちゃまのキャラクターあってのことだと感じた。
そういえば、淡谷のり子先生はおばちゃまのことを「気持ち悪い」と嫌っていたそうだけど、田舎から出てきて苦労を重ねて地位を築いたような人にとっては、おばちゃまみたいなふわふわした存在は苛立たしかったに違いない。
でもこの本は面白かったので、またこのブログでエピソードを紹介したい。
(今日のスウェーデン写真)
リンゴのようでもリンゴでない ベンベン
Päron(洋梨)のようでもPäronでない ベンベン
それは何かとたずねたら・・・
Kvitten! 日本語でマルメロと呼ばれている果物!
長野県の方なら、な〜んだ、そんなこと知ってるよ と言われるかもしれませんが、東日本に住んだことのない私はその存在すら知らなかったのよ。スウェーデンではリンゴやPäron同様、秋になると普通のお宅の庭によく生っている。
今回、近所の方にたくさんいただきました。
生で食べるには固すぎるので、スポンジケーキの中に入れたり、ジャムにしたりします。味はリンゴとかとあまり変わらないけど、元々から固いのでサクッとした歯ざわりが残っています。
ケータイ作家さよこ☆スウェーデ…のmy Pick