この話、あまりにもひどいと思ったのでリブログさせていただきました。
いや、ひどいと思っているのは私がとっくにスウェーデン人化しているからかな。
日本の人はそんなにひどいとは思わないのかな・・・
他人によってよそおわれた給食を、すべて食べきれるまで食べさせられる。
この一点においてさえ、人権無視のように感じられる。
自分が食べたいもの、食べたい量を選択できず、なのに全て食べられるまで遊びに行くことができない・・・ って!!
これってひどくない? 大人でも、そんなことされたらどうしますか?
ちなみにスウェーデンの学校給食はビュッフェ形式。
自分で食べるものと量を決めることができる。こんな感じで ↓ (写真はネットからお借りしました)
自分で選んだ料理が思ったような食べ物ではなくて、最終的に残すことになっても咎められない。もちろん、たくさん取ってそれらの大半を残すというのは礼儀上良くないのは常識。大人でもビュッフェレストランでそんなことする人がいるからね
以前、保育園の園長先生にインタビューした時も、
子供には食べたくない食べ物を食べることを強制しません
とはっきり言われていた。
食べたくないものを食べる ・・・ 栄養のため、きちんと食事を完食するのはいいけれど、食べきれないものや食べたくないものを食べることに、どんな意味があるのだろうか。
上記の記事の中で気になったことがもう一つ。
給食を完食できない生徒が出ると、それまで生徒たちが大事に貯めていたビー玉貯金が没収される決まりになっていること。
今回は、決まりを知らなかった息子さんが完食できずに、みんなのビー玉まで先生に没収されてしまった。
実は、食の細い人は元から食事を少なくよそおってもいいという決まりがあったことも、息子さんは知らなかった。・・・ 自分のために、皆が楽しみに集めていたビー玉が・・・ 彼のショックはさぞかし大きかったことだろう。
私はねぇ。
こういう、一人の罪は全員の罪、連帯責任 みたいな考え方が大嫌いなの。
よくあるでしょ、一人の野球部員が起こした不祥事で、甲子園に出られない高校、とか。
自分のまかり知らない出来事で、長年大事に温めていた夢が消えるなんて、あってもいいの?
しかもこの場合、先生がビー玉貯金を没収することで、誰が得をするのだろう。
他人に迷惑がかかるから、苦しくても食べなくてはいけない ・・・
とプレッシャーを感じるであろう食の細い子。
もし完食が成功せず、それが全体の責任になったとしたら、そこに生まれるのは恐らく、
特定の子に対する憎しみ「あいつのせいでビー玉貯金がなくなった!」 → そこから派生するいじめ
ああ〜、いやだ、いやだ。
それに、ああいう連帯責任って、奴隷根性を生むような気がするのよね ・・・
って、え?
日本の学校の目的は、社畜を作ることだからそれでいいんだって?
ああ、そっかー 納得だわ (笑ってる場合じゃねーよ)