昨日(15日)は、スサンネさんという美術史研究家の無料ウェビナーを視聴した。
彼女の専門は1700年代だそうで、その日のテーマは「フェルゼン伯爵のGrand Tour」。フェルゼン伯爵というのは、マリー・アントワネットの愛人だったことで有名なあの方のこと。
スサンネさんはフェルゼン家の夏の居城があったLjung市に住んでいて、フェルゼンについてよく研究しているようだ。
ちなみにフェルゼンのお墓もLjung教会にある。
1770年、当時14歳だったフェルゼン伯爵(今後はアクセルと呼ぶ)は、当時の貴族の習慣でもあった、数年に渡る海外留学に出発する。これを彼女はGrand Tourと呼んでおり、ヨーロッパ数か国にそれぞれ数か月、知り合いの貴族や政府高官の家に滞在し、そこで色々なことを学ぶのだそうだ。
彼がこの時に書いた二万二千ページに及ぶ日記は今も残っていて、王立図書館のアーカイブで誰でも見ることができるらしい。スサンネさんも読んでみたけれど、書かれていることは記録のようなことばかりで(例えば、今日はが出たとか)、心の内面について書かれたことはほぼないのだそうだった。
(今から私が書くことは、全てスサンナさんから聞いたことで、日本のウィキペディアとかに書いていることとは違っているかもしれないがご了承ください。)
アクセルは背がすらりと高く、身長190センチもあった。高っ! 今でこそ190センチ以上ある男性はたまにいるが、当時はすごい高さだっただろう。趣味はダンス、音楽はフルートやクラヴィコード(昔のピアノみたいな楽器)を嗜み、オペラが大好き。子供の時からフランス人のお手伝いさんがいたので、フランス語は既にお手の物。
彼の見た目はよかったので、行く先々で女性にもてたらしい。
当時の貴族は皆、政略結婚だったので、結婚後の浮気は自由だったのだそう。アクセルもよく既婚女性のところに泊まりに行った。夜、女性宅で寝ていたら男が来たので慌てたとか、日記に書いているらしい
スウェーデンのスコーネ地方からデンマークに渡り、まずドイツのブラウンシュヴァイクで数か月過ごす。ドイツの食事がまずくて、フランス風食堂を探したなどとも日記に書いている。
その後、ストラスブルグにてカリグラフィーや法律について学ぶが、彼がここに来るしばらく前、マリーアントワネットがオーストリアからお輿入りする時、この街でフランスの王妃になるセレモニーをしていた。ニアミス
その後、ジュネーブ、トリノ、ミラノを経て、1773年の終わりごろ、アクセルはパリに到着する。
その時のことは、次回に続く!
(今日のスウェーデン写真)
スサンネさんが紹介してくれた、1700年代後半のスウェーデン貴族を描いた絵。
1770年頃コーヒーが許可され、この絵の中で人々はコーヒーを飲んでいる。コーヒーは一時禁止されるが、また解禁になり今に至る。
ファッションはフランスをまねるのが流行で、白いタイツで腿の筋肉を見せるのがフランス風だったのだとか。