前回の続きです。

 

 

Grand tour と呼ばれる、当時の若い貴族の諸国漫遊留学で、フェルゼン伯爵(以下、アクセルと呼ぶ)は、1773年の終わり頃、ついにパリにやって来ます。

その頃、十代半ばのアクセルの肖像画 ↓

 

 

パリではスウェーデン大使館員クロイツ宅に世話になり、ソルボンヌで勉強した。ここでも彼は奥様方にモテモテだったようだ。

 

1774年2月15日のこと。その夜アクセルは某夫人宅で夜食をご馳走になった後、翌日午前1時前に彼女の家を辞した。

その後、仮面舞踏会に出席し、そこでマリー・アントワネットと最初の出会いを果たす。

でも仮面舞踏会なので、彼はその女性がフランス王妃とは全然わからなかったのだそうだ。そこで二人はかなり話をしたが、マリー・アントワネットがけっこう一方的に話しかけていたようだ。

 

後にこの話を聞いたクロイツは、当時のスウェーデン国王・グスタフ三世にこう手紙を書き送っている。

 

「王妃の方が、彼に魅了されているようです恋の矢

 

アクセルはその後ロンドンを経て、1774年のクリスマスに間に合うようにスウェーデンに帰国した。

それから4年後には外交官としてまたパリに赴くのだが、その背後にはアクセルが王妃に近づいて、スウェーデンにとっていろんな便宜を図ってもらえるかもしれないというグスタフ三世の思惑があったのかもしれない。

 

 

 

 

以上は、18世紀を専門とする美術史研究家スサンネさんのZOOM講義で聞いた話。

終わりに、視聴者から、「この4年間のGrand Tourには、どのくらいの費用がかかったの?」という質問が出た。

アクセルの父親が支払った2年分の金額の記録が残っているそうだ。合計4年間なので、それを倍にして現在の価値に直すと、今のレートで日本円にして1億円前後ということになる。

 

4年間で1億円・・・ 1年で2500万円・・・ 

 

やっぱりけっこう豪勢な旅だったのですね びっくり

アクセルの父親も、これは費用がかかり過ぎだったと思ってはいたようで、その約十年後に同じくGrand Tour に旅立った弟ファビアンの時は、もっと節約するように言い聞かせたのだとか。

 

でもその遊び放題の諸国漫遊体験のおかげで、二百年後に遠く離れた東洋の国で名前を知られるようになるとはとても想像できなかっただろうね!

 

 

 

 

ところで、最近の画像処理の技術はすごいみたい。 歴史上の人物の肖像画から、実際の人物像を写真や動画のように作り上げることができるらしい。ここに、アクセルの少年時代から50代までの肖像画を元に、実際はどんな人だったのか再現してくれています。