1800年代後半から1900年代前半までの歴史についての本を読むのは面白い。

 

第一次世界大戦中、ドイツのスパイの嫌疑をかけられて銃殺刑に処せられたダンサー、マタハリについての本を読んだ。 ↓

 

 

結婚生活に破れた主婦が自立のために選んだ仕事は、夫の赴任先で習ったジャワ舞踊だった。

見様見真似で踊ったエキゾチックな踊りが大評判となり、彼女は有名ダンサーとなった。

 

ダンサーとしての旬を過ぎると、今度は芸能人としての知名度を利用して貴族や将校を相手とする高級娼婦となり、そのヨーロッパ中に広がる人脈を利用するべく、スパイのマネごとをさせられていたのだった。

 

マタハリがスパイとして有能だったかというと、まったくそんなことはなかったらしい。

何一つ有益な情報はもたらすことができないままに、中途半端な証拠を根拠として銃殺されてしまった。

 

彼女の名前が後世まで残ることとなったのは、ひとえに彼女が有名芸能人だったから。作者は言う。

 

ブリジット・バルドーがソ連のスパイだった、なんてことを想像してみてください

 

と。

マタハリの功績は、実は ストリップ というものを初めて世に知らしめたということらしい。

薄い布を纏い、官能的に踊りながら舞台の上で一枚一枚脱いでいく。そんな見世物の創始者が彼女だった。

 

当時の芸能人は(今でもそうなのかもしれないが)高級娼婦としての役割を兼任しており、マタハリもその例に漏れなかった。

ただ、人によっては女優をしながら最終的に貴族や王族と結婚できる女性もいたが、マタハリに関しては本当の恋はロシア人の一兵卒のの間にあった。

毎晩のようにとっかえひっかえ裕福な男性と付き合うことで生計を立てていた彼女が、へっぽこスパイのマネごとをするつもりになったのは、最終的に恋人のロシア人兵卒との結婚生活を夢見ていて、一気に大金を稼ぎたかったからに他ならない。

その年若い兵卒は、実は彼女がジャワにいたときメイドに毒殺された長男と同い年だった。

 

しかし、そのせいでまさか自分が銃殺刑になるとは思ってもいなかったマタハリ ・・・ 

運命とは不思議かつ残酷なものだ。

 

 

 

 

マタハリの人生は無惨にも散ってしまったが、彼女の存在は後世に多くのインスピレーションを残している。

グレタ・ガルボを始めとする多くの名女優主演で映画が作られた。

例えば、最近になっても、こんな風に歌われたりしている。

 

 

 

 

 

(今日のスウェーデン写真)

 

1900年前後のお部屋がそのまま残されている邸宅にお邪魔しました。

名前は失念したけど、有名な心理学者のお宅だったそうです。現在は保存協会が作られ、色んな行事に使われているそうです。

 

奥様のお部屋。当時は水道が通っておらず、盥に水を張って顔や手を洗っていた ↓