会社というところ | 真実は人を幸福にするか?

真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ

会社というところ、正確には、官庁を含む、すべての職場において言えることだが、会社は生産活動を行う場であると思い込んでいる人が多い。
利益を追求するのが会社であると。

それは誤解だ。
もちろん、利益を追求するという目標の上に、会社は形成されるわけだが、会社の経営者、そして従業員の中に、ある思いが沸き起こって来る。
それは、「自分は他人よりも優秀だ」という思いだ。
これが実にやっかいなのである。

ものすごく仕事が出来て、社長に対し、ズバズバと意見の言える人物がいるとしよう。
よく出来た社長ならば、その人物を重宝するだろう。
だが、世の中の99%の社長は、よく出来ていない。
では、そのよく出来ていない社長はどうするだろうか?
劣等感を感じるのだ。
自分よりも仕事が出来て、ズバズバと意見の言える人物が、自分の下で働いていることに精神的に耐えられない。
自分はそいつよりも優秀でなければならないのだ。
だからクビにする。

これは社長に限らない。
上司と部下の関係においても当てはまる。
部下のほうが、こういう「目障り」なやつの場合、上司は敬遠する。
嫌がらせをする。
なんらかの策を仕掛けて、自分のそばから追放するか、あるいは屈服させようとする。
戦国時代と同じだ。

戦国時代と言えば、上杉謙信や徳川家康は、自分よりも優秀な人材を上手に生かすことに長けていたらしい。
まさに1%のリーダーだったわけだ。
上杉謙信は病死していなければ、必ず天下を獲っただろう。
徳川家康は最後は見苦しいまでの権力への執着を見せたが、江戸時代三百年の礎を築いたのは、家康の卓越したリーダー的資質にあったことは間違いあるまい。

戦国時代の話は、今や若い女に詳しい人がゾロゾロいる時代なのでこの辺にしておく。


重箱の隅を突っついたようなミスで大騒ぎをされて左遷や解雇に至るということが数多くある。
これはまさに、煙たい存在になったからに他ならない。
実は、女性に限らず、人間の嫉妬心は想像を絶するものがある。
自分の女房の容姿がぱっとしないどころか、ぷっとするのに対し、部下のもらった女房が美人。
これでクビになる場合がある。
どんなに仕事が出来、会社に年間、1億、2億という利益を提供する社員であっても、社長のお気に入りの女子社員に手を出しただけでクビになるなんて話は、世の中にザラにある。

もちろん、どんなに売り上げをあげても、人格的に問題があり、他の従業員の士気を奪うような人物であれば、解雇理由にはなるだろう。
だが、そうではなく、むしろ好人物で、同僚や後輩の評判も良い。
なのに、それがかえって、上司や社長をイライラさせて、クビや左遷になる。
この場合、その部下を煙たく思っている上司が、情報操作して経営者を動かし、クビ、左遷に追い込むなんてことも、日本では日常茶飯事だ。

性格的な対立もある。
早口の人はゆっくりした口調の人を嫌うし、ゆっくりした口調の人は早口の人を嫌う。
これはリズムが異なるから、「合わない」のだ。
これだけでクビ、左遷につながるケースもある。


会社にも、お客様にも迷惑をかけていない。
なのに、過去にやって来た細かなミスを並べ立てて、責任を取らされる。
本当にこの国では、よくある光景だ。
だから、小さな失敗であっても、日本の企業や官庁では、報告書や始末書を書かせるのだ。
それは、それを理由に、将来、解雇、左遷、降格、給料減額するためである。

要領良い人物というのは、あまり仕事もしない。
しているフリをする。
あるいは、気づかないフリをする。

暴力団風のお客さんが入店して来た。
トラブルが発生する可能性が大きい。
真面目な従業員は、普通のお客と差別しないように、対応してしまう。
要領の良い従業員は、「あ!本社に売り上げ報告しなきゃ」とか、後でも良いことを言い出して、その場を離れる。

従業員仲間は、みんな、その要領の良い従業員の性格は知っている。
嫌なやつと思っている。
でも、そういうやつは、上司や経営者への取り付き方も上手いので、出世するのだ。


また戦国時代の話。
信長の部下に、秀吉と光秀という二人の対照的な人物がいた。
信長が天台宗の本山である比叡山の焼き討ちを命じた。
命令の内容は過酷だった。
寺院には門前町が必ずある。
そこで土産や食堂をやって生計を立てている庶民もいるが、そういうのもみな焼き殺せ。
女子供も差別するなと。

信長は、自分に逆らう者は容赦しないというアピールを国中に行うために、あえてこんなことを言い出した。

光秀は「恐れながら申し上げます。叡山の僧の行いにも問題はありますが、寺院を焼くなどすれば仏罰が当たります。ましてや門前の庶民の命を奪うなど、論外です。」と言って、それを諌めた。
だが、信長はそれに対し、「たわけ、このハゲ」と言って、光秀の額を扇子でピシャリ。額からは血が。

天台宗の信徒でもあった光秀であったが、主君、信長には逆らえない。
泣く泣く、命令を実行。
念仏を称えながら寺社に火をかけ、住民を殺害した。

それに対し、秀吉であるが、信長に諌言など一切しない。
「お館様、わかりました。この猿にお任せください」と言って叡山に出かけ、部下に対し、「住民の家に、火をかける・・・フリをせよ」と命じた。
火のついた矢は、住民の家の前を焼いただけであった。

秀吉だって、戦う時は命をかけたが、無駄な仕事は一切、しなかった。
するフリをしたのだ。

秀吉は決して忠義の人物ではなく、信長という強者を利用しただけ。
信長が死んで、腹の中では「光秀殿、よくやってくれた」と喜んだに違いない。
だが、ここで天下を獲る大義が出来た。
そこで、この大義をかざして、光秀を討ったのだ。

家康にしてみれば、女房、子供まで信長の命によって殺されていたのだから(部下ではなく同盟者なのに)、信長が憎くて仕方なかった。
光秀の気持ちも痛いほどわかったろうが、光秀を助ける大義が無い。
光秀の親友の細川でさえ、頭を丸めて逃げたのだから。

というわけで、光秀は誰の援助も受けられずに死んだ。


この辺にすると言いながらまた歴史を持ち出したが、秀吉はズルイが、光秀のようになってもいけない。
光秀の誠実さを胸に秘めながらも、秀吉のような巧みな立ち回りも必要なのだ。

誠実一辺倒だと、格好良いが、損をすることになっている。
源義経しかり、南北朝時代の楠しかり。
大阪夏の陣で死んだ真田幸村しかり。

真田幸村はただ、豊臣への忠義で動いた。
豊臣方で役に立つ武将は他におらず、淀君すら信頼に足らぬ。
それでも夏の陣では、狙うは家康の首のみと言って、他の徳川方部隊には目もくれず、少数の兵を連れて家康の本陣に突撃した。
家康は正面から来られたので三里逃げた。
結局、家康は逃げ切って、幸村は討たれたという説が有力だが、付近の寺に家康の墓があるところから、実は幸村は家康を討っていたのではないかという説もある。

ともかく、忠義というのは、あまり報われない。
主君への忠義よりも、神仏への忠義を尽くすべきだ。
俺はいつでも、会社ではなく、観世音菩薩につかえているという気持ちで働いている。


この会社に居てもメリットが無いと思うならば、とっとと去る。
ストレスでピロリ菌を大量発生させて、胃がんになるよりもマシだ。
ソクラテスを学べ。
彼は他の哲学者のように、講義料など一切取らなかった。
だからいつでも貧乏で、女房に日々、ののしられていた。
最後はやっぱり、生真面目な死に方をしたが、金よりも真理を食って生きるという生き方は、現代人にとって新鮮なはずだ。
俺も非正規労働者なので、明日がわからない。
だが、いつでも、ソクラテスのように生きる覚悟がある。
竹林の七賢のように生きる覚悟がある。
虚無僧になって暮らそうかと思う。

だが、家族を養っている人は、俺のようには行かない。
その場合は、やはり、簡単に辞められない。
時にはしがみつく必要性がある。
その際は、重箱の隅をつつかれても、開き直れる「大胆不敵さ」が必要になる。
ピロリ菌を発生させないために。
そのためには、やはり、誠実さを内に秘めて、秀吉のように上手く立ち回ろう。

最後に一冊、気分爽快にしてくれる本を紹介してこの記事を終える。


バカになれる男の魅力 (河野守宏著) 
http://www.amazon.co.jp/dp/4837905730
※女性が読んでも男性同様、役に立つ