みなさま、こんばんは。

レディー・ミッチェルです。


Death in Venice

ベニスに死す [DVD]/ダーク・ボガード,ビョルン・アンドレセン,シルバーナ・マンガーノ

¥980
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久しぶりに『ベニスに死す』を観ましたわ。

ビョルン・アンドレセンの天使とみまごうあやしいまでの美しさ、年月を経ても美というものは色褪せないものだと思い知らされますわ。

ああ、それに、古いフィルム特有の映像は、却って現実味を感じさせますわ。

この映画は『○ーホーのおじさんが美少年にいい年してトチ狂って、あげくに伝染病にかかって死んでしまったしょーもない映画』という評もありますけれども、アタクシは『逃れ得ようのない美に捕われてしまった、一人の芸術家の映画』と感じましたわ。


主人公は既に妻子ある、往年の作曲家ですわ。
だからというわけではないですけど、本当は彼自身は○ーホーではないと思いますの。

むしろ、『美』というものの狂気に捕われてしまった人だと思いますわ。

彼自身、『自分のような美からかけ離れた往年の男が、あのような美しい少年に心捕われ、惹かれ、離れがたいと思うのはおかしい』と内心ではわかっているのですわ。

でも、それでも目に映る少年の美に、まばたきすら惜しんでしまう自分の押さえきれない心……。

そして少年、タジオの『あなたの視線に気づいている』というまなざしにときめいてしまうどうしようもない思い……。

主人公はそもそも『美は英知と努力の結晶である』という自説をもっていたのですわ。

Beauty? You mean "your" spiritual conception of beauty. But do you deny the ability of the artis to create from the spirit?

---Yes, Gustav. That's precisely what I deny.

So then, according to you, our labor as artists is...

---Labor, exactly! Do you really believe in beauty as the product of labor?

Yes...Yes, I do.

---That's how beauty is born. Like that. Spontaneously. In utter disregard for your labor and mine. It pre-exists our presumption as artists. Your great error, my dear friend, is to consider life, reality, as a limitation.

But isn't it that what it is? Reality only distracts and degrades us. You know, sometimes I think...sometimes I think that artists are rather like hunters aiming in the dark. They don't know what their target is and they don't know if they've hit it. But you can't expect life to illuminate the targe and steady your aim. The creation of beauty and purity is a spiritual act.

---No, Gustav. No! Beauty belongs to the senses. Only to the senses!

以上、「ベニスに死す」の一幕より




ですが、彼の友人はこう反論します。
美とは努力で創れるものではない。
神の与えたもうた天与の美しさこそが、美。
とうてい、人間の及ぶところではないもの……

そしてその『美』の理想の具現が突然目の前に現れたその驚き。
『100回死んでもいい』と思うほどの美しさ。
ほんの一目、その美に触れられるなら、死んでもいいと思えるほどの狂気。

ビョルセンは結局最初から最後まで一言もセリフはありませんけれども、そのまなざしだけで、『あなたはなぜ、ぼくをそんなに見つめるの? どうして後をついてくるんだろう?』という困惑と、ある種の陶酔のようなものを感じさせるのですわ。

そして主人公が美容室で身なりと整えるシーン。
『愛する人のために、少しでも美しい自分でありたい』という乙女心にも似たせつない気持ちが、とても胸に迫ってきましてよ。たとえそれがちょっと微妙な真っ白肌に朱塗りの唇であっても……

勇気を振り絞ってタジオ一家に疫病が猛威をふるうベニスを去るように勧め、まるで代わりに身に受けたかのように病魔に冒され死にゆく主人公。あの真っ白い顔は、むしろ死化粧のようでしたわ。

美の虜になったことが、命取りであったこと、そして美には無縁である自分自身が、美のために殉じる滑稽さ。

ラストシーン近くの大笑いは彼が自分の愚かさを嗤う嘲笑であると同時に、宿命に抗いきれないほどの恍惚に出会ってしまった喜びの歌だと思いましたわ。

そしてあの、髪の染め粉がみっともなく汗でだらだらと流れていくシーン、タジオが友達の若い男の子と戯れ、海でひとり佇み、主人公がただひたすらそのタジオの美しさを、死の最期の一瞬までまぶたに焼き付けて……

セリフのないこのシーンから、こんな声が聞こえてくるようでしたわ。


『おお、私は知っている。私がどれだけ醜悪で、美からかけ離れた存在であるかを。だが、ここに真の美が存在する。神の創造したもうた完全なる美、天与の美が。仮にこれが刹那の美しさであっても、地上に確かに美は存在したのだーーーそしてこの瞬間は永遠なのだ』


考えてみれば、冒頭のゴンドラのシーンから、この映画には『美』とともに『死』を意識させるビジュアルがありますわ。

主人公が最初のシーンで、老人の船頭にゴンドラに乗せてもらうシーンは、まるで三途の川、西洋であればギリシア神話のレテのカローンのようではありませんこと?

ラストシーンの老婦人が口ずさむ子守唄も、タジオが海辺で片方の腰に手を当てて、他方の手でどこかを指差すのも、どこか優しい不吉さを感じさせますわ。



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ああ、少しワインが過ぎたようですわ。
イタリアの風景はワインとマッチしますもの。
ベニスの美しさと、美少年に酔ってしまったようでしてよ。


ごきげんよう