遅くなっていましたが、再寛解導入療法についてです
2016年3月14日~6月18日の退院まで
<1週目>
3/14~20 デカドロン開始(外来通院)
デカドロンは1日22錠(朝7錠・昼7錠・夜8錠)
1週間で153錠と聞いてびっくり
これを約1か月・・・
どんな気分変調が起こるのか・・不安だった
<2週目>
3/21 オンコビン・アドリアシン・ロイナーゼ(日帰り入院)
3/24 ロイナーゼ(日帰り入院)
<3週目>
3/28 オンコビン・アドリアシン・ロイナーゼ(日帰り入院)
3/31 ロイナーゼ(日帰り入院)
この日で主治医が移動・支援学校の担当の先生も変わるということで、御挨拶などイロイロあった
<4週目>
4/4 この日からデカドロンが減量開始
月曜日 4錠.4錠.3錠
火曜日 4錠.4錠.3錠
水曜日 4錠.2錠.1錠
木曜日 2錠.2錠.1錠
金曜日 1錠.1錠.0錠
土曜日 朝から無し
4/4オンコビン・アドリアシン(日帰り入院)
はじめましての主治医に
2年前にこの病院にいた先生ということで、看護師さんからいろいろと聞いていたので、すんなりなじめた。とてもいい先生。よかった
4/6 できるだけ家にいたいという娘の希望で1日おきに病院へ行き、採血してもらい、ダメなら入院開始ということにしてもらっていた。手間はかかったけど、娘の気持ち優先で。
この日の採血で、膵臓のアミラーゼの数値が高い!!ということで、少し先生が焦る
急性膵炎なのかも!!と再検査。膵臓じゃなくて、耳の下からかも!!おたふく?とか少しバタバタしたけど、とりあえず、熱もないし元気だし大丈夫そうだ。ということでこの日も家に帰ることができた。
4/8 いよいよ入院かも・・・と言いながら病院へ
採血結果は血小板が4万・白血球が1300で下がり傾向だから、入院って言われたんだけど、またまた粘って(笑)明日入院にしてもらった
4/9 夕方入院・ヒシファーゲン点滴
それまで肝機能がひっかかることはなかったんだけど、この頃からやっぱり体内蓄積もあるのかな。肝機能を守るヒシファーゲンが日課になった
<5週目>
4/11 オンコビン・アドリアシン
髪の毛が抜け始める
少しのびてきたのに、また抜けちゃった
4/13 めずらしく発熱 37.6℃
CRPが3.9
抗生剤がファーストシンからメロペンに変更
4/20 下がりどまり
白血球600
血小板4.7万
4/22(金) 朝の採血で白血球が1000を超えていたので、外泊!!
大喜び!
4/25(月) 病院戻る
4/26 後半に入る数値に達していなかったので、外泊!
4/28 数値が規定に達していよいよ最後の後半の治療に入りました
4/28~5/11 ロイケリン(娘は60mgです)
4/28 エンドキサン
エンドキサンは、苦手な抗がん剤なので、心配しましたが今回は大きな副作用も出ませんでした
4/30 キロサイド・髄注
5/1~5/3 キロサイド
5/7 キロサイド・髄注(最後の髄注!!)
5/8~5/10 キロサイド
ここで、とりあえず薬は終わり
立ち上がりを待ちながら、リハビリを入れてもらいました
輸血を1週間に赤と白と一回ずつくらいしてもらいながら、骨髄の回復を待ちました
退院までの日程の話がでるようになり、いつになったら退院できるのか!その前に外泊できるのか!!!もう、娘の頭の中はそのことでいっぱい
白血球が1000を超えていないと外泊ができないのだが、900が横ばいの日が続き、がっかりでシクシク泣いていしまう日もありました
6/3 ようやく白血球が1300に!!外泊
ここからは、通院で様々な退院前の検査
6/6 最後のマルク
6/8 頭のMRI・心電図・心エコー・レントゲン
6/9 股関節のMRI
6/13 歯科・眼科の検診
この日、マルクの結果を知らされる。芽球が多いように見える良い赤ちゃんならいいけれど、万が一悪いものだと困るから、三重大学に検体を送ったけれど、もしかすると、少し古くなってしまって判断が難しいと言われた場合、もう一度マルクをさせてほしいと言われた。最後のマルクだ!!といって頑張ったのに、もう一度だったら、なんて娘に話そう・・それより悪いものだったらどうしたらいいのか・・・。ようやく退院だと喜んでいるのに・・・と生きた心地がしなかった
6/14 マルクの結果が中途半端な中、最後の主治医からの退院説明があった。結果がすっきり出ていなかったから、退院してからの話と一緒に、万が一悪いものだった場合の話もきいた
主人と私の二人できいた
この日の夕方、先生から電話で、芽球が悪いものではないとの報告がきたほんと、ヒヤヒヤしたわ
6/17 CV抜去
外科の先生がきてくれて抜いてくれた
沈静かけてやったらから、痛みはないみたい
炎症などが心配だから、この日は泊まり
最後の入院かぁ・・と感慨深げな娘
6/18 退院
迎えに行くと、神妙な顔の娘・・
あれ??退院なのに、どうしたんだろ?もっとハイテンションで迎えてくると思ってたのに
よくよく聞くと、看護師さんたちがアルバムを作ってくれたんだと。思い出の写真や、メッセージが書かれているもの。
それを見ながら、もう看護師さんたちと夜におしゃべりしたりできなくなるのが悲しいと・・・
退院は嬉しいけど、入院も楽しい時もあったと・・・
こんなに大変な治療をしたはずなのに、娘の中には「辛い・嫌だ」という感情だけではなかったのは、救いだと思ったし、そうさせてくれた看護師さんたちのおかげだと思う
ありがとうございました