谷村新司が死んでしまった。
もんたよしのりが死んでしまった。
ショックで言葉がない・・・・
ボクたち世代は、
「アリス」真っ只中の世代だ。・・・・・まぁ、ちょっとズレてるんだけどさ・・・
アリスがヒットしていったのは、
ボクたちが小学生の頃だったからな。
青春真っ盛りってわけじゃない。
なんとなーく、
ちょっと、大人っぽい音楽に憧れていく頃、
アリスは、もの凄い人気だった。
中学生。
文化祭で、初めてバンドを組んだ。
その時に演ったのが「アリス」だった。
それだけでも、
谷村新司さんの死は、・・・けっこうなショックだった。
初めて演奏した楽曲。
そして、ファンだったバンド。
大好きだった歌。
本当にショックだった。
亡くなった日は、
仲間内で、
ラインで、死を悼んでいたさ・・・・
・・・・から、10日・・・・
こんどは、
もんたよしのりさんが亡くなってしまった。
享年72歳。・・・・今の時代だと、まだ早いって年齢だ・・・・
・・・・ショックだった。
これは、ほんとうにショックだった・・・・
絶句した。
谷村新司さんには会ったことはない。
けど、
もんたさんには会ったことがある。
中学生。
文化祭でバンドをやった。
ボクはドラムを叩いていた。
なかなか、
バンドで「ドラム」って人材はいない。
ギターは、けっこーいる。
そもそも、
音楽を始めるのが「ギター」からってケースが多い。
ギター買って、
家で練習すればできるからな。
しかし、
「ドラム」は、そういうわけにはいかない。
そもそも、
「ドラム」をやろう!!
そうなる理由がみつからないし・笑。
「楽器初心者用」
っても、
ギターから比べれば、ドラムは、圧倒的に高価だ。
・・・・そりゃ、そーだ。
ギターは、「ギター」1本だけど、
「ドラム」は、
「ドラムセット」っていう、
太鼓がいっぱいいるし、
シンバルもいっぱい必要だ。
そりゃ、金額だって高額になる。
・・・・さらには、
「場所」
ギターは、ギター1本だ。
自転車で持ち運びすらできる。
が、
ドラムは、
置いとくだけで、
畳1畳分は必要だ・笑。
しかも、
音を出せば、
ちょーーーーーウルサイ・笑。
ってことで、「ドラム」人材ってのは、なかなかいない。
中学生。
ってなったときも、
案の定で、ドラムだけがいなかった。
・・・・ってことで、
「じゃあ、ボクがやるよ」
ってなったわけだ。
じつは、
叔父が、プロのドラマーだった。
ちゃんと、メジャーデビューも果たした「プロドラマー」だ。
高校在学中にプロデビュー。
メジャーデビューを果たして、レコードも出した・・・・「CD」の前の時代だ・笑。
バンドに賭けて高校を中退。・・・・が、けっきょくは鳴かず飛ばずで、そのままフェードアウト。
ボクが中学生の頃には、
小さな「飲み屋」をやっていた。
バンドでは、芽が出なかったけれど、
「商才」はあったんだろう。
飲み屋を数件。
あとは、車屋とか、
けっこーな、
地元では、有名な商売人だった。
・・・・なんてったって、
メジャーデビューも果たしたってな有名人だったからな。
そのネームバリューは、田舎じゃ絶大だ。
・・・・・で、
叔父が、元「プロドラマー」だったから、
「じゃあ、ボクがドラムやるよ」
言えたんだった。
教えてもらえばいいやって思った。
・・・・そこから「特訓」が始まる・笑。
叔父の小さな店。
・・・・ただし、
そこには、「ステージ」があった。
真ん中に「どっかーーーん」とドラムセットが鎮座していた。
叔父が叩くときがある。
流石に「プロ」のテクニックだった。
客が、酒と、叔父の音楽に酔っていった・・・
そのステージを「練習場所」に、
中学生。
文化祭バンド。
毎日「特訓」が始まった・笑。
・・・・で、初めてのステージを経験する。
散々なドタバタ劇だった・笑。
その、
叔父の店に、
もんたよしのりさんが来たんだった。
もんたよしのりだけじゃない、
たかじんも来たことがある。
大阪のバンドマンってのは、
なんだか、独特のつながり・・・・仲間意識みたいなものがあるんだろう。
「大阪のバンド一家」
んな、つながりがあるんだろうな。
ライブ終わりとかに、
よく、叔父の店で「打ち上げ」とかをやってたんだよな。
ボクが、高校生の頃に、
もんたさんが、店にやってきたんだった。
叔父と、もんたさんは、特に仲が良かったらしい。・・・・同じ年齢。同じステージに立って、切磋琢磨してきた仲というのは、
他人からはわからない絆のようなものがあるらしい。
で、
「甥っ子」だと紹介される。
しかも、
今は、ドラムを叩いてるんだ、と。
「ほぉ~~~~そうなん??」
あの、テレビでみるハスキーな声・・・
・・・・そして、
「ほんま、蛙の子は、蛙ゆーわけやな」
くしゃくしゃな笑顔で話しかけてくれた。
「アホ、子供ちゃうわい、甥っ子や」
言いながらも、叔父も嬉しそうだった。
叔父には娘さんしかいなかった。
それもあってか、
ボクを実の息子のように可愛がってくれていた。
そこから、叔父ともんたさん・・・そして、ボクも入れてもらっての、ちょっとした音楽談義になる。
ボクにとっては、
夢のような時間だった。
キラキラした、
本当に、夢のような時間だった。
テレビで見ていた、
毎週、「ベストテン」で見ていた、
あの、
もんたよしのりが目の前にいた。
テレビそのままの笑顔で話しかけてくれていた。
高校生のボクにとっては、宝物となった時間だった。
これ以来、
「もんたよしのりに会ったことあるんや。
音楽の話したんやで」
ボクの、人生の自慢になった時間だ。
ボクは、
ボクたちのバンドは、
「プロを目指す」
そんなことは、1mm・・・・0.5mmも思わずに終わった。
ただ、
青春の一コマとして終わった。
いや、
終われた。
それは、
叔父や、
叔父の店に出入りする、
本物の、
「プロミュージシャン」たちを、
間近で見ることができたからだと思う。
下手な、
宝くじよりも厳しい倍率の「夢」を見ることもなく、
音楽を、
「音を楽しむ」
単純に、それだけで終わらせることができた。
ボクたちを夢中にさせた谷村新司さんが亡くなった。
ボクたちに、優しい言葉をかけてくれた、もんたさんが亡くなった。
・・・・そして、
音楽の楽しさを教えてくれた、
叔父も、
今は鬼籍の人となっている。
叔父は、
最後まで、
ボクを息子のように可愛がった。
面倒をみてくれた。
叔父に、
人生のピンチを救われたのは一度や二度じゃない。
何度も、何度も、
陰に日向に、ボクを見守ってくれていた。
・・・・一度だけ、
叔父について、他のミュージシャンが語っているのを聞いたことがある。
「サンデーソングブック」というラジオ番組がある。
1992年から続く、長寿番組だ。
ある日、
車内。
偶然に流れていたラジオ。
叔父のことを話す声を聴いた。
山下達郎だった。
山下達郎さんが、
叔父のことを話していた。
感動した。
叔父が、
叔父のミュージシャンとしての記憶が、
山下達郎さんの中にあった。
ボクは、
とても誇らしい気持ちになった。
・・・・ボクは、その「プロドラマー」から、ドラムを習ったんです。
亡くなっていくのは、
人生の順番だ。
「逆縁」の不幸は、
奈落の底の悲しみを味わう。
・・・・とはいえ、
順番での「死」も、
やっぱり寂しい。
みんな、みんな、
皆さん、皆さん、
ありがとうございました。
ボクの、
人生の一コマを彩ってくれて、
本当に、
ありがとうございました。
・・・・・今日は、遠い客先に向かう。
車で、「アリス」・・・そして、「もんたよしのり」を聞いて仕事に走ろう。
山下達郎のベストアルバムも車には入っている。
時間は、たっぷりある。
ボクを育ててくれた音楽に浸ろう。
先人たちの喪に服そう。
合掌。