根本沙璃(さり)です。

 

私自身の会社員時代のことを思い出しました。

私は、会社員を2社、経験しています。


2社目の、空港の手荷物検査員を
 

していたときのことを思い出したんですね。

手荷物検査員の仕事は、5人1班で活動します。





班長というリーダーがいて、班長を中心に
 

あとの4人が、入口、モニター、ボディチェック
 

荷物を開披する役に分かれて、20分毎に
 

交代します。


で、どの班長のチームに配属されるかで
 

運命が変わります(笑)

「あ~~、あの班長のところなの?
 

い~~~な~~~」


と言われるところもあれば・・・・。


という具合です。


で、私が配属になったところの班長は


社内でも、五本指に入るといわれる


超~~~~~ぉ、難ありクセあり
 

取り扱い注意の人物だったんです。


「わ、沙璃ちゃんあの班!?
 

ご愁傷様~~~。」

 

と、先輩や同僚に言われたものです。

 

今だったら、間違いなくパワハラと
 

言われて処分対象になるようなことを
 

ふつうにしている人でした。


そもそも、体育会系のガテン系
 

だったから、少々荒っぽいのは
 

会社のカラーではありましたが・・・。


ご多聞にもれず、私もこの上司が
 

悩みのもと、かなり心身ともに
 

ヤラれました・・・。


もう、よっぽどこっそり
 

上司のペットボトルにママレモン
 

入れてやろうかと思うくらい恨みました。
(犯罪です)



ところが、この上司が、観音様であった
 

(観音様はたとえです)ということを
 

痛切に感じたのが、約10年後。



私は、この班長がなぜ、数ある班長の中で
 

私の上司になったのか

 

なぜ、この上司にさんざんしぼられて
 

辛酸をなめたのかがわかるのに
 

10年の歳月を要しました。


学習能力なさすぎです(TT)


これに気づいたのが、この仕事を
 

初めて、完全に独立した2010年です。


独立して、はじめて、あの上司の
 

言ったことの数々が、私に学ぶべき
 

ことを見せてくれていたのだ、という
 

ことに気づきました。


上司に言われたことは数限りない
 

のですが、唯一、今でもこの胸に
 

刻み込まれているものがあります。


それが、、、、




「お前ぇ~は、

 

可愛氣がねぇんだよ」


でした。


可愛い、という容姿のことではありません。

可愛氣、という「げ」というものが入っています。

可愛げとは、いったい何なのか?

 

 

 


これは、私なりの言葉でいうと、こうなります。



・心を開き、相手や物事に向き合う素直さ

・自分の非を認め、改善に努める謙虚さ

・それらを、自らの課題として扱うしなやかさ


で、これって、個人鑑定、心理カウンセリングを
 

おこなうにあたって、とっても大切な要素
 

でもあると思っています。


こちらが、まっすぐにクライアントと
 

向き合う姿勢でいないと、コントロールになる。


クライアントの尊い人生経験に耳を
 

傾け、鑑定結果をお伝えすることはできない。



空港で働いていた時の私は、中途採用
 

というのもあって、新入社員の中で最年長でした。


一社目での社会人経験もあって、それなりに
 

こなれていたところがあります。


また、しょうもないダメ生徒でしたが
 

一応外国語専攻というのもあって


英語が必要な場面では、指名を受けて
 

使われていました。


仕事で習ったことは、その日に復習して

 

翌日には、そこそこ使えるようになっている。


ようするに、そんなに「出来」が
 

悪いタイプではなかったわけです。


ところが、ところが、です。


可愛氣がない。



これは、人間関係を構築し、信頼を
 

作っていくのに、必要不可欠なことである




そして、これは、「能力」を凌駕する


ということを、思い知らされました。



可愛げがある、ということは
 

人から、愛されるのですね。


そして、可愛げがある、というのは
 

人から、支援されるのですね。



可愛げとは


・心を開き、相手や物事に向き合う素直さ

・自分の非を認め、改善に努める謙虚さ

・それらを、自らの課題として扱うしなやかさ


そう考えますと、当時の私は


「優等生を目指す生意気な女」


だったのだとわかりました。


そんなことに氣づいた矢先に


独立当初、別の元上司と偶然に
 

再開する機会に恵まれました。
 

(その時も同じ現場にいらっしゃいました)


それで、食事をしたのですが
 

その時に、当時の「難あり上司」
 

のありがたさに気づいたということを
 

打ち明けたんです。


もし、可能であれば、その「難あり上司」
 

に、当時の私が、どれほど卑屈で
 

反抗的で失礼な態度でいたか

今になってわかりました。
 

お詫びと、感謝をお伝えいただきたい。

ということを言ったところ


すぐにお伝えくださり、数日後に
 

メールをいただきました。


「難あり上司、笑っていたよ」


なんだか、ほっとしました。

その数日後、たまたま成田駅に
 

出たら、いるんですよ。

 

「難あり上司」が!!

といいたいところですが、

 

よくよく見たら、そっくりな別人でした。


だけど、目を疑いたくなるほどよく
 

似ていて、本人かと思って駆け寄った
 

くらいだったんです。


結局、別人だったので声はかけませんでしたが(笑)


その方の仲間の方と談笑している
 

姿を見たときに、間接的に
 

許された氣がしました。


また、あの上司との縁というものが
 

何を与えてくれたのかを確信
 

させてくれたように思っています。


講座では、その人の人生をお聞かせ

 

いただくことになりますので
 

その方のコアな話を聞かせていただく
 

ことが多分にあります。


その中にこそ、ご本人の内なる
 

叡智が出てくる、素晴らしい瞬間でもあります。


そんな場面に立ち会えるとしたら
 

これほどうれしいことはありません。


そして、その人その人の大切な
 

心の世界を見せていただいたり

 

人生の歴史を伺うには、こちら側が


・心を開き、相手や物事に向き合う素直さ

・自分の非を認め、改善に努める謙虚さ

・それらを、自らの課題として扱うしなやかさ



を育んでいく必要があると思っています。