大河ドラマ・平清盛にも登場している(らしい)源頼朝。

一般的なイメージでは「陰険で猜疑心が強く、自分の権力を守るためには身内もためらいなく殺す人」だと思います。



実際、そう書かれている小説や漫画もありますし、事実として

・源義経&範頼(源平合戦で大活躍した自分の弟)
・義経と静御前の息子(生まれたばかりの自分の甥)
・上総広常(最初期に味方になってくれた大豪族)
・一条忠頼(甲斐源氏の実力者)
・源義仲(木曾義仲・いとこ)
・源行家(自分の叔父)
・源義広(自分の叔父)
・清水義高(娘の許嫁・源義仲の息子)
・平家一門
・奥州藤原氏

を滅ぼしています。



血まみれの人生なのは疑問の余地もないでしょうが、陰険で猜疑心が強い人だったのかというと…。

たとえばこんなエピソードが残っています。



頼朝が平家に対して挙兵した直後に、関東最大の豪族・上総広常が大軍(2~3万人)を引き連れて参陣した時のこと。

普通なら泣いて喜ぶところを頼朝はこんな様子だったとか。

「すこぶる彼の遅参を怒り、あえてもって許容の気なし」


…現代語に訳さなくても分かりそうなものですが、頼朝の武士団(細川重男・洋泉社歴史新書y)から現代語訳を抜き書きするとこうなります。


「今頃来たって遅いのよ!顔も見たくない!べ、べつに広常のこと、待ってたわけじゃないんだからね!」


遅参した相手を素直に喜んだのでは総大将としては舐められますから、ツンツンとしてみせているという難しい乙女心であります。

結局、広常が詫びを入れて円満に収まりました。

そして、しばらく後には頼朝の衣服のお下がりを巡って、この広常(60過ぎ)が岡崎義実(90前)と大ケンカをするほど頼朝好きに。


「陰険で猜疑心が強い」人にファンなんて付きますかね?



あるいは、とある合戦の報告を部下から受けた時のエピソード。

家来「今日の合戦で●●が討ち死に、××が逃亡しました」
頼朝「それはおかしい。××が死んで、●●が逃亡したはずだ」

調べてみるとその通りでした。



あるいは、義経とその配下が朝廷から勝手に官位を受けたときに、怒り狂った頼朝が悪口雑言の限りを書状に書き連ねたり。


 梶原朝景:ガラガラ声のザビエル禿
 梶原景高:悪人面のバカ野郎
 中村時経:この大ボラ吹き野郎
 豊田義幹:生っ白いバカ顔しやがって
 平山季重:ふわふわした面しやがって


こんな感じで24人分、一人一人を思い浮かべながら書いてるのです。


「陰険で猜疑心が強い」割には部下のことを良く覚えてますよね。



それから、鎌倉武士はガラが悪い。どれくらい悪いかというと…。


・梶原景時が「おーい広常。頼朝様の所で双六やろーぜー」と誘い、ほいほい乗った上総広常と双六を楽しんでいる最中に斬殺。

・「おーい忠頼、頼朝様の所で酒飲もーぜー」とみんなで誘って、わいわいがやがやと宴会をしている最中に一条忠頼を斬殺。

・頼朝が軍勢を率いて上洛した時のこと。頼朝の重臣中の重臣である三浦氏と小山氏がしょーもないいざこざから京都市内で合戦寸前に。


さらには、この時代から40年以上たった後でも

「どんなに腹が立っても、怒りに駆られて人を殺してはいけません」

などという家訓をわざわざ残さないといけないような連中ですから。



こんなゴロツキどもを信服させて流人から征夷大将軍になりおおせた頼朝って、陰険で猜疑心が強いどころか人たらしの達人ではないか。
 
 
 
 
 
 
でも、やっぱりツンデレは無理があると思うのですよ。

頼朝の武士団(細川重男・洋泉社歴史新書y)