仕事で、利用者さんの

就職先の求人開拓をすることに。



障害者雇用の前例のないところに

前例をつくる。



ないものはつくる。

前例はないものじゃなくてつくるもの。


やってやろうじゃないか()



…私はずっとそうやって生きてきたから

仕事でそうなっても何も抵抗がなかったし

むしろ仕事だからそれが私達の役目だと思った。



でも、周りのスタッフさんの意見を聞いて

それは私がマイノリティだからだったんだと気づいた()



「前例の作り方がわからないから不安」


「どうやってアクションしたら良いかわからない」


「断られるのが怖い」


「正直手間がかかって大変」


いろんな背景があるんだろうけど

前例をつくることに対して不安や怖さを持ってるスタッフが多くて

私はそれにびっくりした。



前例をつくるって、経験の少ない人からしたら不安なことなんだ


ていうかそもそも、みんな前例なんて作らなくてもここまで普通に生きてこられたんだ


こんなに感覚が違うんだ


支援者としての私じゃなくて

完成に障害当事者としての私が

なんか、すごく壁というか

周囲との温度差を感じた瞬間。



みんな怖いとか不安とか面倒とか思うかもしれないけど。

それが普通の感覚なのかもしれないけど。

私はそれをずっとやってきた。

そうやってやらないと生きてこれなかった。


私だって最初から交渉が上手だったわけじゃなくて

いろんな人とやり取りして、たくさん経験をして、少しずつ感覚を覚えていった。


手探りでも不安でも面倒でも傷ついても、やらないと道が拓けなかった。

私が行きたい道に行くには、前例をつくる以外の選択肢がなかった。



でも、支援者と呼ばれる人達は

支援者という仕事をしているのに

自分達のスキルのなさや自信のなさを理由にして

それを避けて逃げようとしてる


なんか、そう思ってしまって

自分のこれまでの生き方を否定されたように受け取ってしまって

それが許せないくらい悔しかった。

完全に支援者嫌いの私が発動してる



というのは職場では出さず

自分でもよくわからなくてもやもやしてたけど

うん、どうやら私は悔しかったらしい()





でも

前例をつくらないと生きてこれなかった、

っていう思いは確かにあるんだけど。


その分、絶対なんとかなる

っていう感覚的な確証も持てるようになったのも

自分が前例をつくってこれた積み重ねがあるからなんだよね。


だからやっぱり、私は支援者としても

誰かのための前例が作れる人になりたい。

少なくても、そこから逃げる人にはなりたくない。




私の周りには、私と同じように

前例をつくりながら生きてきた

障害のある仲間がいる。


「車いすの方はちょっと」と言われても、無理矢理履歴書を置いてきた人とか


障害者雇用の採用してますなんてどこにも書いてないのに

企業に直談判して「働かせて下さい」っていって就活した人とか


みんなそうやって、いろんな思いをしながら生きてるんだってことを私は身をもって知ってるんだけど

きっとこういうことって、相当私達に近い存在じゃない限り、想像がつかない範囲なんだよね。



私にも想像がつかないことはこの世界にはたくさんあるから

それは仕方のないことだと思う。



思ってるのに


こういう場面に出くわすと、

悔しくなったり悲しくなったりして

どうしても「支援者嫌いの障害者の私」が出てきて困る


当事者性を意識しすぎてもこの仕事はできないから

そういう私の部分は利用者さんの前では出さないけど

時々利用者さん以上に他の支援者の言動に傷ついてる私もいるし

なんか本当に難しいω・`)






まだ理由はうまく言葉にできないんだけど

私は支援者が嫌いで支援者になったんだな

と最近よく思う


だから、利用者さんにも

「組織の一員」じゃなくて、なるべく「私」として私を見て貰えるように関わっていきたい。


「支援者って嫌いだし、あの事業所も他と大差なかったけど、でもあそこにいたあの人だけはちょっとマシだったかも」


そんな風に思ってもらえる存在になれたらいいなと思いながら

私自身の修行がまだまだ足りません()