眼鏡屋5 | HARUさん「道あり道」

眼鏡屋5

それじゃあおたくは?という事に・・。当社は元々貴金属店です、父親は戦前、銀座和光の職人だったそうで、そこで、金細工の眼鏡を作った事があったらしく、それが、眼経店をはじめたきっかけなんです。

 現在のような専門店化は、実は私が当地に返ってきてからなんですね。帰ってきた当時は、貴金属、時計、そして、眼鏡を扱う兼業店でした。ですから、名称が眼鏡屋らしくないですよね。よくある眼鏡のOO堂なんていう店は、そいう流れで眼鏡店になったところだと思われます。

それに加え当方は、眼科にも店舗があり、コンタクトレンズと眼鏡の検査と販売もしていますので、業態は、少し特殊?なでしょうか。ですから、手術後、斜位矯正など、特殊な眼鏡の比率が高いように思われます。

 おやじですが、始めた頃、当時は九大の医学部に生井先生という方がおられ、毎月、九州眼鏡連盟?主催の講習があり、眼鏡の勉強をしていました。行くたびに、お土産を買って帰るので、幼心に記憶があります。