何年ぶりかの投稿です。


主人が4月19日 午前9時40分 56歳を迎えることなく、息を引き取りました。

3年前 直腸ガンが見つかり、すでに腹壁に転移していて、ステージⅣだった。

入退院を繰り返し、抗がん剤治療をしながら、家族のために働き続けてくれた。

昨年7月20日、お腹が痛くて痛くてどうしようもなく、私があと15分で仕事が終わるという時間に電話をかけてきた。

『痛いよー!痛いよー!ごめんね、まだ仕事中なのに、ごめんねー。でも、どうしようもなく痛いよー!』と。

すぐ私の携帯から救急車を呼び、仕事をあがらせてもらい、家に着くまで主人と電話を繋げておきました。

『母さんごめんね…、今までごめんね…』と繰り返す主人。

とんでもなく痛かったのでしょう。

それから、9ヶ月間、私の仕事は午後から夜中までなので、2日に一度は病院へ、休みの日は必ず行きました。

8月には余命6ヶ月と伝えられたが、主人はメンタルが弱いので、本人には伝えず。

ガンは、仙骨、肺、肝臓等に転移。

時には元気そうになって、もしかして退院できるかも?と思ったこともあった。

元気になって帰ったら、ピザ窯つくって、ピザを焼いてお店をしようかな〜と夢を語っていた主人。

お肉食べたい、カレー食べたいといつも言ってた。


4月8日、お腹・お尻が痛い痛いが多くなり、ついにモルヒネの投与が始まった。

長男は地元に居るものの

長女は青森
次男は東京
末っ子は静岡
コロナの影響で、急いで戻ってきても2週間は会えませんと…。
それでも、2週間以上もってくれたら、会えるから!と、末っ子はすぐに帰省。
16日の昼、モルヒネで意識がもうろうとして、スマホを操作する指もおぼつかない中、なぜか私に送ってきた《有り難う》


悪い予感しかしなかったな…。
この日は午後から仕事に行き、次の日は休みだったので、17日朝から病院へ。
案の定、朝から錯乱状態で自分に付いてる点滴等を全部取り外していたとのこと。
今晩から付き添っていて欲しいと言われ、数分おきに痛いよー!という主人の腰やら足やらを、さすってさすって、朝を迎えた。

18日、昼に少し家に帰り仮眠しようとしたら病院から電話。

『体内酸素が少なくなってきたので、早めに来てください』と。

仮眠もせず病院へ。

また一晩中腰をさすり、19日の朝方には長男に病院へ来るよう伝えた。

もうダメかもしれないと思い、長女・次男・末っ子とLINEのビデオ通話して、息を引き取るまで、家族みんなで見届けることができた。

そして19日 9時頃息が絶え絶えになり、9時40分 心臓が止まった。

21日、家族みんなで、サヨナラした。

いっぱい泣いた。

過呼吸になりそうなくらい泣いた。

霊柩車の助手席に乗りたくなかった。

泣いた…。

火葬のスイッチを長男が押して…大声で泣いた。

もうこんなに泣かないから、今だけねって、泣いた。



肉体は無くなっちゃったけど、家族みんなの心の中にずっとずっと居ます。


主人のiPhoneの写真を見たら、家族がいっぱいだった。

私の写真もいっぱいだった。

不器用な愛し方でした。

ウザいぐらい、私のことが大好きだったらしい。

主人のことは忘れないよ。

忘れないけど、これから先を生きていくよ。

家族仲良く、楽しく、笑って生きていくよ。

ありがとう、幸夫さん。