何年ぶりかの投稿です。
3年前 直腸ガンが見つかり、すでに腹壁に転移していて、ステージⅣだった。
入退院を繰り返し、抗がん剤治療をしながら、家族のために働き続けてくれた。
昨年7月20日、お腹が痛くて痛くてどうしようもなく、私があと15分で仕事が終わるという時間に電話をかけてきた。
『痛いよー!痛いよー!ごめんね、まだ仕事中なのに、ごめんねー。でも、どうしようもなく痛いよー!』と。
すぐ私の携帯から救急車を呼び、仕事をあがらせてもらい、家に着くまで主人と電話を繋げておきました。
『母さんごめんね…、今までごめんね…』と繰り返す主人。
とんでもなく痛かったのでしょう。
それから、9ヶ月間、私の仕事は午後から夜中までなので、2日に一度は病院へ、休みの日は必ず行きました。
8月には余命6ヶ月と伝えられたが、主人はメンタルが弱いので、本人には伝えず。
ガンは、仙骨、肺、肝臓等に転移。
時には元気そうになって、もしかして退院できるかも?と思ったこともあった。
元気になって帰ったら、ピザ窯つくって、ピザを焼いてお店をしようかな〜と夢を語っていた主人。
お肉食べたい、カレー食べたいといつも言ってた。
4月8日、お腹・お尻が痛い痛いが多くなり、ついにモルヒネの投与が始まった。
長男は地元に居るものの
18日、昼に少し家に帰り仮眠しようとしたら病院から電話。
『体内酸素が少なくなってきたので、早めに来てください』と。
仮眠もせず病院へ。
また一晩中腰をさすり、19日の朝方には長男に病院へ来るよう伝えた。
もうダメかもしれないと思い、長女・次男・末っ子とLINEのビデオ通話して、息を引き取るまで、家族みんなで見届けることができた。
そして19日 9時頃息が絶え絶えになり、9時40分 心臓が止まった。
21日、家族みんなで、サヨナラした。
いっぱい泣いた。
過呼吸になりそうなくらい泣いた。
霊柩車の助手席に乗りたくなかった。
泣いた…。
火葬のスイッチを長男が押して…大声で泣いた。
もうこんなに泣かないから、今だけねって、泣いた。
肉体は無くなっちゃったけど、家族みんなの心の中にずっとずっと居ます。
主人のiPhoneの写真を見たら、家族がいっぱいだった。
私の写真もいっぱいだった。
不器用な愛し方でした。
ウザいぐらい、私のことが大好きだったらしい。
主人のことは忘れないよ。
忘れないけど、これから先を生きていくよ。
家族仲良く、楽しく、笑って生きていくよ。
ありがとう、幸夫さん。