Circle of Life | メープルドロップ de フレンチカナダ

メープルドロップ de フレンチカナダ

人生流れのままに流されていたらいつの間にかカナダの東部まで流されてしまいました。2010年5月に長男、2013年1月に次男が誕生。雪国フレンチカナダでののんびり生活日記から育児奮闘日記化しています。

今週はじめ、大好きな祖母が他界した。

尊敬する人はだれかと聞かれればこの祖母のことを挙げるほど、私にとっては特別な存在だった。

ここ数年色々あって、精神的にも体力的にも一気に弱ったような印象はあったけれど、もともととてもパワフルな人だし、病院で検査を受けても特に際立って悪いところはなかったため、まだまだ後10年くらいは大丈夫だろうと思っていた。


突然の知らせに、お別れをする心の準備もチャンスもないまま祖母が逝ってしまったことへのとまどいが大きく、またお葬式に出席できないことへの悔しさから涙が止まらなかった。


ドア・トゥ・ドアでおよそ丸1日かかる地球の裏側へ嫁いでしまったことで、おそらく死に目に立ち会うことはできないだろうとはある程度覚悟していたけれど、まさかお葬式も出られないなんて思ってもみなかった。


飛行機に飛び乗ろうにも、一番早い便に乗ったとしてもお葬式には間に合わず(ちょうど大安だったとかで日をずらしてもらえなかった)、ましてや妊娠33週目のこのお腹を抱えてのあの長距離フライト&移動はどちらにしろ無理だった。


どうしても最後、骨と灰になる前の祖母をひと目みたく、弟の協力を得て、スカイプ越しにお葬式に出席した。


地元に帰れば当たり前のようにいた祖母が、次回帰国したときにはいないという現実をまだ心が受け止めきれないでいる。


海外に住むということはこういうことなのだ・・・。


“モントリオールの自宅に飾っている祖母の絵”

私は祖母にとって初孫だったこともあり、とてもかわいがってもらった。
母方の祖母になるのだが、父方よりも母方の祖父母や親戚との交流の方が断然多かった私にとって、おばあちゃんと言えばこの祖母のことだった(祖父は私が小学生のときに他界)。


祖母は子ども3人が独り立ちした後、50歳を過ぎて洋画の世界に入った。
努力の人だった祖母はひたすら筆をはしらせ、周囲も驚くほどのはやさで才能を開花させ、その後歴史ある展覧会に何度も入選。
私は子どもの頃から、毎年のように美術館に飾られた祖母の絵を見に行った。

美大を出たわけでもない人が、50歳から始めた絵で最後は歴史ある芸術家の会の会員に認められるほどになったのだ。

芸術家らしくこだわりとプライドも強く、周りの大人からしたらひとくせある頑固者であったことも確か。
少なくとも、私にとってはやさしいおばあちゃんだった。

その祖母の代表的な作品のモデルは、私と弟と母が楽器を演奏する姿。

さすがに実際の絵は大きすぎてカナダには持ってこれないけれど、展覧会に行ったときに買ったポストカードを持ってきた。

相方が初めて日本に来たときにもちょうど祖母の絵が美術館に飾られていて、とても誇りに思った。


私は言葉も文化も違うここケベックで子を産み育て、またゼロから自分がここでできることを模索しなければならない。
でも、私にはあの祖母の血が流れていると信じてがんばりたい。


タイトルの“Circle of Life”。

今年、実は、父方、母方両方の祖母がこの世を去った。
どちらのお葬式にも私は出席できなかったわけだが、その代わりに私のお腹の中にはもうすぐこの世に生まれてくる命が宿っている。

死があるところには必ず生があるというのはよく聞くけれど、Uキチを妊娠する少し前にもやはり身内に突然のお別れがあった。

Circle of Life、つまり生命の環を感じずにはいられない。