ボランティア2日目の朝の気温は-13℃。ダイヤモンドダストがキラキラキレイな朝です。
段々この寒さにも慣れてきました。
この日向かったのは大槌町赤浜地区。前日に通った釜石市内を抜け、車はさらに北上。
釜石同様、土台だけが残された街並みが広がっていました。そして高く、高く積み上げられた瓦礫の山。
震災から11ヶ月経ちますが、言葉を失ってしまうような光景が目に飛び込んできます。
大槌は津波だけでなく、火災にも見舞われた地区でもあります。港に流れ込んだ重油から発生した火災だったと聞きました。
たしか、広葉樹の山では火災は発生せず、針葉樹の山が火事に見舞われたんではなかったでしょうか。
出発から1時間弱。バスは大槌町赤浜地区に到着です。
この日は3班に分かれて仮設住宅前の雪かき。アタシ達が雪かきをさせていただいた道は急な坂道。
所々アイスバーンになっていて滑ります。皆さんが安全に通れるようにという思いで作業しました。
雪で真っ白だった道路も雪かき後にはアスファルトがキレイに見えるように。
思ったより早く終了してしまったため、一度集合場所へ戻ろうとした時、仮設住宅の自治会長さんからご依頼をいただきまして。
午後から使うという集会所周りの雪かきをさせていただきました。
こちらは雪の量が半端なく、かいた雪を一輪車で運ぶといった、まさに力仕事。フワフワな雪も積もるとかなり重たい。
なので一輪車運びはアタシが担当。そばで見ていた自治会長さんからも「上手いね」とお褒めの言葉をいただいたり、和やかな雰囲気の中での雪かきでした。
実際に地元の方の要望を聞き、それに答える事ができたのが何より嬉しかった。
こうやって地元の皆さんとボランティアとの距離を縮めてもっと寄り添える存在になりたいと思いました。
帰り際、自治会長さんからペットボトルの差し入れをいただき、仮設住宅を後にしました。
お茶、ありがとうございました!!
午前の作業を終え、お昼ご飯へ。向かったのは昨年12月17日、大槌北小学校校庭にオープンした「福幸きらり商店街」
アタシ達がお邪魔したのは「大坂屋菓子店」さん。
暖簾をくぐるとステキなお母様が迎えてくれました。
ケーキに和菓子とどれもおいしそうで目移りしてしまうものばかり。
いただいたのはウインナコーヒーと生クリームどら焼き。
じっくり丁寧に入れていただいたコーヒーとフワフワ生地の生どら。そしてお母様の気さくさにパワー回復!!
お店の壁にはお客さんから送られたという手書きのポスターや手紙が飾ってありました。
「ホントありがたいです。」と話すお母様の顔はとても嬉しそうでした。
帰り際、お母様からいただいたおせんべい。この日はいただいてばっかだなぁ^^;
大坂屋菓子店さん、ごちそうさまでしたm(__)m
心も身体も満たされ午後の雪かき再開。赤浜小学校の校庭を雪かきさせていただきました。
ここも雪が積もりに積もっていて、尚且つ雪の下は氷と化していてガチガチ。グラウンドの土も凍ってました。
雪かきの途中、70代くらいの女性としばしお話をする機会がありまして。
天気もよかったので少し離れた所にある仮設住宅から散歩に出てきたそうです。
瓦礫撤去や雪かきだけでなく、こうやってお話を聞いたりするのもボランティアのあり方だと思うんですよね。
実際、アタシの所属しているボラ団体でもお茶っ子という「交流の場を提供する」活動もしています。
被災された方の中には外に出る機会が少なく、周りの方々との交流の場が減ってしまってる方々も多いそうです。
そういう方々に交流の場を提供し、少しでも人と人との絆を深めていただければこんな嬉しい事はありません。
前日の釜石に続き、大槌でも地元の方の声を聞けた事が自分にとって物凄く大きかったです。
その大槌町の今は-。
その街のすぐ目の前にはこんなに高い防波堤が聳え立っていました。テレビで見るより遥かに高かったです。
この防波堤を乗り越えた海に浮かぶ蓬莱島はひょっこりひょうたん島のモデルとなった島。
大槌の観光名所でもあったそうです。
蓬莱島と陸とを結んでいた防波堤も今はその姿は見受けられませんでした。
右側に見える灯台は津波により土台だけになってしまいましたが、お社は残ったそうです。
その灯台も新たなデザインで生まれ変わることが決定。
News大槌 蓬莱島灯台の新デザイン決定 岩手-MSN産経ニュース
こちらは商店のお父様が書かれた蓬莱島の水墨画。
ちょっとしたお絵描きなんておっしゃってましたがとんでもございません!!
そのお父様とお別れする際、「ありがとう」と声をかけていただきました。
この日は何回「ありがとう」って言葉をかけていただいたか。そのたびに胸にくるものがあって。
人に感謝する気持ちを最近忘れていた気がする自分にとって、改めて気づかせていただいた2日間でした。
それと共に、まだまだ人の手、力が必要だとも感じました。阪神淡路大震災の時よりボラの数も少ないとのことです。
なので継続的に続けていきたいと思います。