前回の記事の続きです。

 

合不合の判定資料と一緒に、中学入試の募集要項の抜粋も同封されていた。

 

▼これが同封されていた募集要項一覧。

 

当時の資料(男子版)をあらためて眺めていると、現在の中学受験とは大きく異なる点がいくつも見つかった。

 

3点ほど書きます。

 

①多くの学校が一発勝負(入試は1回のみ)だった。

 

現在の中学受験では、複数回入試は当たり前で、試験回数が1回の学校はごく少数です。

 

ところが、30数年前に複数回入試(男子)を行っていたのは、海城、攻玉社、芝、城北、桐蔭学園、聖光学院、京華、巣鴨のみ。

 

ちなみに、現在のように、3回以上入試を行っている学校はなかった。

 

昭和の中学受験の方が、ある意味シンプルでわかりやすいですねびっくり

 

②多くの学校が面接試験を導入していた。

 

当時、男子の中学入試で面接試験(本人)を行っていた学校は以下の通り。

 

浅野、海城、開成、暁星、慶應普通部、城北、京華、佼成学園、桐朋、獨協、日大豊山、武蔵工大付、明治学院、成蹊、成城学園、森村、筑波大付属、学芸大小金井、千葉大付属

 

さらに、保護者(同伴)面接を行っていた学校も多かった(下記)。

 

栄光学園、攻玉社、駒場東邦、千葉日大、日大一、明大明治、芝浦工大、成城、日大二、日大三、法政第一、明大中野、慶應中等部、玉川学園、茗溪学園

 

現在の中学入試は、午前・午後入試に加えて、試験当日に合格発表もあったりと、とても慌ただしくて、後日、保護者同伴の面接を行うなんて考えられないですねゲッソリ

 

当時の中学受験は、ある意味で「小学校のお受験」に少し似ていたのかもしれないキョロキョロ

 

③ゆったりとした受験スケジュールだった。

 

当時は中学入試を行っていた学校が少なく、また1回目入試と2回目入試の日程が離れていて、受験スケジュールがゆったりとしていた。

 

例えば、

海城の1回目入試は2月1日、2回目入試は2月8日。

城北の1回目入試は2月1日、2回目入試は2月11日。

聖光学院の1回目入試は2月2日、2回目入試は2月12日

というように。

 

余談ですが、インターネットもない昭和の時代に、試験当日に合格発表(構内掲示)をしていた学校がある。

 

どこかわかりますか?

 

 

 

正解は巣鴨中です。

 

 

 

最後に、当時の募集要項抜粋を基に、昭和○○年の中学入試スケジュール(男子)をまとめてみました。

 

 

現在の中学入試と比べると、もう、スカスカですよねーびっくり

 

特に1月受験なんて皆無に等しいガーン

 

ちなみに埼玉なんて、私立中はほぼゼロ。

(浦和ルーテルや秀明があったかもしれないが・・・)

 

開成の受験者は2月1日、2日と入試があり、3日は巣鴨を受験した人が多かったんです。

 

1月入試の市川(当時は男子校)を受験する人もいたなー。

 

 

そうだ! 市川などを受ける人は除いて、多くの受験生が2月入試ぶっつけ本番でした。

 

何となく、その当時の気持ちが蘇ってきた気がするキョロキョロ

 

 

現在、受験生をお持ちの親世代は、私もそうだったように、中学受験の経験者が多いのではと思う。 

 

昔の中学受験の経験をそのまま当てはめようと思っても難しい。

 

昭和の合不合の資料は、中学受験の状況は当時とは一変していることを、明確に示しているのだ。

 

親世代の時代とは大きく変わってしまった中学受験に、子どもたちは何とか必死に立ち向かっているんですニコ

 

フレーフレー! 中学受験生!

 

フレーフレー! 受験生を支えるご家族!

 

 

 

また続きを書きます。