こんばんは、ともすけです。

『平家物語』 その2です。

 

 

 

 

『平家物語』は院政期から平家滅亡を書いた作品です。上では岩波文庫の本のリンクを貼っていますが、『平家物語』は幾種類もあります。大きく分けると読み本系と語り本系があります。岩波文庫は語り本系の覚一という人が書いたもので、覚一本と呼ばれるものをもとにしています。語り本系と読み本系の違いは前者より後者は源氏について詳しく書かれていることのようです。語り本系は「語り」ですから聞いて楽しむことを優先した部分もあるのではないかとも思います。具体的に中身がどう違うかについてはこの記事が長続きしたら書くことにして・・・。

 

 

『平家物語』は作者未詳ですが、なんとなくこういう経緯でできたのではないかということはわかったいるようです。1330年にできたと言われる兼好法師の『徒然草』に『平家物語』についての記述があります。それによると比叡山の天台座主が慈円だった頃に、その慈円の庇護のもとに信濃前司の行長という人が書いたと思われます。

 

 

また、慈円の書いた『愚管抄』と『平家物語』を読み比べてみると、その時代に起きた出来事の真偽が見えてくるところもあります。このほぼ同時代に書かれたと思われる作品に共通する特徴は比叡山延暦寺の影響が強く見られるということです。『平家物語』を読まれればわかることですが非常に強い宗教性が感じられます。そして『平家物語』は安居院流の唱導僧によって語られることが多かったといいます。

 

唱導Wikipediaより

「広義の「説教」に属する「唱導」は音韻に抑揚とメロディともない、経典の趣旨を取り出して比喩や因縁話を用いて語ることで人びとを仏教信仰に導いたのである。」

 

 

ですからこの『平家物語』という作品は強い歴史性・宗教性・娯楽性を兼ね備えた文学作品だということができると思います。

 

 

続く(たぶん)。